第百五十二話 掌の上
「……そんな……!」
ミリアルドが絶望的な声を上げた。
その顔は真っ青に青ざめ、眉間にしわを寄せ、苦悩している。
「どうした、ミリアルド」
ただ事ではないとその顔が告げていた。何か問題が発生したことは確かだ。
「……魔王の力が、ないんです……! ここに集まっているはずの、魔素の塊が……!」
「なんだと……?」
魔王が集めていた魔力……それが溜まりきると、魔王はかつての力を取り戻して復活する。この十五年もの間集めていたそれが、ここにはないという。
「な、なんで? どういうこと?」
マーティが焦りを見せて言った。
これですべてが終わると思っていたのに、その目的の物がない。
不安感が一気に俺たちの間を充満していく。
「わかりません……。でも、空っぽなんです、このディオソールの身体は……!」
「空っぽって……べ、別の場所に集まってるとか、ないのかよ?」
ローガの言葉にミリアルドは強く首を振った。
「そんなこと有り得ません。この封印された自らの肉体に年月をかけて魔力を集らせて蘇る――それが魔王ディオソールの計画なんです」
それが間違っていた、などということはない。ミリアルドは魔王ディオソールの記憶を持っているのだ。いわば、本人が残した遺書を自分で読んでいるようなものだ。間違うわけはない。
つまり……。
「誰かが、先に魔王の力を持ち出した……ということか」
イルガの言うとおりだった。俺たちよりも早くここに来た誰かが、知ってか知らずかはともかく魔王の力を見つけ、持ち出した――それしか考えられない。
しかし、それもまた、あり得ない話だ。
「飛空艇もないのに、誰が魔王城に来たと言うんですの?」
サトリナが言うように、この魔王城に来るためには飛空艇が必要不可欠だった。そうでなくては、魔王城の周囲の毒素を乗り越えることが出来ないのだ。
飛空艇は長い間動かすことが出来ない状況にあった。誰もここに来ることなど出来やしない。
ならば、どういうことだ。なぜ魔王の力はここにない?
「魔力を集めるのに失敗してもう散っちまった、とか……」
「それではそもそも世界中に魔物は現れません。魔物の出現こそ魔王の力が集まりつつあることの証左でしたから」
「そりゃそうだよな。くそ、じゃあなんだってんだ……!」
ローガが髪を激しく掻きむしった。
わからないことばかりだった。なぜ魔王の力がない。誰かが持ち出したのか。それは誰だ。いったいどうやってこの魔王城に?
「ねえ、ミリアルドくん。ちょっと聞きたいんだけど」
みんなで考え込む中で、マーティが言い出した。
「はい、なんでしょう?」
「飛空艇以外で、この城に来る方法って……本当に他にないのかな?」
「……少なくとも、僕が思いつく限りではありませんね」
魔王城の周囲に充満する毒素を突破するには、飛空艇のような乗り物が必要不可欠だったとは、何度も話したことだ。
例え船で乗り付けても魔王城の周囲には毒沼があるため、歩いての突入は不可能。その上をティガ族などの有翼種族の力を借りて渡ろうとしても、毒ガスに阻まれて命を落とすだけだ。
「本当にそうかな……?」
マーティは右手で頭を抑え、少し辛そうに顔をしかめていた。
まるで、何かを思い出そうとしているみたいに見える。
「じゃあ、さ……。逆に、毒素の中に入っても平気なものは?」
「毒素に耐性があるもの……?――そうか……!」
マーティの言葉にミリアルドはハッとする。何かを思いついたようだ。
だがその直後、その表情はどんどんと強張り、血の気が引いていく。
最悪だ、と小さくつぶやくのが聞こえた。
「どうなさいましたの?」
「……魔物です。人間も動物も毒素の中では生きられませんが……魔物なら、話は別です」
「魔物? そりゃあまあそうだろうけど、だから何だって言うんだ?」
ローガが言う。
単純な話だ。魔物は他の生物とは根本的な構造が違う。生物にとっては猛毒でも、魔物にとってはなんてことのない物質はいくつもある。
だが、それがどういう意味なのか――俺にもまだわからなかった。
ミリアルドは青ざめた顔でこう言った。そして、その言葉を聞いて――俺も、身体の奥底が一気に冷え切った。
「魔物なら毒素に耐えられます。なら――魔物を操ることが出来るのなら、この魔王城へ来ることは、難しくないって事です……!」
「魔物を、操る……!」
バラン・シュナイゼル。
奴は――魔物を使役していた。
ならば。
「思い出したんだ。あたし、バランの命令で……巨大な魔物の体内に入って、移動したことがある……!」
マーティのその言葉が決定的だった。
一番最初にマーティと再会したとき――マーティがまだ、ファルケだったとき、彼女はテンペストに乗っていた。
テンペストは飛行できる魔物だ。しかも、その巨躯は人間を丸呑みにすることなど容易い。口腔内に潜ってしまえば……毒素を通り抜けることなど簡単にできる。
「おいおい……! 結局全部、そのバランって野郎に巡ってくんのかよ!」
「ここまで来ると、ある種の運命的なものを感じてしまいますわね……」
ローガもサトリナも呆れかえっている。この旅のはじめから終わりまで、すべてにおいて俺たちはバランにしてやられていることになる。
バランがミリアルドを魔王城に行かせたくなかった理由も、自分がそれを手にしたいからだと考えれば辻褄が合う。
教団運営のために敢えて魔物を放置する、という理由がずいぶんとかわいらしく思えた。
忌々しい……!




