第百四十七話 魔王城内部へ
三時間ほど経ち、ついに魔王城が眼下に見えてきた。
黒い外壁と、血のような赤い屋根……いかにも悪の首謀者が住んでいます、というような風貌だ。
しかし、かつてはもっと強烈な、近付きがたい波動を放っていたそれは、すっかり寂れてしまっているようにも見えた。
主がいなくなって十五年――当然か。
「降ります」
言うと、今度は椅子から体が浮くような感覚が襲ってきた。手すりを強く握って、なんとかそれをこらえる。
と、次にはがたんという衝撃。すぐに収まって、一気に静まりかえった。
……完全に着地したようだ。
「……た、大したことなかったな……」
イルガが言う。が、その顔は未だ青く、脂汗が滲んでいた。
やれやれ、とみんな肩をすくめた。
「……よし。では、外に出ましょうか」
ミリアルドは言い、飛空艇の出入り口を開くスイッチを操作しようとした――
「待った!」
ところを、ローガが止めた。
「何ですか?」
「なあ、この魔王城の周りってさ、こういう飛空艇じゃないと近づけないぐらいの毒素で覆われてる……って、前に言ってたよな?」
「はい」
「じゃあよ、このまま外に出たら……その毒素にやられるんじゃないのか?」
……一理ある。まあ、普通考えたらそうなるだろう。
が、実際は大丈夫だ。
「平気ですよ。あの毒素はこの魔王城への侵入者を阻むものなので、ここまで城に近付いてしまえば問題ありません」
魔王ディオソールが簡単に侵入されないよう、周囲を悪素で固めた余波が未だ残っている状況だ。
だが、当時虹の橋を使って城まで来たときも、これだけ接近していれば何の問題もなかった。
いわばあれは門のようなものなのだ。そして俺たちはそれを、飛空艇で無理に超えてきたと言うことだ。
「そうか……。なら、安心だ」
「なんだかんだと理由をつけて、城に入るのが怖いだけなのではなくって?」
ホッと息をつくローガに、サトリナがいつも通りに煽るような言葉を投げかける。
そしてこちらもいつも通りにむっとして、突っかかる。
「んな訳あるか。だいたい、魔王もいねえ城の何を怖がるってんだ」
「さて。わたくしは何も怖くありませんのでわかりませんわ」
……一応、旅の終着点なのだから多少の緊張感は持っていてほしかったが……まあ、下手に強張るよりはマシと思うことにした。
飛空艇から降りると、淀んだ空気に思わず咳き込んだ。空気が汚いというか……体に悪影響はなくとも、毒素は確かにあるということだ。
「行きましょう」
ミリアルドが先導し、魔王城の門前まで移動する。扉は開いていた。恐らく、十五年前から開きっぱなしなのだろう。
城に入ると、まず目前に幅広の階段があった。端々がほつれ色あせているが、赤い絨毯が敷かれていて、まさに王城と呼べる雰囲気だ。
階段の向こうには、馬と牛の頭が左右に備えられた大扉。――あの先が、魔王ディオソールと戦った玉座の間だ。
左右には小さい階段が両翼のように広がって、その先には小さな扉が複数、等間隔に並んでいる。
「なんか……防衛とか、何も考えてなさそう」
マーティがあっさりと言い放つ。
「どういう意味だ?」
「だって、明らかにあの先に魔王がいるでしょ。バレバレじゃない? そんなんでいいの?」
確かにまっすぐ行けば即座に王の間というのは、攻め込まれたら危険な造りではある。しかし、昔来た時はそう簡単ではなかったのだ。
「かつて勇者クロードが訪れた際は、玉座の間へと繋がるあの扉に強力な封印が施されていました。それを解除すべく、勇者の仲間たちが個々奮闘したんです」
そう、その通りだ。
あの扉に一人ずつ、みんなが別れて入っていき、その先で各々が辛い戦いを乗り越えた。そのことを知ったのは、クロームとして生まれ、勇者戦紀を読んだ後だったが……。
「確かに、お兄様の戦いも書かれていましたわね」
「|バラグノ(父さん)の戦いもな。……多少、真実は隠されていたようだが」
各人、勇者戦紀を読んだことはあるがその回数や密度は様々だ。俺は読んだのは数回だけだが、何しろ自分自身の本だ。読まずともなんとなく内容は把握できている。
ミリアルドは何回も読んだと言っていた。嬉し恥ずかしという感じだが、そのせいか細かい知識は下手をすれば当人の俺以上だ。
ローガは一回だけ、サトリナとイルガもあまり多くはない回数だという話だ。
「そして、扉の封印が解かれた後は……勇者クロードと、魔王ディオソールの決戦です」
言いながら、ミリアルドは正面の階段を登った。
扉の前に立ち、軽く押す。当然だが封印はもうないため、簡単に開いた。
広い空間――あの日見たときと、ほとんど変わっていないように見える。各所に俺とディオソールが戦った爪痕が残されている。
「ん……魔物、いねえな」
ローガが言う。きっと匂いでわかるのだろう。
「うん、確かに。あたしたち以外に、物が動く音はしない」
リウ族の超聴力でもそのようだ。……拍子抜けだな。
まあ、戦わないに越したことはない。
「ここで、勇者クロードと魔王ディオソールは死闘を演じました。互いに一歩も退かぬ戦い。技と技の応酬。息つく暇もなかった」
ミリアルドが歩きながら話し出す。
言うとおり、この部屋の一番奥で――俺とディオソールは、相討ちになった。
「クロードが魔剣術を繰り出せば、ディオソールは強力な魔術で返し、接近戦を挑めば猛毒の爪による体術で反撃。どちらが勝ってもおかしくない状況でしたね」
あの戦いは――今でも覚えている。仲間たちがみんなで俺のために戦ってくれた。
一対一の戦いだったが、孤独ではなかった。俺の剣には、みんなの願いが込められていたからだ。
ただ一人では勝てなかった。みんながいたから、魔王ディオソールに勝てたのだ。
それは今も変わらない。みんながいたから、俺は今日ここに来ることが出来た。人は、一人では何も出来ない。
「熾烈、激烈、猛烈、苛烈――言葉では言い表せない戦い。互いに気を抜けば永遠の死に沈む。勇者クロードはその中で、笑っていました。なぜ笑うことが出来たのか、わかりませんが――きっと、勝負を楽しんでいたのでしょう。そしてそれこそが、勝敗の明暗を分けた」
そう、俺は、奴との戦いを楽しんでいた。それは確かだ。
俺が全力で向かえば、奴も全力で迎え撃つ。どの技が有効か、どの攻撃なら隙を作れるか。それを一瞬で思考し、判断し、放つ――戦いという意味では、あれが俺の人生の最高潮だった。
「ディオソールは恐れていました。魔王と肉薄する人間がいるなんて、と。だから――」
ミリアルドの言葉を遮って、マーティが言った。
「……どうしました?」
ミリアルドは足を止め、振り返る。
マーティは困惑しているような表情だった。……怖がっているようにも、見えた。
得体の知れない何かを見ている……そんな、顔。
「どうしましたの? 何か聞こえまして?」
サトリナが問う。しかし、マーティは首を振った。何かを聞き取ったわけではないようだ
「ねえ、ミリアルドくん。……それ、おかしいよ」
「おかしい?」
「…………」
ミリアルドは何も言わない。ただじっと、マーティの顔を見つめていた。
マーティは息を吞み、そして恐る恐る……口を開いた。
「だって……なんで、勇者と魔王の戦いのこと……知ってるの?」
――その一言で、ようやく俺も気付いた。
自分の記憶を振り返っていたせいか――考えればすぐにわかることなのに。
そんな、簡単なことを。




