第百八話 破れぬ防御
「はああァァァアッ!!」
溢れる血を抑える手に、魔素を送る。
魔剣術でなくともわずかに使える魔術。ごく単純に炎を生み出すそれを、俺は傷口目掛けて発動した。
「ぐぅぅぅぅ……ッ!」
肉が焼ける。傷口が溶ける。
目の奥で何かがはじけ飛ぶ。ともすれば吹っ飛んでしまいそうな意識を、歯を食いしばって繋ぎ止めた。
「な……!」
剣を交えて初めて見せる、リハルトの焦りの表情。
無理もない。自分の身体を自ら焼くなど、狂気の沙汰以外の何物でもないだろう。
だが、おかげで傷は塞がった……!
「さあ……続きと行こうか……!」
血が焼け固まった手で、剣を握り込む。
傷こそ塞がったが、痛みが消えたわけではない。
だがこの傷は、この痛みは俺の判断ミスが生んだものだ。
リハルトという強敵相手に、出来れば殺したくないとか、バランを追うために手早く倒そうとか、そんな甘っちょろいことを考えた俺自身の責任によるものだ。
だから俺は……リハルトを殺す。
その覚悟を持って、戦う。
あの鎧が魔術を弾くのならば、俺の最大の魔剣術を叩き込んでも死にはしないだろう。
だが、それでも死んでしまうかもしれない。殺してしまうかもしれない。
俺は、それを躊躇しない。
「……ようやく、本気になったか」
剣を構え、リハルトは口元を浮かばせる。
本気になった?……ふざけたことを言うな。
「私は初めから本気だ。ただ……命賭けになっただけだ」
ただの本気では勝てない。
自らの命を、そして相手の生命を考慮しない戦い方をする。
勝つために。
「行くぞ……リハルト……ッ!」
この状態では長くは戦えない。
勝負は一撃で決まる。
ならばこの一撃に、俺のすべてを賭す。
先程よりもかなり重さを感じる剣を、肩に担ぐように構える。
残る魔力をすべて、ジオフェンサー一本に注いでいく。
かつての仲間から託されたこの宝剣に、俺の残る命を預ける。
「気を付けろよ……。こいつは、一筋縄じゃあいかないぞ……!」
ジオフェンサーに注がれた魔力は、女神ティムレリアの力によって増幅されたものだ。
さらに魔法石の指輪を通し、ジオフェンサー自身の効力によってまたさらに膨れ上がっている。
これだけの魔素を注いだことは、いまだかつてない。
どんな威力が出るか……もはや、俺自身にもわからない。
上級を超え、最上級術……いや、禁術級の破壊力を生み出してもおかしくはないだろう。
もしそうなれば……リハルトは跡形もなく消し飛ぶか、そうでなくても死は免れまい。
だがもはや躊躇いはしない。
俺のすべてを賭けた……最後の一撃だ。
「ちっ……」
俺の覚悟を悟ったか、リハルトが迫った。
危機を察知し、その前に潰そうとしているのか。
「ぐっ……!」
首を刈ろうと鋭く振られた剣を、地面を転がるようにして回避した。
やられるわけにはいかない。
これで……決める!
「ああああああああああああああああああああああッ!!」
俺の魂をすべて注ぎ込んだ魔剣術……!
受けてみろッ!!
「煇け! 焔煌!『業焔滅斬』ッ!」
全てを飲み込む地獄の暴炎。
それはもはや、剣に纏った魔術ではなく、それ自体が生きる魔物のように牙を剥く。
「――……っ!」
あらゆる全てを飲み込まんほどの暴力の奔流。
いくら魔伏せの剣でも、これを切り払うことなど出来やしない。
豪炎は剣を振るったリハルトを、容赦なく飲み込んで、燃え上がる。
――俺の勝ちだ、リハルト……ッ!
「……っは……!」
糸の切れた人形のように、俺の身体も倒れ伏す。
もはやすべての限界を超え、ただ立ち上がることも出来やしない。
だが……俺は勝利を得た。
奪いたくはなかった命。だが……そんな考えではむしろ、こっちの命が危なかった。
魔王を倒し、世界を平和にするためには、これで……よかったんだ。
これでよかった、よかったんだ……。
自分を納得させるように、頭の中で何度も反芻する。
そんな、俺の耳に……それは、聞こえてくる。
「……ぐ……」
呻き。
生きているのか。
――俺の脳裏に浮かぶ一瞬の不安。
並の人間が生き残れる威力ではなかった。
未だ魔炎が燃え上がり、その身を包んでいるのだ。
いくら魔力を打ち消す鎧を着、魔伏せの剣で切り払ったとて……無事で済むはずがない。
仮に死ななかったとしても致命傷。意識があるはずがない。
ましてや、動けるはずが……。
「く、くくく……」
だと言うのに、笑い声が聞こえてくるのは、なぜだ。
「はははは、ははははははっ……!」
嘲けるような高笑いが聞こえてくるのは――なぜだ……!
炎の中から、何かが歩み出てくる。
身体に巻き付けているのは、肩から下げていたマントか。
「なるほど……確かに、恐ろしい威力だ。余程の魔術師でもこれほどの魔術は使えまい。だが――」
マントは周囲が焼け焦げ、黒ずんでいる。しかし燃え切ってはいない。
あれだけの炎の中で、燃え尽きていないのだ。
まさか。
「このマントも対魔仕様だ。……剣士にとって、魔術はいくら対策しても恐ろしいものだからな」
十重二十重の防御。リハルトは……恐ろしいほどに優秀だった。
俺個人への対策というわけではないだろう。バランの部下として、いつ危険な目にあってもおかしくないという考慮からくるものだ。
相手が剣士ならば実力で、魔術師ならば剣、鎧、マントの三重の防御で対応する。
俺はその策にまんまとハマったわけだ。
……すべてにおいて、リハルトは俺を上回っている。
打つ手は――ない。




