12.二人きり
膨大な情報に埋もれていたと思う。
ふっと、急に視界が現実に戻る。
目の前には、端正な顔立ちがある。息を呑むほど綺麗な男の横顔。そうだった。恐ろしくて彼にしがみついていたのだ。
シルバーもハッとしたように瞳孔を開いてから私を見る。
「……………」
「……………」
暫し見つめあってしまう。
彼もあの世界に飛ばされていたのだろうか?探るように私を見つめている。
「お前は……今の、は……」
「…………視たの?」
「…………あぁ」
私だけではなかったみたい。なんだかとんでもないものを見てしまった気がする。
あれはたぶん……あのジュードという人は、だってきっと……。
「ジュード・オブリアン……?」
私の呟いた言葉にシルバーは答えない。嫌そうに顔を顰める。代わりのように魔物が答えた。
「そウ、ヨばれテた」
そっと白き魔物を見上げる。
目の前に立つその魔物からは、恐ろしいほどの魔力の圧を感じる。さっきまでは恐怖でいっぱいになったのに、それは薄れて、代わりに心に湧きあがったのは、迷子になって途方に暮れる子供を前にしたような気持ちだった。
そんなことおかしいのに。もう、倒すべき魔物とはどうしても思えないなんて。
「シルバー、話しかけてもいい?」
「……ああ」
少し考えてから言葉を紡ぐ。
「ねぇ……あなたは、ここで生まれたの?ここで、ジュードに出逢ったの?」
「ウん」
やはりあの映像通りなのだろうか。
「じゅうドおもシロい」
「それは400年前のことなのよ。ずっと昔に、私の国の……王様だった人」
歴史書でしか知らない人。
今の王族に顔立ちはとても似ていた。
「おウサマ、ヨバれてた」
「あなたは、今も彼を待ってるの?」
一つ一つ、見たものが間違っていないか、確認していく。
「じゅうド。モウいなイ」
「そうね」
この魔物は、死も理解しているのだろう。
シルバーを見つめれば、彼も顔を顰めて何やら考えているようだ。
「おメェは、封印されたんだな?」
「そウ」
「あの魔方陣は、血の盟約の印なんだな?」
「ウん。じゅうド、イってた」
「血の盟約……」
シルバーが髪を搔きむしりながら呻き声を上げる。
「ちくしょうがっ!! なんでそんなものが俺に!」
――俺に?
驚いて彼を見つめても、彼は頭を抱えているだけだ。
「なぁ……俺にはもう、かかってねぇんだな?何もないんだな?」
『ナにモない』
「……」
シルバーは深く溜息を吐いた。小さく、クソがっと呟く。
「モうイくヨ」
魔物が言った。
私はドキリとして慌てて魔物に聞く。
「いく?どこに?」
「タイくツ。つまラナい。アキた?」
「…………あっ?」
「いく。やっとアイニいける。オイシイオイシイあのコのチ」
嬉しそうに言う魔物の言葉の意味がまるで分からない。
『じゅうドいなイ。おいしイち、アル。アイニいく。ふうインとけタ。モウころサなくてイイ。タノしクないなラ、コんどハ、タベてアゲる』
分からないのに……とても恐ろしい。
『おウと。イク。なんニち。カカる?』
「……あ?」
なんて言った?
王都に行く?これは答えて良いことなの?じっとシルバーの顔を見つめると、彼は息を呑んでいた。
『コたえテ』
「王都か?………俺たちなら10日以上掛かるんじゃねぇか」
『そウ』
それを最後に、その魔物は一瞬で姿を消した。
しまった、と思う。
たぶん、行かせては行かなかったんだと思う。だけど、止める術もなくて……。
シン……と、辺りが急に静かになる。
焦燥感に駆られるけれどどうしようもない。
私たちを包んでいた恐ろしい圧が消えた。
目の前の空間にあるのは、壁一面の宝石の色の光の輝きと、呆然とした様子のシルバーと、彼に抱き着いている私。
あまりに異質なものと遭遇したことが嘘のように、この場所は静まり返っている。
「……ご、ごめんなさい」
彼から離れようとするけれど、強く握りしめていた手を上手く動かせない。まだ震えている。
その指先をシルバーの大きな手が掴むと、温めるようにしてからゆっくりとはがしてくれた。
「大丈夫か……?」
「……怖かった」
ほんの昨日まで、戦うことが楽しくて、自分は魔物ともある程度対等に戦えるんじゃないか、だなんて思っていた。そんな自分を殴り飛ばしたい。
あんなものには到底太刀打ち出来ない。次元が違う存在だ。手を出したら気まぐれにぺちゃんと潰されてしまうだけ。
そもそも魔力で作られた生き物であると言われている。人とはまるで違う存在。なのに人語を解して、人に懐いていたそれは、もう人知を超えたような存在に思えた。
「アレは……魔物なのよね……?」
独り言のように思わず言うと、シルバーが返事を返してくれた。
「……恐らく古代史に残る魔物だ。絶滅したと言われていたが、この場所に封印されていたんだろう」
「そう、そうよね。他に無いわよね……」
でもそれなら。
「あの記憶だと、300年くらい……王国にいたんじゃないのかしら。そんな話全然知らないわ」
「秘匿されてたんじゃねぇのか。血の盟約のことだって知らなかっただろ」
「えぇ……」
王族の血を使った、ある種の支配の契約魔法のように思えたけれど。ん?
「え、もちろん今も続いてるのよね」
「……あんたのペンダントの持ち主もそうなんじゃねぇのか」
私は胸元にそっと触れる。
「光ったわよね」
「あぁ」
「封印が解けたのよね?」
「その石に術者の血の魔力がこもっていたんだろう」
「術者……血の魔力?」
「お前にくれたやつだろう」
「…………」
第二王子フロイド様。
……シルバーが私の婚約者を推測している。
国の第二王子を。
「あの力を持っていた……?」
「……」
「見たことないわよ」
秘匿されているのだろうし、使用しないようにされてるかもしれない。
「……なんで、そのペンダントに、魔力が込められていたんだろうな」
「……」
恐ろしくなって慌てて首から外してしまう。
「も、持ってて! なにそれ、怖いじゃないの!! 気持ち悪いじゃない!」
「オメェよお……。まぁ、証拠だから持っとくか」
顔を顰めながらも嫌々のようにシルバーが受け取り、ポケットにしまって行く。
「封印ってこんなに長く続くのかしらね」
「さぁな。だが、倒せなくて代わりに封印するなんてざらにあることだろ。続かせる方法もあるんだろ」
「そう……」
シルバーは少し考えるようにしてから言った。
「俺は……昔『呪い』を解呪してもらったことがある」
呪い?
「後から知ったことだが、呪いの解呪にはよくあるそうだ。術者本人の魔力を注ぎ込み直せば、解けるものがある。血の呪いなら、別に本人じゃなくても良いらしいな。子供の血でも恐らく解けるんだろう」
「血の……呪い?」
「呪いだと……思ってたよ」
シルバーが暗い顔つきで呟く。
「さぁな噂だ。その血そのものに特殊な力があり、呪いになるやつらがいるらしい。本当なのかは知らねぇ」
「……」
話していると、心が少しずつ落ち着いてくる。
王家の血……。
封印と、呪い。魔物は封印と言っていて、気のせいかも知れないけれど、シルバーは同じものをずっと呪いと言っている気がする。
「それは蒼の宝石なんだろ?そんな色他に知らねぇ」
「ええ、そうよ」
やはりシルバーは王家由来のものだと分かっていたのだ。
「国の王子が元婚約者って……」
「どうせ見えないんでしょう……?」
「はっ……笑いながら魔物蹴り飛ばしてるやつが、見えるわけぇねぇだろが」
返事に笑ってしまうと、彼もつられて口角を上げた。
壁からの幻想的な輝きを浴びて、美しいシルバーが皮肉げに笑う。
どきり、とした。
こんなときに不思議なのだけど……こんなに長くシルバーと二人で話すのは初めてなんだなぁと気付いた。
思いの外穏やかに会話が出来て、思ったよりも心地よく、ずっと話していたい気もする。
落ちて行く私を、助けると言い切ってくれた人。
あの時のことを思い出すと、心臓が跳ねた。
とても強くて、誰かを助けられる自信すらある人。
「お前は」
シルバーがその鋭い視線を私に向けた。
「特別な魔法が使える血筋なのか?なにか知っていることはないのか?」
「特別な魔法……?」
戸惑うような、請うような、不思議な瞳を向けられる。
「あいつが言ってたじゃねぇか。血に血は効かないと」
「血筋は、代々、魔力量の多い子供が生まれやすいセレーナ侯爵家よ。だから王国の魔法使いの長になることもあるわ。だけど……」
私は優秀ではなかったけれど。
「私は平凡な魔法が数多く使えるだけだったから、折角魔力量の多い家系に生まれたのにって『平凡な黄金』と呼ばれてずっと蔑まれていたわ」
これほど豊かな輝く金髪なのに、特化した魔法の才能がない人なんていないから。
「特別なものはないと思うけど、でも私が知らないだけなのかもしれない。期待されていなかったから……」
「……そうか」
シルバーは考えるように黙り込んでしまった。
その横顔をじっと見つめる。
気が付いてしまった。
私は確実に、彼の助けになりたいと思っていて、何も答えられないことを残念に思ってしまった。
なんで急に、こんなにもシルバーが好ましく思うようになっちゃってるんだろう。
ここに落ちるまで、こんな気持ちになったことなんてなかった。話し続けていたいとか。綺麗だとかカッコいいとか。
ただ、恐ろしく強い冒険者という認識しかなかったはずなのに。
……なんで急に?胸がざわつくように騒がしい。自分の心境の変化に戸惑ってしまう。
口角を少しあげるだけの、皮肉気な笑みを思い出して、またドキドキとしてくる。私、なにかおかしい。
「あの、どうして……そんなに魔方陣に詳しいの?」
おかしな考えを振り払うように私は聞いた。
この人はとても不思議なのだ。冒険者に一目を置かれるほど強くて。そうして魔物を封印した魔方陣をすでに『知っていた』。訳あり過ぎる人だ。
「話したくなかったら、いいの。気になっただけ……」
「……、そりゃ、まぁ気になるか……」
谷底の、さらに下の、未開の地で。
口の悪さを差し引いても、見たこともないような美貌の容姿をしているシルバーが、薄く笑う。
「俺は」
彼は私を見ていなかった。何かを思い出すようにしながら言葉を繋ぐ。
「かつて……、隷属の呪いを掛けられただけの、男だ」




