第百話 憩いの船上
セントジオガルズ港からソルガリア大陸へと向かう船が出航する。
その船室へと案内された俺たちは、荷物をそれぞれの部屋へと置いた後、甲板に集まっていた。
「いい天気ですね」
潮香る青空を見上げ、太陽の光を目一杯金髪に反射させながらミリアルドが言う。
「目的さえ違えば、文句なしの船旅なんだがな」
これからのことを考えると、この景色を素直に楽しむことは出来ない。
しかし、それならばすべてを終わらせてから楽しみに来ればいい。
それが出来るほどの距離まで、俺たちはやってきたのだ。
「にしても、速え船だな」
流れる景色を見ながらローガが言う。
確かに、セントジオ大陸に来たときの貨物船と比べるとかなりの速度が出ている。
あちらはただの帆船だったが、この船は王国由来というだけではない理由で、かなり豪勢な造りとなっているようだ。
支柱が立ち、ソルガリア王家の紋章が描かれた帆こそ張られているが、速度は帆船のそれを遙かに超えている。
「この船は魔術帆船キング・トリニスタン号ですわ」
自国の船を自慢したいのだろう、サトリナが手を腰にやって自信満々に答える。
「んだよ、それ」
「トリニスタン王は、お兄様から五世代前の王。駿馬に乗り風のように戦場をかけたことから疾風王と……」
「そっちじゃねえよ。魔術なんちゃらって方だ」
説明を邪魔され、若干不機嫌にむくれてみせるが、サトリナは咳払いしてから改めて続けた。
とりあえず、名前の方はそういった理由からのようだ。
「この船には我が王国お抱えの魔術師が多数乗り込んでいますの。彼らが魔術で起こす風でこの船は進んでいるのですわ」
「人力の魔機ってことか」
あれは魔力を使って機械を動かすものだが、こちらはあくまでも風を起こしているのは人間だ。
魔術師に負担はかかるが、確かに自然風よりかなり速い。
「魔機船の開発も進められていますが、実用化はまだまだですわね。機械では、船を進めるほどの風はまだ起こせません」
この船を動かすにもかなりの人数の魔術師が動員されているのだろう。
魔導列車のように魔石を使って車輪を回すのとは違い、風という自然を操るには、未だ技術不足というところか。
「教団を取り戻せれば、僕らの技術を分け与えることも出来ます。そうすればその魔機船も完成するかもしれませんよ」
「それはいいですわね。ますますやる気が出てきましたわ」
ティムレリア教団は飛空艇という、空を飛ぶ魔機さえ造り上げている。
セントジオと教団が協力すれば、更なる発展が望めると言うことか。
「しかし……疾風王より速い船が出来てしまったら、名前の方はどうしたらよいのでしょう……?」
「……暢気なものだ」
そんな会話を見聞きして、イルガが呆れたように呟いた。
確かに、昨晩や今朝の緊張感はどこへやらといった風だ。
「ガチガチに固まるよりはいいさ。……イルガ、君は今の内に休んでおいた方がいいんじゃないか? 明日は大変だぞ」
「ティガ族の体力を舐めるな。己れはセントジオから直に飛んでいくことだって考えていたからな」
得意げに言い、イルガは勇ましく笑ってみせる。
なんとも頼もしいが、それでは乗る側の俺たちの方が参ってしまう。
「お前こそ休んでおかなくていいのか」
「ああ、平気だ。それに、今は人を待っているからな」
「人?」
昨日から、ちょっとした頼みごとをしておいてある。
船に乗り込む時に聞いてみたらもう少しだと言うので、出来次第甲板にと伝えてあった。
そろそろ来るはずだ。
と、ふと目を向けると、船内の方から現れる人影が見えた。
噂をすればなんとやらだ。
「クロームさん!」
満足げに笑顔を見せながらやってきたのは、胸に白い布地を抱えたクリミアだ。
船の上ということで当然だが、鎧を脱いだ普段着のクリミアさんを見るのはなんだか珍しい。
「ようやく出来ましたよ!」
「ありがとうございます。……ミリアルド、ちょっと来てくれ!」
クリミアさんからのそれを受け取ると、俺はサトリナと話し込んでいたミリアルドを呼んだ。
「はい、なんですか?」
「プレゼントさ」
受け取ったその白い布地を、ミリアルドの目の前で広げて見せた。
それを見て、ミリアルドの丸い瞳がさらに丸くなった。
「これ……僕の、法衣ですか?」
白地に金の装飾と刺繍を縫いつけた、ティムレリア教団神官の法衣。
ソルガリアから逃げるために脱いだそれが、今俺の手の内にあった。
「ああ。これから神官の座を取り戻すってんだからな。格好だって今のままじゃな」
あれからずっと、ミリアルドは俺のものだった上着を着込んだままだ。
しかし、これからは三神官の一人、ミリアルド・イム・ティムレリアとして再び活動しなくてはならない。
まずは格好から、元の姿に戻らなくてはと俺は考えたのだ。
「前に着てたのもあったんだが、やはり汚れてしまっていてな。クリミアさんに頼んで、一から仕立て直してもらったんだ」
おかげできらびやかなあの服が戻ってきた。
これを着ていないと、いざ神官の位に戻っても締まりがない。
「ありがとうございます、クロームさん、クリミアさん!」
「どういたしまして。そこまで喜んでいただけるならがんばった甲斐がありました」
一昨夜に頼んで、飛び立つ前の日までと頼んでいたのだ。
恐らく寝ずに仕立ててくれていたのだろう。
俺としてもそこまで急いでもらって感謝の極みだ。
出来もいい。元の服と見比べても遜色ないだろう。
「クリミアさんにこんな特技があったとは、知りませんでしたわ」
サトリナが感心して言う。
誰かに頼んでほしいと伝えたところで、クリミアが自分が出来ると言ったときは俺も驚いた。
「実家が仕立屋だったので、ある程度の技術は仕込まれていたんです。軍に入っても、たまに仲間の服を繕ったりもしてたですよ」
おかげで大助かりだ。
魔法石と言いこの服と言い、クリミア一家には助けてもらってばかりだ。
「よっしゃ。ミル坊、早速着てみろよ」
「はい」
ローガに催促されて、ミリアルドはいそいそと法衣に袖を通した。
サイズも申し分ない。
かつて、ソルガリアで出会ったままのミリアルドが、久しぶりに俺の前に現れていた。
「ああ、なんだか懐かしいです」
「着心地はどうですか? 元の法衣はかなりいい布を使っていたみたいで、同じものは手に入らなかったんですが……」
「いえ、素晴らしいです。本当にありがとうございました」
満面の笑顔を浮かべてミリアルドは改めてクリミアに礼を言う。
ヴェンディゴの家も染織屋だ。俺もこう見えて布の善し悪しには詳しい。
元の法衣は最高級の糸を使って織られた布を使っていた。
それに比べれば確かに、新しく作ってもらったものは一つ落ちるが……それでも十分高級なものを使用している。
着心地の悪いはずがない。
「なんだかやる気がでてきました。みなさん、がんばりましょうね!」
ミリアルドも意気揚々と張り切っている。
この服を格好だけのものとしないよう、絶対に作戦を成功させねばならない。
やってやる。
心の中でそう思って、俺たちは海上の旅を続けた。




