1.断罪の谷
――王子妃になりたかった。
「逃げたぞ!追え!」
「捕まえたら好きにしていいそうだぜ」
「本当か!?」
「いやっほーーー!!」
第二王子フロイド様の婚約者として過ごした五年。フロイド様に相応しくあるように努力して来た。優秀な兄。可愛い妹。私の成績は凡庸だけれど、それでも父母の期待に応えられるような成績を残すくらいには、必死に学んだ。なのに。今は、暮れかけた空の下、ボロボロの姿で逃げ回る私がいる。
身に覚えのない罪での突然の国外追放。けれど無理やり乗せられた馬車で連れて来られた場所は国外ですらなかった。魔物の巣窟であるという、通称、断罪の谷。はるか昔に、処刑の場にされていたことがこの場所の名前の由来だ。何故と、思う間もなく、男たちが私を見つめて下卑た笑いを浮かべていた。逃げなくては。
――王子妃になりたかった。
フロイド様は、プラチナブロンドを持つ、美しく聡明な人。優しく慈しむ微笑みを分け隔てなく私にも向けてくれていた。何をしても感謝してくれて、兄妹に比べて何も出来ないと言われる私でも、彼の為になら初めて何か出来るのではないかと、嬉しかった。
隣に立って居られるようにと。必死に学んで学んで。
『アウレリア・セレーナ!ラミアに対する、悪逆非道な罪の数々、許せるものではない!』
あんな……蔑むような表情をする人じゃなかったから。
『お前の本性に気付かぬ私が愚かだったのだ』
『国外追放とする!何も出来ぬお前が……身一つで生きていけると良いな』
愛し愛されると希望を持てた人。
あれは誰?
クスクスと、最後には抱きしめ合うラミア様と愉快そうに嗤っていたのだ。そこにあるのは、侮蔑の表情だった。
「捕まえたぞ!」
「きゃあ!!」
国の兵士には思えない、ならず者に見える者たちに腕を取られて、とっさに魔法で弾き飛ばす。バシンと音を立てて私たちははじけ合うように地面に転がる。私は這うようにして、暗闇の中に飛び込んだ。
「待て!嬢ちゃん!そこは……っ」
「落ちるぞ!!」
暗闇ではなかった。穴のようだった。
落ちる――
「崖か!しまっ……っ」
必死に手を伸ばして。あの人の面影に縋って。
夕闇の空は、フロイド様の瞳と同じ色。
王子妃になりたかった――――本当に?
どれだけ意識を失っていたのか分からない。
寒い。
意識の覚醒と共にそう思う。ぼんやりと目を開けて辺りを見回す。灰色の岩場。断崖絶壁の遥か頭上に朝日のような薄暗い空が見えている。ここはきっと、意識も絶え絶えに落ちた谷の底。
断罪の谷の……底!?
ゆっくりと起き上がる。
「ああ……よく生きていたわ」
悪漢に腕を掴まれた時のことを思うと恐ろしくて仕方がない。どうしてあのようなことになってしまったんだろう。
「昨日まで普通に学園で生活していたのに……」
一日で全てが変わってしまった。フロイド様が傍らに抱きしめていたのは、可愛らしい容姿のラミア様。男爵家のご令嬢であるのは知っているけれど、家の派閥が違うため交流もない。彼女に対して私が罪に問われる行為をしたらしいけれど、身に覚えなどもちろんない。
私のような侯爵家の子女が、貴族会議も通さず国外追放になるなど本来ないこと。だけどフロイド様は、確かに王印の入った罪状を手にしていた。特例でそう言った処罰が下されることもあるというけれど。
「でも……」
『何も出来ぬお前が……身一つで生きていけると良いな』
言われた言葉を思い返して、ぞっとする。
殺意というものがあるならば、あれがそうなのだろう。彼の意志でここに連れて来られたのではないのだろうかと、考えてしまう。
「そんなまさか……でも……」
寒さにぶるりと震える。体を抱きしめてから、心底思う。
「……良く、生きていたものだわ……」
断罪の谷は、谷底を見下ろせないほどの断崖絶壁のはず。
あんなところを落ちて、普通なら生きていないはずだけど。
「まさかの、凡庸な魔法たちが役に立つなんてね……」
私は全ての属性の魔法が、少しずつ使える能力を持っている。全属性の魔法が使える者などほとんどいない。とても貴重な存在のはずなのに、初級~中級レベルの魔法しか使えないから、学園で密かに付けられていたあだ名は『凡庸な黄金』。髪色の黄金色にちなんでいる。髪色に銀や金の色が出るのは、魔力が多い証拠とされている。本来ならば優秀である証。
黄金の髪色が生まれやすいセレーナ侯爵家。けれど、私は使える魔法は凡庸。つまりは蔑称である。
だけどきっとそうでなければ助からなかった。谷を落ちる間に、沢山の魔法を発動させた。風魔法と氷魔法、治癒魔法も展開させながら無理やり着地したのだから。意識を失う前に、簡易結界も、隠蔽の魔法も使った。だってここは、魔物の巣窟のはずだから。
ふぅっと息を吐いてから、地上を見上げる。
明るくなっていく空が遠い。とても静かで魔物の気配も感じられない。
これは何かの間違いじゃないのかしら。お父様も兄妹も知っているのかしら。学校の人たちは?友人は?陛下は?フロイド様の……真意は?
ぐるぐるぐるぐる、同じ思考が頭を巡る。考えても答えの出ないことなのに。昏い思いに心が沈む。
『凡庸な黄金』『生きていけると良いな』『捕まえたら好きにしていい』
心がボロボロだ。悲しくて。怖くて。惨めで。不安で。耐えられないことばかり。
きっと死を望まれていた。もしかしたらフロイド様だけじゃない。家族も、皆も知っていたことなのかもしれない。お前はこの断罪の谷の底で、罪に飲まれて、死ねと。
「……灯りを」
光魔法で小さな灯りをともす。
無理やり体の周りを明るくさせて、心を元気にさせようとすること。これは子供の頃から私が良くやっていた方法だ。悪いことを考え続けても、良いことなど、何も起こらないのだから。
――まずは、帰らなくちゃいけないわ。
全てはそれから。何が起きたのか、確認しなくては。
ふぅ、と息を吐く。
足を進めて、岩場から洞窟のような場所へ入っていく。
絶壁をそのまま登ることは不可能に思えた。
そうしてこの断罪の谷は、冒険者が稀に訪れる場所だと聞いたことがある。谷底まで洞窟を下っていくのだと。恐らく登っていく道があり、そうしてそのうち、運が良ければ誰か冒険者に出逢えるはずだ。
洞窟の中は薄暗い。
魔物は光を嫌う。きっと、洞窟の中に沢山生息しているんだろう。入れば、私も戦わなくてはいけなくなる。
「さてと……」
覚悟を決める。
正直、心が折れている。突然の断罪と婚約破棄。ならずものには襲われかけ、谷底に落とされた。死を目前にしたのだ。今だって、魔物の巣窟の中。絶対絶命。立って居られるのが不思議なくらい。
「だけど……帰る以外にどうしようもないじゃないの」
それ以外に、生きていける未来が私にはないのだから。絶望的な気持ちになって、涙を浮かべてしまう。
「……よっし!やってやるわよ!」
多少魔法が使えるとはいえ、どこまで出来るのか分からない。だけど、やるだけやるしかない。
私はドレスのリボンを解いて自慢だったはずの長い金色の髪を結ぶ。ところどころ破れたドレスも歩きやすい長さに切り裂いた。
「行けるところまで行きましょう」
前向きなのではなくて、自棄になっているのかもしれないけれど。




