14.アウレリア
項垂れているシルバーの姿は、まるで途方に暮れた子供みたいだな、と思う。
さっきもそんなことを思った。あの白い魔物に思ったことと同じことを思うなんて、おかしなことだ。
この不思議な空間の、幻想的に輝く宝石みたいな石の光を浴びて、彼の銀髪が煌めいている。
彼の姿は、息を呑むほど美しい。神様は人間にこんなにも美しい造形美を授けてくれた。だからこそ人買いに攫われて、身分の高い人たちの元で好きなように虐げられてしまった人。
あの魔物と似ているのかもしれない。人間を好きになった魔物。けれど人の世界は魔物の場所じゃなかった。最後には魔物の力を使うために使役されていた。
本人の想いや意志など、ぐちゃぐちゃに踏みつけられて、粉々に砕かれて。
――この人は、私に向けて語っていないわ。
ずっとそう感じていた。
この落ちるところまで落ちた場所で、自分自身に絶望して、ただ想いを吐き出したかったんだろう。
頼りなさげに肩を落とすその姿は、守ってあげたい子供に見える。
見ているだけで胸が痛くて、そうして……どうしようもなく抱きしめたくなってしまう。
――この人に、優しくしたい。
心の底から湧いてくる強烈な程のこの想いはなんだろう。
なにも見返りを求めてるわけじゃない。ただ、泣かないで欲しい、笑って欲しい、苦しまないで欲しい。
私はなぜか、シルバーにそんな想いを抱いてしまっている。
魔物に感じたように、本当に幼子のようだと思ってるわけじゃない。
シルバーは格好が良すぎる男性だし、ここに落ちてからずっと、私は彼にドキドキとしている気がする。
私の知ってるシルバーは、信じられないくらい強くて、皆に尊敬されているS級の冒険者。
どう見ても男性としてとんでもなくもてるはずの人で、自由に生きられる術と手段を持っていて、きっと多くの人に羨ましがられているんだろう人。私を女性として相手にすることもないだろうから、そんなことを望んでない。
でも、この人は、たった一人、この地の底に落ちるのを助けてくれた人なのだ。一緒に落ちてくれた人なのだ。
――『いいか!?聞け!!お前ひとりなら、死ぬ!俺なら助けられる!いいから黙って、助けられておけ!!』
あの時の台詞を思い出すだけで、泣きそうだ。
あの時の彼のあの行動は、きっと過酷な運命を背負って来た人だから出来たこと。
とんでもなく強くて、なのに優しくて、信念もあるのだ。
こんな凄い人他にいない。
それを、少なくとも私だけは知っている。
きっともう、こんなにも強い心を持った人には、私は出逢うこともないだろうと思う。
それを伝えたいのに、どう言葉にしても、彼に伝わる気がしない。
伝わったところで、だからどうしたと思うだけなのだろうと思う。
彼はこんなにも強くて、優しくて、凄い人なのに。
――もうきっと、希望も、ないのね。
自分の意志ではなく落ちるところまで落とされて。
知らぬ間に『名前』も奪われた。魔法でも呪いでもない。その運命が彼自身を変えてしまったという。
――永遠に続く苦しみの記憶。
そんなものがあるのだとしたら、抱えて生きていくにはどうしたらいいのだろう。毎夜耐えられない苦しみに襲われる。それこそ絶望というのだろう。
人と世界と運命を呪って。
だけど思い出せない自分自身を一番に呪って。どう生きたらいいのだろう。
かける言葉も見つからない。
彼の素晴らしさを知っているのに。なのに、それを伝える言葉も持たなくて、伝えたところでなんの慰めにもならないのが分かっている。
傷だらけの小さな子供のように落ち込んでいる、この人の助けになれはしない。
「ねぇ、シルバー……」
私の言葉は響いているんだろうか。
きっと、今目の前に私がいることなんて、忘れているんだろうと思う。
彼にとって私の存在は、行きずりの保護対象でしかないのだから。
「……助けてくれてありがとう」
陳腐な言葉を、紡いでしまった。
こんな浅はかな言葉しか出てこない自分に悲しくなる。
「私に出逢ってくれて、救ってくれてありがとう。あなたがいなかったら、私生きてないのよ」
この気持ちは本物なのに、何も伝えられてなくて悲しい。
「こんな谷底に一緒に落ちてくれるような人、世界にたぶん、あなただけだと思う」
シルバーはピクリとも動かない。
「死ぬ運命だった私を助けてくれようとした。きっとあなた、助けられると思ったのよね。自分なら、自分も相手も守れるって。だから一緒に落ちてくれた。積み重ねた経験からくる自分に対する確かな信頼。そしてそれを裏付ける強さも持ってる。……凄いことだわ」
この声は聞こえているのだろうか。
「でもでもね。シルバーはもっとすごいのよ。……こんな危険な場所にいても、他人を見捨てない心を持ってるの。知ってる?私が目を覚ました時、あなた魔物から私を守るように抱きしめてくれていたわ。そんな人いる?ただの行きずりの価値のない女を助けようとしてたのよ?あなたみたいに心も体も強い人を私は見たことがないわ」
声が、泣きそうに震える。
「私、たぶん、心のどこかで誰のことも信じられなくなっていたの。こんな谷底に落とされて、助けて欲しいと手を伸ばしても誰も助けてくれなかったから。だからもう一人で生きなくしかないって覚悟を決めて。たまにほんの少し助けて貰えるだけで有難いことだと思ってて。なのに。私がこんなところに……人生で一番深く落ちるところに、付き合ってくれた人がいた。嬉しかった。心のどこかの、何も信じられなくなってた私の心が……たぶん、救われたの」
涙が、零れる。
「あなたが生きていてくれたから、私は今生きているのよ。助けてくれて、本当にありがとうございます!シルバー……っ」
ボロボロと涙が溢れ出してしまう。
そんなつもりもなかったのに止められなくて、次々と溢れてきて、嗚咽してると、シルバーがやっと顔を上げた。
「……何で泣く」
か細い声で彼は言った。
「だって」
何も伝えられないから。
「……同情か?」
視線を逸らしながら彼は言う。
「ち、違う。違うわシルバー」
「姫さんとは俺は住む世界がちげぇんだよ」
「そりゃそうよ。私はあなたほど強くないわよ」
「……」
「だってあなた……実は貴族の落としだねだとか、隣国の王子様だとかじゃないのよ。あなた自身の力でそんなに強くなったのよ」
「あん?」
「自分と誰かを守れる誰より強い心を持ってる。こんなところまで一緒に落ちた私は、あなたが世界で一番強い人だって知ってるのよ!私とは全然違うわよ」
「……なんだそりゃ」
私が興奮気味に言うと、最後にはシルバーが笑い出した。
皮肉気な乾いた笑いだったけれど、それでも彼の顔色に生気が戻って来た気がした。
彼の笑いが収まって、少し沈黙が落ちてから、私の涙も止まった。
泣いたり興奮したり、なんだか恥ずかしくなって、誤魔化すように私は言った。
「……トマスさんたち、どうしてるかな?」
「探してんだろうなぁ、無事だと良いが」
「私はどれくらい気を失ってたの?」
「一時間くらいか?基本的にお前の魔法が守ってくれていた。俺は余計な障害物をよけたくらいだ。……治癒も掛けられた。助かったのはこっちだ」
「こちらこそありがとう……」
もう、普段のシルバーの顔つきに戻っていた。
感情が読めなくて、人形のように美しい相貌。
「シルバー、ここを出ましょう」
「ああ」
「トマスさんたちを探して……」
「王都に行かなきゃいけねぇなぁ……」
「……」
きっとあの魔物は王城を目指したのだろうから。
先に立ち上がったシルバーが私に手を貸してくれた。
伸ばされたその手に捕まる。立ち上がってから手を握ったまま考える。
戦いを知る彼の大きな手。この温かさを感じられるのはきっと今だけなんだろう。
そうして私は、彼の顔を真正面からじっと見上げた。翡翠色の、聡明な光を宿す彼の瞳を覗き込む。
私はきっと、1番に綺麗なのは、その輝きを失わなかった彼の強い心なのだと思う。
いつにない私の様子にシルバーが瞳を揺らした。
「シルバー」
「……なんだよ」
私は覚悟を決める。
「あなたは、私の世界で一番強い人なの。落ちていく私に手を伸ばしてくれたあの時、私は恋に落ちました」
「…………は?」
そうして私は握ったままの彼の右手を、両手で強く握り締めた。
「シルバーが好き。大好き!あなたを世界で一番好きです。シルバー」
笑顔の私を、シルバーが驚いたように見返している。
「…………はぁぁ!?」
そうしてそれはもうものすごい勢いで手を振りほどかれた。
呆然とした表情をしてから、眉間に皺を寄せる。
「ふっ……ふざけてる場合か!? 姫さんよぉ……」
「ふざけてないわ。本気よ。いいのよシルバーは答えなくて。でも伝えさせて。帰り道ずっと、伝えるわ。私は、あなたが、大好きなの。世界で一番」
ものすごーーく日頃ないほどに、シルバーの眉間の皺が深くなる。
疑われている。信じられてなんていない。なんなら不快に思われてる。
だけど私はどうしても伝えたくて。
ここを出たら……きっと私たちの運命はもうすれ違わないのだろうから。
あなたの存在が、私を救ってくれたんだって。
あなたを世界で一番愛おしいと思う人がいるのだと、どうか知っていて欲しいと、私は思ってしまったのだ。
「大好きよ、シルバー」
全く信じられていない台詞を、もう一度、私は笑顔で言った。
シルバーは難しい表情をしてから、深くため息を吐いた。




