第百四十話 “ありがとう”
「バランのこともそうだが……」
ベッドに近付いてイルガが言う。その鋭い視線は、マーティの左腕へ向いていた。
「マティルノ、だったな。お前はその左腕について、思うことはないのか?」
「これ、ね……」
魔機の義手が取り付けられた左腕。
動かすことに不自由はないのか、左手を握りったり開いたりとしながら、マーティは視線を落とす。
「なんというか……馴染んでるっていうのかな。違和感みたいなものはまったくないんだよね、不思議と」
「記憶はなくても、身体はその腕を使っていたわけですものね。馴染んでるというのも不思議ではないのかもしれませんわ」
本人が覚えておらずとも、身体はファルケの時のことを記憶している。ありえない話じゃない。
「正直驚きだけど……でも、いきなりなくなってるよりはマシかな、って」
そう言ってマーティは笑った。何てことないよ、とでも言うような笑みだったが……俺には、どこか無理しているような顔にも見えた。
「重さも感じないし、触った感触もある。なんか、義手だなんて感覚はまったくないんだ」
「へえ。案外便利なんだな、そいつ」
自分も欲しいと言いかねない様子でローガが言う。
「その腕、人間離れした力が出るみたいだから気をつけろ」
が、いいことばかりではないと釘を刺しておく。
あの超パワーは戦いには便利だろうが、普段生活する分には過剰すぎるだろう。
その辺りの力のコントロールがきちんと出来るのなら問題はないのだろうが……。
「とにかく、いろいろ心配かけてるみたいだけど、あたしなら大丈夫です!」
いい加減質問されるのも疲れたか、マーティは強くそう言い切った。
本人も記憶が途切れている状況だ。これ以上は本人にとっても負担になるかもしれない。
「……そうですね。では、マティルノさん。僕たちはもう少しこの街に滞在することになります。その間、身体に不調があれば遠慮なく仰ってください」
「うん。わかりました、ミリアルド様」
「はい。……それと」
最後に、ミリアルドは付け加える。
「僕のこと、様付けで呼ばなくても結構ですよ。クロームさんとも、今はそうやって話してますし」
言って、ミリアルドは微笑んだ。
そしてマーティも、一瞬意外そうな顔をしてから、その後にっこりと笑ってこう答えた。
「うん! じゃあ、改めてよろしくね、ミリアルドくん!」
「はい」
セントジオガルズから帰ってきたばかりで、諸作業を放置したまままだ、とミリアルドは病室を出て行く。
サトリナもそれに着いていって、ローガとイルガは残っていた復興作業の方を手伝うと外へ。
病室にはケガ人だけが残された。
「……ねえ、クロ」
「どうした?」
二人きりになって、マーティは少しだけ落ち着いた声で俺の名を呼んだ。
「あの時、飛空艇で別れてから……何があったの?」
「……そうだな。ちょっと長くなるが……話しておくよ」
あの日、あの時、悲劇的な別れを迎えてから、今日ここで奇跡の再会を果たした、その間のこと。
バランの策略で、ミリアルドと共にティムレリア教団に捕らえられたこと。
教団から逃げて、セントジオ大陸へ向かう道中、ローガと出会ったこと。
セントジオ大陸で起きたさまざまなこと。
セントジオガルズでサトリナと出会い、グレンカム大陸に行くために次元の門を通ったこと。
イルガとの出会い、飛竜の試練。……英雄バラグノが、死んでしまっていたこと。
バランに支配されたティムレリア教団に侵入し、偽物のミリアルドの正体を暴いたこと。
そして……この、ドランガロに来たこと。
そのすべてを話し終えるころには、夜がとっくに更けてしまっていた。
まだ言えないこと、隠さなきゃいけないこともあったが……それでも、久しぶりにマーティと話をするのは楽しかった。
もう二度と味わうことのないと思っていた、この感覚。
馬鹿みたいに騒ぐ、なんてことはできなかったが……それでも、とても懐かしい感情が蘇ってきた。
俺は、神を信仰しているわけではないが――それでも、もしもこの世界に、女神ティムレリア以外にも神様のようなものがいるとしたら。
今日初めて、俺は感謝する。
またマーティと会わせてくれて……ありがとう、と。




