第百六十八話 魔王の器
「戦争を起こさないために魔物を生み出す、か。……ふざけたことを言う。確かに戦争は起きないかもしれないが、魔物による被害も生まれるだろう? それを無視して、何が平和だ……!」
イルガも静かな怒りを秘めて告げる。黒髪の先端が赤色化し、ちりちりと火の粉を散らし始めている。
「戦争被害に比べれば微々たるものだ。世界を永続させるための尊い犠牲だ」
バランの言葉に驚きはしなかった。
奴は以前も似たようなことを言っていた。
「そう言うと思ったぜ、まったく」
ローガにさえ見透かされている。
もういい。バランの言い分はもうたくさんだ。
俺たちはもはや相容れない。
「バラン、いくら貴様が平和を語ろうと、私たちはそれを認めない。……今、ここで貴様を討ち、その歪んだ正義をぶち壊す! その鉄巨人ごとな!」
巨人がどれだけ強力な魔機だろうと関係ない。
ここでやらねば、魔物が蔓延る暗黒の世の中が生まれてしまう。
いくら戦争が起きなかろうと、魔物の喰われる人々を、必要な犠牲だと見捨てることなど出来やしない。
「……バラン、大人しく降参してください。僕は、かつて同志だった方を見殺しにしたくありません」
「やめろ、ミリアルド。説得など無駄だ」
咎めると、ミリアルドは一瞬だけ悲しそうに眉を顰め――しかし、すぐに表情を改めた。
強い意志を感じる決意の瞳を輝かせる。
「わかりました。……バラン! せめて僕の手で、引導を渡します……!」
ミリアルドは心優しい人間だ。
いくら非道な行いを続けていたとはいえ、一度は肩を並べたバランと戦うのは辛いのだ。
大丈夫だ。
ミリアルドに余計な手間はかけさせない。
俺が――すぐにケリをつけてやる。
「愚かな奴らだ」
バランは絶えず笑う。戦いが始まる前から、勝ち誇っているかのようだ。
「我が輩がなぜ、この魔神機をグワンバンに作らせたと思う?」
バランが何かを掲げた。わしづかみにしている筒状のガラス――その中には、黒紫色の炎のようなものが、揺らめいていた。
「あれは……!」
ミリアルドが驚愕する。
「これぞ我が手に入れし魔王の源! そして、魔神機こそがその器!」
「器だと……!?」
魔王の力を人の身体で制御することはできないとミリアルドは言っていた。
バランが器と言ったその意味――あの鉄巨人があれば、魔王の力を制御できると言うことか。
「この魔神機と魔王の魔力さえあれば――我が輩こそが、新たな魔王となるのだ!」
バランは高く掲げた魔王の炎を持ちながら、魔神機へと乗り込んだ。開いた背中が閉じて、再び鉄巨人と一体となる。すると、魔神機の全身に血管のような紫色の線が浮かび上がった
瞬間――身体の奥底が冷え込むような恐怖が、沸き上がってきた。
目もない耳もない鉄巨人の顔に亀裂が走る――いや、亀裂のように見えるほどに歪で鋭い目と、牙生える口が現れたのだ。
それだけではない、ただの簡単な人の形だった巨人の身体がどんどんと変化していく。
まるで――悪魔のように。
前腕部だけが膨らんだ異形の腕には、逆向きに生える角が。人一人を丸ごと掴めるほどの巨大な手にも、おぞましい爪がぎらついている。
人を模していた脚部も獣のそれへと代わり、鍛えられ膨張した筋肉が躍動する。なかったはずの尾が、臀部から伸びていた。
全身から黒い炎を粉と散らし、巨人は――否、巨獣は裂けた口から天を貫く咆哮を轟かせた。
「グァハハハハハハハッ! これが、魔王の力か……! 感じるぞ、闇の力をぉっ!」
バランが吼える。あくまでも魔機の中にいるはずなのに、まるでその巨獣そのもが話すかのように口が動いている。
「な、なんておぞましい……!」
サトリナがそれを見上げながら震える声を漏らす。
「これが、魔王……!?」
「こいつと戦うのかよ、俺たち……!?」
マーティもローガも怯えている。
無理もない。今バランが放つ波動は――かつて俺が戦った魔王ディオソールと、大差ないからだ。
全身から放たれる威圧感。闇の力が纏う瘴気。足が竦むような恐怖と、思わず跪いてしまいそうな畏怖。
「みんな、吞み込まれるな!……大丈夫、勝てない相手じゃないはずだ」
剣を握る手に力を込める。
いくらかつてのディオソールと酷似した威圧を持つとはいえ、その根源となる魔王の源は全盛期の七割ほどに過ぎない。俺一人ではまだそこまですら辿り着けていないが、六人ならば。
「無駄な足掻きを。大人しくそこをどけ。世界樹を破壊さえすれば、貴様らの命を奪いはせんよ」
情けのつもりか、それとも余裕の表れか。
どちらにせよ、バランは俺たちを完全に下に見ていた。
それはすなわち隙になる。その虚を突ければ、あるいは……。
「行くぞ、みんな!」
もはや退くことは出来ない。――行くしかない。
先手を切る!




