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第百五十七話 覚悟

「……なぜ姿を隠し、声を偽っていた?」

 イルガが問うた。

 未だ予想外の姿に戸惑っているようだが、それでも最初に口を開けた辺り、イルガの心胆はなかなかの強さだ。

「人間は愚かだからな。この姿では、我が言葉に耳を傾けぬ輩は少なくない」

 以前ミリアルドも似たようなことを言っていた。

 子供だという理由で――自身より年齢が低いというだけで、他人を舐めてかかり聞く耳を持たなくなる人は、確かに多い。

 だからあのような垂れ幕の奥で、嗄れた老人を演じていたというわけか。

 その目論見は成功だったのだろう。事実、ミリアルドを始めとして、数多くの人間がこの少女を威厳ある翁と思い込み、信奉した。


「しかし、いきなりあんな術を放ってくるとは驚いた。間一髪、丸焦げにならずに済んだわ」

「簡単に防いでよくも言う……」

 イルガが放った火竜は決して弱い技ではない。下手な人間ならば、防ぐことも構わず大火傷を負う。大型の魔物を一撃で滅することも不可能でない威力を秘めていた。

 それを、大神官はわずかな障壁一枚で完全に散らせたのだ。それだけで、彼女が持つ神霊力の高さを伺わせた。

「だ、大神官様……!」

 ミリアルドが、絞り出したようなか細い声で言った。

「どうした、ミリアルド? 内なる秘密を暴露したという意味では同じだろうに、何をそんなに驚いとる?」

「……っ。そう、ですね……」 

 その言い方から察するに、ミリアルドが魔王ディオソールの生まれ変わりだと言うことも知っているようだ。

 千里眼なんてものがあるなら、魔王城での俺たちの話も見られていたのかもしれない。

 ミリアルドは一度大きく深呼吸すると、落ち着きを取り戻したか、きりとした目付きで大神官を見つめた。


「では、大神官様。改めて申し上げます。かの悪逆、バラン・シュナイゼルの居場所を私たちにお教えください。必ずや、我らが彼の野望を阻止してみせます」

「バラン、か……。確かに我は、奴の居場所を知っておる。今すぐ教えることはなんら難しいことではない」

「では、お願いします! このままではバランは何をしでかすか、わからないのです!」

 ミリアルドの必死な願いに、しかし大神官は聞いているのかいないのか、天井のステンドグラスを見つめるだけで答えようとしない。

「大神官様……!」

 どうしたというのか。

 バランが魔王の力を手に入れたということは知っているはずだ。それを悪用されれば世界がどんな目に遭うか、想像できないわけはない。

 なぜ、答えようとしない……!

「のう、ミリアルドよ」

「……はい、なんでしょう」

「バランをどうするつもりだ? 捕らえるか? それとも――殺すのか?」

「……なに?」

 その言い方が、俺には不可解だった。

 何を言おうとしているのか、わからない。この期に及んでバランの生死を問うのか。

 奴は何人も、何十人もの人間を苦しめた。そしてまた、奴のせいで何百、何千という人々が苦しめられようとしているのだ。

 生かしておく道理などない。仮に生け捕りにしたとしても、国賊として死刑となってもなんらおかしくはない。


「教団に死刑はない。神官であるお前が、その法を破り、バランを殺すというのか?」

「それは……」

「初めに殺されそうになったのはこっちだ。やり返すというわけではないが、わざわざ生かしておく必要もないだろう」

 答えあぐねるミリアルドの代わりに俺が答えた。

 奴は俺とミリアルドを私欲のために死刑にしようとした。それこそ、教団の法を破ろうとしたわけだ。

 この大神官が何を言おうとしているかはわからないが、俺は、ここに来て誰も殺したくないなどという甘いことを言うつもりはない。

 それに奴は……マーティを、俺の唯一無二の親友を辱めた。

 洗脳し、肉体を改造し、己の腹心として利用した。

 許すわけにはいかない。

「バランは……が殺す。この手で引導を渡す。絶対に……!」

「クロームさん……」

「それが不服か? 言っておくが、あんたの命令は聞かんぞ。悪いが、俺もティムレリア教徒ではないからな」

 先ほどイルガが言った台詞を貸してもらう。

 これは俺の覚悟だ。

 誰が何を言おうと、俺はもう決めたのだ。バランは俺がこの手で殺す。

 人を殺すその意味は理解している。正義のためなどと言い訳をするつもりもない。

 私怨だと思われて構わない。

 魔王の力を奪い返すため。これ以上の被害を生まないため。そして――俺自身のために。

 バランは、絶対に生かしてはおけない。


「……ほう」

 俺の顔を見つめ、大神官が口元を歪めた。笑っているようだ。

 見た目は少女だというのに、かわいらしさの欠片もない凄絶な笑みだった。

「いい目をしているな。人の命を奪うというに、なんら曇りのない……気高い瞳だ」

「人殺しと言うなら言えばいい。それでも、もはや俺はバランを許してはおけん」

「言わんさ。……ミリアルド」

 大神官がミリアルドを呼びかける。

「は、はい」

「いい仲間を持ったな。……いいだろう、バランの居場所を教えてやろう。お前たち自身の手で、決着を着けてこい」

「あ、ありがとうございます!」

 言うと、大神官は再び笑い、目を閉じて両手を軽く広げた。

 すると、大神官の身体がわずかに光を帯び始めた。

 何の力が働いているのか、纏うマントがふわりと浮き上がり揺らぎ始める。

 身体に刻まれる入れ墨が光を発する。手の先、足の先から、光が身体を這い上がり始め、閉じられた大神官の目へと伝った。

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