第九十七話 悪行三昧
「どうしました?」
「そのバラン・シュナイゼルという男についてなんですが……こういう手紙が、ソルガリアの友人から届きまして」
クリミアは懐から取り出した便箋を俺へ手渡した。
私的な手紙のようだ。
「ソルガリアへ出向している友人と文通しているのですが、そこにバランの名が出てきたんです」
ソルガリアに……そういえばさっきの新聞は週にまとめて送っていると言っていた。
他国の情報を集める諜報部隊なのだろう。
「それは……悪い意味合いで、ですか?」
「はい。神官バランの悪行についてでした」
バランの悪行。
なるほど、クリミアがここに呼ばれたのは、事情を知っているというだけではないようだ。
バランについての情報は、俺たちの武器になる。
「どんな内容だったんですか?」
ミリアルドの問いに、クリミアは真剣な表情で答えた。
「文通相手のさらに友人が、ティムレリア教団の一員なんだそうです。その方はとても温厚で、優しい人だったんですが……」
だった、という言い方。
その後の言葉が多少予想できて、嫌な気分になる。
「ここ最近、性格が豹変する時があるそうなんです。急に苛立ち始めたり、かと言えば元の性格に戻ったり……ひどい時には、声をかけても無視されたとか」
「理由はわかっているのか?」
「詳しくはわからないそうです。でも、そんな風になったのが、その方が神官バランと直接会うようになってから、だそうなんです」
バランと直接会う……?
本来なら、三神官は教団の幹部。ただの入信者は滅多に会うことなどできないはずだ。
言い方からするとその人は複数回バランと会っている。それだけで充分すぎるほどに怪しい。
「最近その状態がさらにひどくなって、うつろな顔で、まるで何かを求めるかのように毎日教団に通っているとか」
……ずいぶんと臭い話が出てきたものだ。
バランが何かをしでかしたのは確定だとして、それがいったい何だと言うのか。
こういう時は、事情通に聞くに限る。
「ミリアルド、何かわかるか?」
「……一つ、心当たりがあります」
やはりだ。
ミリアルドは本当に優秀だ。
「なんなのでしょう?」
「月岩塩と呼ばれるものです」
クリミアの問いに、ミリアルドは即座に答えた。
だが……岩塩? 一体なんだ?
「ソルガリア大陸のある山で採掘できるものです。夜になると、差し込む月光を反射して青く煌めくことからそう言われてるのですが……」
「何か問題があるのか?」
「ええ。……月岩塩には、非常に高い中毒症状があるんです。一度口にしただけで、その後狂ったようにそれを求めるようになると言います。」
「要は、麻薬ってことか……」
ソルガリアでそんなものが採れるなんて、聞いたことがない。
いや、そもそも秘匿されているものなのだろう。
そんなものがあると広まれば、様々な輩が採掘しに行くに違いない。
その存在を知るのは一部の人間のみ……恐らくはバランも、その一人だったのだろう。
「それじゃあこの方は、麻薬の中毒症状に冒されて……」
驚愕し、目を見開いてクリミアは言う。
俺も同じ気持ちだ。
「恐らくですが。きっと使用した料理を振る舞いでもしたのでしょう」
敬虔な信者を呼びだして、親睦を深めるとでも言って、麻薬を使用した食事を与える。
知らず知らずの内に、体を破壊されていたということだ。
なんと卑劣な……!
「ミル坊、なんでバランがその岩塩を使ったって思うんだ? もっと別の、ありふれた薬かもしれないぞ」
「月岩塩の恐ろしいところは、砕いてしまえば通常の塩や岩塩と見分けがつかないところです。どれだけ警戒しても、料理に混ぜられたら見抜くことはできません」
ただの麻薬を飲ませるよりも簡単で、しかも効果は高いと来れば使用しない手はない、ということか。
「それに、本来なら月岩塩の管理は僕の仕事でしたから。偽者を使って僕を追い出したのなら、やりかねません」
「教団の実権を握る以外にも理由があったのか……」
クリミアさんは不安そうな顔で手紙を握る力を強めている。
不本意に麻薬を飲まされた人のことを考えているのだろう。
「神官バランは、なんでこの方に月岩塩を与えたのでしょうか……」
「わかりませんね。……というより、可能性がありすぎて絞れない、という感じですが」
バランの行為を理由を問うクリミアさんに、ミリアルドは申し訳なさそうに首を振った。
信者の支配、金を搾り取るための脅迫、純粋な悪意、中毒症状の実験……いくらでも考えつく。
一つわかるのは、バランを許してはおけないということだ。
「神官バラン・シュナイゼルが非道な人間だということはよくわかった。他国のこととはいえ、放ってはおけないな」
クリスも静かな怒りを燃やしながら言う。
ティムレリア教団はソルガリア大陸以外にも足を伸ばそうとしている。
いずれはこのセントジオ大陸にもやってくるだろう。
そうなれば、クリスも無関係ではなくなる。
その芽は早い内に潰しておかなければならない。
「いつ出る気なんだ?」
「準備が出来次第と思っていたが……陛下、今すぐ動かせる船はありますか?」
イルガの問いに答えるには、クリスの……このセントジオガルズの協力が必要だ。
いくら空を飛ぶことの出来るイルガとは言え、何日も飛び続けることなど出来ない。
そのために、まずは海路を渡る必要がある。
「高速船を一つ用意してある。乗船員の都合もついているから、発とうと思えばすぐにでも可能だ」
「ありがとうございます、陛下」
さすがクリスだ、とでも言おうか。
こちらが計画を話す前から用意してくれていたのは非常にありがたい。
飛竜形態のティガ族の体力に関してなら、俺やクリスは多少の知識があるからこその芸当だろう。
「船を使うのか?」
「ああ。ある程度までソルガリア大陸まで近付いて、そこからイルガの力を借りることになる」
港に入れば、教団の神聖騎士たちのチェックを受ける。
そうなれば、俺やミリアルドは一発でお縄だ。
そうならないようイルガの力を借りたのだ。
「よし、それなら……急な話だが、明日の昼には出航だ。そうすれば、明後日の朝にはソルガリア近海だ」
そこからイルガに乗ってティムレリア教団に向かう。
その日の午後には突入できるだろう。
つい今グレンカムから帰ってきて、疲労も抜けきってはいないが急いだ方がいい。
下手に時間をかけて、バランがまた余計なことをしでかさないとは限らない。
「となると……ちょうど、集会の日になりますね」
ミリアルドが言う。
「集会ってなんですの?」
「月に一度、僕ら神官や、他の幹部が講演をするんです。入信者の方々が集まるので、ちょっとした騒ぎなんです」
楽しそうに笑いながらサトリナへと教え込む。
騒ぎなどとは言いながら、きっとミリアルドはその集会が楽しみなのだろう。
「バラン・シュナイゼルも当然出席しますが……無関係の人々がいる中で暴れるのは、少々気が引けますね」
「それもそうだが……奴だって私たちを公衆の面前で処刑しようとしたんだ。お返しだ」
もちろん、無関係な人々を巻き込みやしないよう努力する。
そのための策も考えなければならないな……。
「では、明日に備えて今日は解散としようか」
「はい、わかりました」
クリスの言葉に頷いて、俺たちはこの間まで泊まっていた部屋へ、再び案内された。
サトリナは自室へ戻り、部屋には俺とローガ、ミリアルドとイルガの四人が集う。
間もなく夕食が運ばれてきて、美味しい食事で腹を満たすと、みんなは早々に眠りについていた。
だが、俺は。




