第百五十九話 故郷へ
これは――神聖術か? だが、いったい何の?
「今からお前たちをロシュアの近くまで転送する。三秒もかからん」
「転送だぁ?」
ローガが素っ頓狂な声を上げた。
俺も気持ちだけは同じだった。ここからロシュアまでどれだけの距離があると思っているのだ。
どんな速度で吹っ飛ぼうが、数秒で辿り着くことなど不可能だ。
「まさか、大神官様……!」
しかし、ミリアルドの驚き方は違った。大神官が何をしようとしているのか、わかっているのだ。
「そうだ、ミリアルド。我が大神聖術を見せてやろう」
「大神聖術……?」
サトリナが小首を傾げた。
聞いたことがない。だが、とんでもない術なのはわかる。そうでなくては、魔王の記憶を持つミリアルドがここまで驚くわけがない。
「どういう術なの、ミリアルドくん?」
マーティが尋ねた。
「先ほど、垂れ幕の向こうからこちらまで瞬く間に移動したでしょう? あれが、通常の転送の術です」
さっきの不可解な移動自体が神聖術を用いてのものだったのか。
確かに、あれの規模を大きくすればここからロシュアまで、一瞬で移動できるかもしれない。
「ですが、無茶です! 大神聖術は一度でも使えば、寿命を大きく減らす禁忌の術のはずです!」
「寿命を……!」
そうだ、と大神官は言う。しかし、命をすり減らすというのにその顔は、やはり笑ったままだった。
「何、たかだか数年だ。数百年を生きる我にとっては微々たるものよ。……行くぞ」
方陣の輝きが強まっていく。全身が光の粒子に包まれ、まるで自分自身が発光しているかのようだ。
「我はこの世界を愛している。バランなぞに好き放題されるというのは気に食わん。だから、頼んだぞ」
「大神官様……!」
方陣の閃光がさらに激しく、もはや目が開けられないほどになっていた。
「それと、肩はおまけだ」
「肩……?」
声だけがかろうじて聞こえる。だが――なぜだか、その光の向こうで大神官が、優しげな笑みを浮かべているのだけは、はっきりと見えた。
見目相応の少女のような――美しい笑みを。
そして、光がすべてを包み込んだ。
「――……っ」
光が止んだ。目を開く。
「ここは……」
もはや懐かしい、見慣れた風景。
間違いない。ロシュアを北に出た街道だ。振り返ると、ロシュアの町並みがはっきりと見て取れた。
本当に、ティムレリア教団からロシュアまで、一瞬で送られてきたのだ。
しかし。
「ねえ、あれ……!」
故郷の異変に、マーティが声を上げた。
ロシュアの上空に、黒雲が広がっているのだ。そこから大量の雨が槍のように降り続いている。
違和感しかない、町一つ分の小さすぎる嵐雲。間違いない、テンペストの嵐だ。
「テンペストの雨は邪気の雨です! 急がないと、町に魔物が発生してしまいます!」
「ああ。行くぞ!」
考えている暇はない。俺はそう告げ、走り出した。
街道からロシュアへと入ると、激しい雷雨が襲いかかってきた。上空を覆う暗雲のどこかにテンペストがいるはずだ。
「クロ、やべーぞ!」
空を見上げていると、ローガが言った。
「魔物の匂いだ。あちこちにいる!」
「――あっち! 声が聞こえた! 向こうからも……!」
さらにマーティが町の西の方を指さした。次に北東。
町中に魔物が現れている。誰かが襲われているのかもしれない。
「皆で手分けしましょう!」
ミリアルドの声に頷いて、俺たちは散り散りになった。
ロシュアの町はさほど広くない。だが、それでもそこかしこにいる魔物を一人で倒し切るのは不可能だ。
俺はひたすら我が家を目指して走った。
目の前に狼に似た魔物。何を思うでもなく、足を止めずに斬り抜けた。雑魚に構っている暇はない!
マーティと戦って以来の左肩の違和感が消えていた。さっき、大神官が直してくれたのだろう。
これなら、全力が出せる……!
「父さん、母さん……!」
空中から襲い来る鳥と羽虫の魔物。二体を纏めて火炎の魔剣術で燃やし尽くす。
「セロン、トリニア……!」
地中から生み出されるように現れた、熊に似た魔物。森にいたベアより二回りほどデカい。
「邪魔だッ!」
だが、もはや俺の敵ではない。
強靱な腕が叩きつけられ、雨水と泥が跳ねた。それを俺はものともせずに跳躍、脳天に切っ先を向け、放つ。
「『電光突き』ッ!」
雷光迸る稲妻の突きがベアの頭部を切り裂き、瞬く間に消滅させ着地とともに駆け出した。




