第百三十九話 目覚め
「ぅ……」
か細い声が、いずこからより聞こえた。
身じろぎ、衣擦れの音。――その出処は。
「マーティ……!?」
光の輪によって拘束され、ベッドに寝かされていたマーティ。硬く閉じられていたその瞼が……わずかに、動いていた。
「目を覚ますのか……!」
警戒か、イルガが俺とマーティの前に躍り出た。炎こそ出さないが、いつでも戦える姿勢で待機する。
「ぅ、う……」
身じろぎが大きくなる。身体を起こそうとして、しかし、拘束のせいかうまく行かず、まるで芋虫のようにもぞもぞと動いたあとで……。
その瞳が、開かれた。
「……? あ、れ……」
声。ファルケの時には一切、聞くことのなかったその声。
ぼんやりと、首がこちらを向く。眠たそうに、今にも閉じられてしまいそうな半開きの目で俺を見、そして周囲のみんなを見やる。
そして、未だどちらかわからない彼女は――。
「ク、ロ……?」
俺の――私の、名前を。口にした。
途端に、私は……自分の中の感情の激動を、抑えられなくなった。
「……マーティ……なのか……?」
尋ねる。知らない部屋と、知らない人間に囲まれて、彼女は……わずかに首を傾げた。
「えっと……とりあえず……拘束、解いてくれない?」
言って、困ったように笑う。
その笑顔は紛れもなく……私の親友の……マーティの、ものだった……。
知らず目から溢れる熱い想いが、ベッドを濡らしていた。
「えっと……」
つい数分前まで眠っていたベッドへ腰掛け、人差し指だけを伸ばした手をローガへと向けて、マーティは指差す。
「イグラ族の、ローガくん」
「おう」
つい、と手を動かし、部屋の奥に背をもたれさせるイルガへと。
「ティガ族のイルガちゃん」
「……“ちゃん”はやめてくれ」
ぼやきは聞かず、次にその指先はサトリナに向かう。
「で、セントジオガルズの王様の妹の……サトリナ殿下」
「呼び捨てで構いませんわよ」
「じゃあ、サトリナちゃん」
ええ、と嬉しそうにサトリナは頷く。
「それで……ミリアルド様、ですよね」
最後にミリアルドへと目を向けて、マーティはふうを息をついた。
「友達増えたねえ、クロ」
「……ああ。まったくだ」
目覚めたファルケは――理由は定かではないが、マーティへと戻っていた。
気絶させるために頭に電撃を放ったのが効いたのか、それとも他に何かわけがあるかは知らないが、なんにせよとても喜ばしいことだ。
あんな激闘を繰り広げて……未だにケガも治っていないというのに、あの時の緊張感はどこへやら、だ。
「いやあ……何が何やらさっぱりわからないけど。とりあえず、あたしの名前はマティルノ・バートン。見ての通り、リウ族です」
先端が髪色と同じ色に染まる特徴的な耳に触れながら、マーティは言う。
「今更だけど、いろんな種族が集まってんな、俺たち」
ローガが言う。確かに、俺とミリアルド以外、それぞれ世界各所で暮らすさまざまな種族の人間たちだ。
数奇な巡り会いとは言え、なかなか見られる光景ではない。
「それよりも、です。マティルノさん、記憶の方は……」
そういった話なら後でいくらでも出来る、とミリアルドは切り出した。
マティルノがファルケだった時、彼女はその記憶をすべて失くしていた。だが、今ここにいるマーティは、話す限りそんな様子はまったくない。
顔を見て俺の名前も言ったし、以前出会ったことのあるミリアルドのことも覚えていた。
「うん。なーんにも覚えてない!」
悪びれもせず、マーティはあははと笑う。ある意味安心できる笑顔だが……そうほんわかしてばかりもいられない。
「今あたしに残ってる最後の記憶は、あの飛空艇から落ちた時。で、気付いたらここにいるって感じかな」
「そうですか……」
ミリアルドは、マーティがバランの居場所について知っているのではないかと思い、記憶が残っているかどうかを尋ねた。
だが結果はこれだ。結局バランの居場所はわからずじまいだ。手がかりは完全になくなった。
しかし……俺はこれでよかったと思っている。
もしも、マーティにファルケの記憶が残っていたら……。ファルケは、恐らくバランの命令で、数多くの人間を殺している。
マーティに……そんな記憶を持っていてほしくはない。
「なんか、お役に立てなかったみたい……? ごめんなさい、ミリアルド様」
「いえ、こちらもごめんなさい、ムリを言って」
残念だ、と肩を落とす。だが、飛空艇の修理の目処が立った今、バランに関しては後回しでも構わない。
情報があるに越したことはないが、少なくとも今、バランを追う必要はない。
マーティだってこうして帰ってきたのだ。
これでようやく、本腰を入れて魔王城へ向かうことが出来る。




