第百二十話 郷愁
王都ソルガリア。
……俺とマーティが旅を始めた、最初の目的地。
そこで俺は騎士となり、魔王城へと向かおうとしたのだ。
その場所へこんな形で向かうことになるとは、思いも依らなかった。
ソルガリア大陸の名を冠する、王都ソルガリア……この大陸全土を治める、セントジオガルズと並ぶ大国だ。
指名手配されている頃は近付くこともできなかっただろうが、今はもう安心だ。
「…………」
ふと目を向けると、ローガが地上を向いてどこか虚空を見つめていた。
懐かしいものを見たような、どこか物寂しさを感じる表情だ。
「どうした、ローガ」
「んあ? いや……そろそろ俺の故郷の近くだなってさ」
ローガの故郷……そう言えば、ローガもこのソルガリアからセントジオに渡った人間だ。
詳しい理由は未だに聞いてはいないが、一攫千金を求めてセントジオ大陸のラクロールで開かれる武闘大会に出るために、船に乗っていたのだ。
「小さい田舎町なんだがよ。……みんな、元気にしてるかなって思ったんだよ」
「寄るか?」
「バカ言え。急ぎたいつってケガを押して出てきたのはどこの誰だよ」
「……そうだったな、すまない」
ここで寄り道などしてしまえば、わざわざ完治を待たずに教団を出てきた意味がなくなってしまう。
郷愁に負け、目的を違えてしまうほどローガはバカではないということだ。
「ご家族は多いんですの?」
サトリナが尋ねる。
「ああ。母親が一人で孤児院を経営しててな。万年貧乏で、町のみんなに助けてもらいながら生活してたんだ」
「そうだったんですか」
ローガの身の上話を聞くのは初めてだ。
そんな家のために、一攫千金を狙おうとしていたということか。
「さっさと金を工面して帰らねえとなんて思ってたんだが、まさか魔王退治をする羽目になるとは思わなかったぜ」
「手紙を送ったりとか、していないんですの?」
「したさ、セントジオガルズにいた時に。ただ、都合で武闘大会が遅れてるって言っただけだ」
魔王を倒しに行く話も、当然バラン云々の話も伝えてはいないということだ。ローガの母親は、未だにローガがラクロールにいると思っているのだろう。
「なぜ正直に言わないんだ?」
「余計な心配かけさせたくないからさ。魔物と戦ってますなんて言ったって不安がらせるだけだろ」
「まあ……それもそうだとは思うが」
魔物の恐ろしさは、二十半ばを超えた人間ならばみんな知っている。
十五年前、魔王が魔物を世界中に解き放った時、人々はみな生きていることに恐怖した。
その恐ろしさの余り自ら命を断つものも珍しくはなかった。
それでも果敢に生きようとした人もいて、そんな生きることを諦めなかった人たちが、今の時代を築いている。
……俺の……このクローム・ヴェンディゴの父母もそうだった。
幼いころに聞いたことがある。自分たちが子供の時の話を。
魔王によって支配されかけた世界。人里を離れれば――いや、例え町中にいたとしても魔物に襲われかねなかった魔の時代。
親兄弟を失うことは珍しくなかった。友人と一日会わなかっただけで、その後二度と顔を合わせることが出来なくなったという。
それでも人々は生きた。生きて、明日を願った。
そんな世界を――俺は、救った。
だが、今再び世界は混沌にまみれつつある。
この話をした時、父さんも母さんも酷く悲しそうな顔をしていた。
もう二度と、あんな顔を見たくはない。
それはきっと、ローガも同じなのだ。あの時代に生きた人は、魔物と聞いたらみんなあんな顔になる。
「まあ、要はさっさと片付ければいいんだよ。だからほら、急いでくれやイルガちゃんよ」
そう言って、ローガはイルガの背を叩いた。
故郷よりも、親の顔よりも今は、大きな目的のために。
俺も……長らく父さんや母さんや、先生には会っていない。
指名手配のせいで、きっと心配をかけてしまっている。むしろ俺の方こそ、一度帰ったほうが良かったかもしれない。
……だが、俺はもうソルガリアに向かってしまっている。
今更振り向くことはしない。
今はただ、前に進むだけだ。




