11.魔物・後
男は洞窟を登り切り、光指す地上の出口を前にして言った。
「魔物よ。ここから先は人の世だ。本来お前の暮らすべき場所ではない。お前はわざわざ人の前に出ずとも、どこででも生きられる」
男は真摯な表情で語る。
「だが意志が通い合い、従順で、未知の可能性を秘めたお前が……俺はすでに可愛い。死んだ恋人がわが身を案じて遣わせてくれた我が子のようではないかとすら思う。お前が望むなら、人の世にお前の居場所を作ろう。ただしそれには誓約がいる。このままでは人の中では暮らせない。お前が俺の支配下に入る代わりに、俺はお前と運命を共にし、名を授けよう。どうだ?俺の支配を受けるか?」
「ナまえイル。しはイうケル」
男は笑い、そうしてナイフで自分の指を切り付け、魔物に血を滴らせながらなにか呪文を唱えた。すると、壁に描かれていた魔方陣と同じものが魔物の体に浮かび上がる。
「我らは血の盟約で結ばれる。我の血は『支配』を司る。この国の王の血筋だ。お前は俺に隷属し、命令に逆らうことは出来ない。人類の脅威となったときには、元の場所に閉じ込め封印する。否と言うのなら、今この場で盟約を解こう。どうする?このまま一緒に行くか?」
「いク」
「アンドリュー、子に付けるはずだった名だ。お前にやろう」
「あんドりゅー」
「そうだ。……いいこだな。アンドリュー。我が子よ」
男は魔物を連れて外に出た。そこは、断罪の谷の――最上部だ。
魔物を連れて帰ったジュードは、魔物の戦力を借り、自分を陥れ谷に突き落とした勢力を次々と叩き潰す。そうして第三王子であったはずのジュードは王座を勝ち取り、良い王として生き、生涯魔物だけを子のように扱った。王家の血筋の者を次の王に指定し、死の間際に言った。
「アンドリュー盟約を解こう。我の死後、お前は血族の支配下に置かれる。自由が保障されるか分からない」
「シえる、オモシろい。ここ、イる」
「そうだな、次の王の時代は良いだろう。ならば望んだ時には、シエルに伝えるのだ」
「うン」
「お前は誰も殺さなかった。無理な命で行動を止める必要もなかった。人の中に、可能な限り馴染んだ。分かり合えぬ部分があっても、共存を選んでくれた。そんなお前を見ていたからこそ、俺は愛する者の誰も居なくなった世界で、絶望せずに済んだのだ。民を、人を愛せた。人と人は……お前は魔物だが、分かり合え、共に暮らせるのだと。お前が俺に教えてくれた」
「じゅうド……」
「どうか幸せに暮らせ。俺は十分楽しかった。愛している。アンドリュー」
次のシエル王は、魔物を正しく扱った。
ジュードに似た気質を持つ彼は、魔物を『興味深い』ように観察しながら、ジュードがそう接していたからこそ『幼子』のようにも見えていた。魔物の魔力と魔法を、研究に貢献させ、また有事の際には戦力としても遣わした。魔物はそれらを面白そうにこなしていた。
シエル王は死の間際に言った。
「アンドリュー、お前との盟約を解くように遺言されている。魔物の巣に帰る時が来たのではないか?」
「ここイル。にンゲン、たノシイ」
「これでは俺は怒られてしまうな……。まぁいい、次の王もお前には良い国を作るだろう。楽しく暮らせばいい」
世代が変わるごとに、魔物の扱いが悪くなっていく。魔物は気にしていないけれど、戦力として使われる日々が増え、戦争も増えて行く。
魔物は何年も戦場で暮らす。
そうして知らない間に王が世代交代していく。
魔物は不満はなかった。なかったけれど、前ほど楽しくなかった。
「じゅうド……いない?」
何百年も経ってから魔物は言った。
「タのしかった、」
楽しくなくなっていることにやっと気が付いた。
「あイしてル……?」
あれは何か楽しく嬉しい響きだった。あれがまた欲しくてここにいたのに、与えられることはなかった。
「ふん、これが白の魔物か」
「ハッ」
また王が代替わりしたのだという。
王座の前に連れて来られた魔物は、名前も分からぬ王に首を傾げる。
「無礼だな……『頭を床に着けろ』」
「!!」
久しぶりの命令に、体が勝手に動き出した。這いつくばり、頭を床に当てると、頭の上から声が響く。
靴が、頭の上にドシンと、乗る。
「ハハハ、これは気分が良い。なんでも命令出来る脅威の魔物か」
「さようでございます」
王は愉快そうに魔物を踏みつける。
「ならば、領地を広げるか。こいつがいれば、こざかしい敵兵どもも一瞬で蹴散らせるだろう。なぁ、宰相」
「さようでございます」
満足してから王は足を下ろし、そうして言った。
「お前はなんだって好き好んで人間に隷属しているんだ?アホなのか?」
「にンげん、知りタい。コトば、にンげんとシか、はナセない」
「そうかならば、俺がいくらでも話してやろう。隣国の国民を皆殺しにして来い」
そう言って当時の王は、高らかに笑った。
魔物は命令に従った。敵兵ではなく民間人への虐殺を命じられたのは初めてだった。隣国に攻め入り、多くの民を殺す中で、ある日叫び声を聞いた。
「私の子を助けて!」
「愛してる!」
「この子だけでもどうか」
子。それは最初に男が、魔物に対して言った言葉だった。愛している、とも。
次第に子を守る親が『あの男』に、子が『魔物である自分』に見えて来た。あの男を殺すことも、自分を殺すことも、許しがたい行為だった。
混乱していると、思い出した。
『俺に死んでほしくないように、他のどんな人間にも死んでほしくないと思ってくれ。それでももし……お前に危害を加え、死んでほしいと思う人間が現れた時には、代わりに俺を殺せ。他の民を殺すな』
思い出してしまった。血の盟約を結ぶ前。男は言っていた。
『人を殺さない。危害を加えない。守れるか?』
もうたくさんの民を殺してしまった。
「じゅうド」
――代わりに俺を殺せ。他の民を殺すな。
あの男はもういなかった。代わりにいるのは、新しい王だった。魔物は、新しい王を殺すことに決めた。
王城に戻り、王座の後ろから首を狙って殺傷力の高い魔法を投げつける。
「ハハハ、やはり魔物だ。馬鹿なのだな!お前は俺の奴隷なのだ、主人に魔法など効かぬ!!」
王は指を食いちぎり、その血を呪文に乗せて言った。
「もう充分良い働きをしてくれた。従えぬというのなら、帰れ。初代の王が、最初からな、お前の帰る場所を用意してあるのだよ!」
王は笑いながら呪文を唱え、魔物の体に刻まれた文様が輝き出すと、魔物の体はその場から消えた。
そうして気が付くと、暗闇の中に帰っていた。
知ってる場所だった。生まれた場所。男に出逢った場所。
「じゅうド?」
誰も居なかった。当たり前だった。
魔物はそのまま以前のように暮らし、再び地上を目指したけれど、出口が塞がれていた。だいぶ年月が経ってから思い出した。
『人類の脅威となったときには、元の場所に閉じ込め封印する』
あの男がやったのだと、ようやく分かった。
また日々が退屈に戻った。楽しくなかった。けれどもうずっと楽しくなかったのかもしれない。
消えようと思った。けれど前のように気が乗らなかった。消えてまた新しい何かになるのは、楽しくない。
あの男に逢えばまた楽しくなるのだろうと思う。けれどもう死んでいる。
ただ死ぬのがつまらない、そんな理由で生きていたら、また『落ちて来た』。




