第百四話 幻影
「――『電光石火』!」
雷撃を放ち、牽制する。
近づけさせるものか。
この輝きこそが、俺たちに勝利をもたらしてくれるのだ。
「ぐ……」
光がさらに増幅される。
背を向ける俺でさえも目映いほどの光量に、リハルトも目を細めて後退する。
そして、光が講堂全体を包むほどに広がった後……視界は晴れる。
瞬間、ざわめきが空間を支配した。
「今のは……?」「あ、あれ、なに!?」「み、ミリアルド様が……!」
衆客の声が届く。
その視線は一斉に……バランの脇に立つミリアルド……いや、ミリアルドだったものに、注がれている。
「ぬぅ……」
バランが苦悶の表情で唸る。
「こ、この姿は……!?」
さらに、ミリアルドだった当の本人すらも、自身の変貌に戦慄していた。
「バラン! それこそ、あなたが己が欲望のために教団支配をもくろむ何よりの証拠!」
ミリアルドが声を張り上げる。
俺たちの前に現れ、ミリアルドに冤を被せたそれは――人の形をした、黒い影のような物体だった。
人の骨に、黒い影が肉のように纏うそれは、明らかに魔術の類で作り上げたものだ。
「さて……私たちのことを狼藉者だと言ってくれたな。神官様の偽物を作り上げ、本物を追放しようとしたお前と……どちらが、真に狼藉者かな?」
これで、俺たちの立場は逆転した。
バランが神獣鏡へのカウンターを用意しているなどというのは杞憂だったようだ。
こうもあっさり逆転できるとはな。
「ば、バラン殿……ぼ、僕は一体……これは、なんなのですか!?」
影となった偽のミリアルドが狼狽する。
……様子がおかしい。
偽物だと暴かれたことを焦っている……そんな風ではない。
まるで、自分の身に何が起きたかわかっていないかのようだ。
「……なるほど、古代の神器を用いたか。それは、予想外だったな」
そして、自身の悪行をこれだけの民衆に曝されたバランは、未だ余裕を見せていた。
「バラン様が……そんな……」「じゃ、じゃあ、あの手配所も……」「あっちのミリアルド様が本物ってことなの……?」「俺たち、騙されてたのか!?」
聴衆はすでにバランを見限りつつある。
どのような策を講じてもこれを覆せるとは思えない。
なのに、この飄々ぶりは一体……?
「ば、バラン殿……!?」
「五月蠅いぞ、幻影よ」
バランに擦り寄ろうとする影のミリアルドに、その言葉と共に手をかざす。
すると、影は突然張り付けになったかのように拘束された。
「な、何を……!」
そして、下卑た笑みを口元に、怖気が走るような目線を俺たちへと向けた。
「観念しなさい、バラン! 今ならば、まだ……」
「滑稽ですな、神子殿」
降参を勧告するミリアルドへ、バランはそう告げる。
「あなたはどうやら、こんな小細工で我が輩に勝ったとお思いのようだ」
「何だと……?」
すでに多数の人間にその醜悪ぶりが見られているのだ。
仮にこの場を逃れても、もはや元の神官位には戻れまい。
だと言うのに、バランは何を考えているのか。
「この状態で、どうやって逃げ仰せるというのですか」
「逃げる?……そうですな、確かに、我が輩は逃げます。だが……ただ逃げるというのではない」
何をする気だ。
神霊術で攻撃か? その可能性を考え、俺は剣に魔力を送る。
「例え逃げても、今度指名手配されるのはあなたの方です! 捕縛されるのは時間の問題なのですよ!」
「そうですな。神子殿と違って我が輩は、長期間逃げ続けることなど出来やしないでしょうな」
そうだ。
俺たちがうまくセントジオまで逃亡できたのは、目撃者がほとんどいなかったことが大きい。
これだけの人数がこの様子を見ていれば、その情報の伝播は恐ろしく速いだろう。
それに、バランにはセントジオという逃げ道もない。
逃げ込もうものなら、セントジオガルズ直衛の国防軍が奴を捕らえるだろう。
バランはもはや詰みの状態のはずだ。
だというのに、俺は……何かを、怖れていた。
何もできるはずはないと、一方では考えているのにも関わらず。
「……っ……」
冷や汗が首筋を垂れていく。
先ほどから、不自然なほどにリハルトが動かない。
守護するべき相手が危機にあるというのに、なぜ。
それに、束縛した影のミリアルドもだ。
造り物と判明したそれを、なぜ拘束し、留めておく?
もはや使い道などないだろうに。
……それとも。
「神子殿。確かに指名手配されれば我が輩は逃げられんでしょう。しかし、一つお考えくだされ」
「何を……?」
バランはねばついた声で何かを告げ始める。
「手配書を作るには、誰かがそれを王国に申告せねばなりませぬ」
国中に手配書をばらまくには国の許可がいる。
王都ソルガリアにいる国王に、バランこそが虐賊だと報告しなければならない。
それが、何だと……
「ならば……この事実を知るものが一人もいなければ……どうなりますか、な!」
バランが影のミリアルドにかざしていた腕を持ち上げた。
引かれるように、拘束された影の体も持ち上がる。
そして、中空に留まったそれは突然、まるで風船のように膨らみ始めたのだ。
――まさか!
「バラン!」
バランは下衆の笑みを浮かべながら反転し、俺たちが入ってきたのとは逆の扉から、講堂を脱出しようとしている。
その企みを阻止せんと、俺は駆けだした。
しかし、それを抑えたのがリハルトだった。
先ほどミリアルドを狙ったのを止めた時とは逆の構図となって、リハルトは俺の進撃を止める。
「どけぇッ!」
「ふっ」
「ぐふっ」
剣をさばかれ、肩からのタックルで押し戻される。
その隙にリハルトは踵を返し、奥の扉から講堂から逃れていく。
「ぐ、待て!」
「ダメです、クロームさん!」
「ッ!」
中空の影が渦巻き、高熱を発し始めている。
あれは……爆弾だ。
魔力か神霊力が大量に込められたそれが爆発すれば、この講堂にいる人間はすべて、粉々に吹っ飛んでしまう。
「に、逃げろ!」「扉が開かない!」「いや、死にたくない!」「誰か……助けて……!」
講堂の後ろにある聴衆が出入りする扉も閉じられている。
バランが入信者を逃がさなかったのは、俺たちを目の前で捕らえ、権威を示すためだけではなかった。
万が一の場合、目撃者をすべて消す目的もあったということか……!
爆弾がさらに膨れ上がる。
ダメだ、もはや逃げる時間はない。
爆弾が――破裂する。




