第百五十五話 幕の向こうは
天空に浮かぶ女神ティムレリア――否、それを模した、ステンドグラスの天窓だ。
色彩豊かに作られたそれから注ぎ込まれる陽光が、室内を目映く照らしている。
旧聖堂にあったようなステンドグラスがこの本部のどこにも見受けられず、若干不思議に思っていたが、まさかこんなところにあるとは。
「大神官様!」
ミリアルドの声にハッとして前を見ると、部屋の奥に、薄いカーテンで仕切られた祭壇のような場所があった。
陽の光によって透けるその向こう側に、影があった。座った人の形に見える。あれが、大神官か。
「大神官様! よくぞお戻りになりました! いったい、今まで何処におられたのですか?」
大神官の前で、ミリアルドは跪き、神に祈るように両手を握り合わせる。
それが最高位の敬礼であると知るのは難しくなかった。
「……うむ。この目で世界を見て回っていた。だが、世界によくないことが起きると感じ、急いで戻ってきたのだ」
確かに年老いた男性の声だ。そして、そんなことぐらいしかわからない。
「まさにその通りでございます、大神官様。かのバラン・シュナイゼルが――」
「よい。すでに知っておる」
ミリアルドの声を遮る。
すでに知っている……だと?
「我が“千里眼”、忘れたわけではなかろう」
「はい、大神官様」
「……千里眼……って、なんだ?」
ローガが小声で尋ねてくる。
「世界全土を見渡すことの出来る力らしい。私も聞いたことぐらいしかないがな……」
その力でバランが魔王の力を得たのを見た、ということか。
だというのなら、バランが怪しい動きをし始めた段階で止めて欲しいものだがな。
「――我は必要以上の干渉が嫌いなのだよ、クローム・ヴェンディゴ」
「な……!」
いきなり名を呼ばれ、俺は慄いた。
こいつ、人の心を読めるのか……!?
「そうだ。我が千里眼は世界だけではない、人の記憶、感情――心をも見通す」
まただ。
こうして前に立っているだけで心を覗かれると言うことか。気色の悪い力だ……!
「そう恐れるな。元勇者であろう?」
「……それもお見通しか」
記憶を読むということは、やはり俺が勇者クロードであるということも知っていたか。
食えない奴だ……!
「大神官様! その千里眼のお力をお借りしたく思います! バラン・シュナイゼルの居場所を私たちにお教えください!」
ミリアルドが願うように言う。
なるほど、だからミリアルドは大神官が戻ったと聞いてこれほどまでに喜んだのか。
確かにこの千里眼があれば、バランの居場所など一瞬でわかるだろう。
「よかろう。では――」
大神官がミリアルドの願いを聞き入れ、バランを捜そうとしたのだろう。だが、そのタイミングで、
「待て」
と、イルガが声を上げた。
「ど、どうしました?」
ミリアルドが尋ねる。
イルガは腕組みし、憮然とした態度で大神官の影を睨みながら言う。
「信用ならん」
「え?」
「信じられないと言っている。そうやって、垂れ幕の向こうで姿を隠し、ふんぞり返っているような奴などな」
「イルガ……」
一理ある話だ。
今俺は、この大神官を信用しようとしていた。
ミリアルドが信頼しているというのもあるが、心を読まれるという人智を超えた力を見せつけられて、圧倒されていたからだろう。
だが、考えてみれば確かに、それ以外に信じられる要素などないのだ。
例えば――
「あんたが、バランの作った幻影という可能性もなきにしもあらず、ということか……」
「……」
言うと、ミリアルドは愕然とした表情になって驚いていた。
「そんなことは……!」
「ありえない話じゃあないわな」
ローガも肯定し、鋭い視線を大神官に向け始めた。
「ローガさん! 待ってください、ドランガロでバランの幻影からは悪臭がすると知ったばかりではないですか!」
「ああ。確かにあの臭いはしねえ。でもよ……逆に何の匂いもしねえんだよ、あの垂れ幕の向こうからはよ。バランのあれじゃねえとしても……おかしいことに変わりはねえだろ?」
「ぅ……っ」
匂いのしない生物などいない。特に人間ならばなおさらだ。
イグラ族の鼻はどんなささいな匂いもかぎ分ける。ローガは匂いだけで人の生活習慣すら予測できるほどだ。
そんな嗅覚をもってして、何の匂いもしないというのは――不自然が過ぎる。
「そういうことだ。それに、己れはもう自分で見た真実しか信用しないと決めた」
イルガは肩を怒らせて垂れ幕の眼前まで歩み寄った。
白い薄布を雑につかみ取ると、上部でピンが外れる音がした。
「――その面、拝ませてもらおうか!」
後は簡単だった。
イルガが勢いよく垂れ幕を取り払う。パラパラと外れたピンが床に跳ねた。
しかし――




