ここを始まりに
今にも崩れそうな薄汚い倉庫がイチカを誘拐したとされる一味のアジトだった。
全体的に斜めっておりいつ倒壊してもおかしくない。これだけ大きな建物を崩すにはそれなりに人手が必要だ。
だが、見るからにあたりは閑散としていて、人がいたとしても痩せ細った人ばかりだ。
傷の痛みに苦しみ、腹の虫を抑え、雨水に震えて、いつ来るかも分からない死を待つ。
そんな生活が当たり前で、弱いから仕方が無いのだというのがここでは普通なのだ。
絶対に変えなければならない。
決意を新たにしていると、倉庫の中から子供に泣き声が聞こえた。
「ビンゴだ。泣き虫イチカの泣き声だな」
唇をぺろりと舐めるゼキア。やはり猫っぽい。
「僕とゼキアが正面から注意を引きます。その間にリーシェ様はイチカを助け出してください」
いくらか冷静になったキリヤが鈴を鳴らしながらリーシェに言った。
頷くと急いで裏口へ回る。
少しもしないうちに正面から破壊音が響いて、2人が突入したことを知らせた。
裏口扉をそっと開けると、丁度よく大きな箱がいくつか置いてあって身を隠すのに役立てた。
箱の影から正面の方を覗う。
斜めに切り抜かれたシャッターを背景にして、キリヤたちが男たちと向かい合っていた。
「僕の妹を返してもらいに来た」
厳しい声でキリヤが言う。
男は全部で5人いて、リーダー格と思われる人が醜悪な笑みを浮かべた。
「ならお前たちの首を貰おうか」
男が言うには、南の大陸シルビアの中でも上位の強さを持つゼキアの首があれば、強さを認められてまた中央で豪遊できるとの事らしい。
国の心臓部を司る場所を遊ぶ場所としか見ていない時点で、この男たちの思惑通りに事を進ませるわけにはいかない。
注意が十分に背いていることを確認して、少し離れたところで椅子に縛りつけられている少女を見た。気を失いぐったりとしている。
殴られたのかその頬は赤く晴れ上がり、口の端からは赤い血が流れている。
栗色の髪は土で汚れ、乱雑な扱いを受けたことは明白だった。
食べ物が十分ではないせいか年齢の割にその身は小柄だ。
枝のようとまでは行かないが、少なくとも大根には程遠かった。
あんなに小さな子に暴力を奮った男たちに静かな殺意が湧くが、リーシェの仕事はあの少女を無事に保護すること。
素早く、しかし音は立てず気配も消し、座らせている椅子のすぐ後ろまで接近する。
イチカを縛り付けている縄を外そうと手を伸ばした時、リーシェの背中を影が覆った。
凄まじい悪寒がして、椅子ごとイチカを持ち上げ素早くその場から退避する。
轟音が鼓膜を襲い、強い風がイチカの髪を揺らした。
5人の男たちとキリヤとゼキアが何事かとリーシェを見る。
リーシェも驚いて後ろを振り向くと、巨大な大太刀を持った女がいた。
葉巻を咥えて、大太刀を地面に叩きつけた状態で固まっている。
「だ、誰ですか!?」
思わず叫ぶと、女は葉巻を咥えたまま器用に喋った。
軽々と重そうな大太刀を持ち上げ不敵に笑う。
「知らなくてもいいよ。お前はここで死ぬのだからね」
「リンの姉御ぉ〜!」
「お前があたしの名前を叫ぶんじゃないよ!」
せっかく隠したのにリーダー格の男が叫んだせいで、名前が判明してしまった。
彼女はリンと言うらしい。
見られない位置で焔で縄を切ってイチカを抱き上げる。
リーシェでも問題なく片手で担げるほどその体は軽かった。
警戒を最大限に跳ね上げ油断なく睨む。
「あなたも、私利私欲のために人を犠牲にするのですか?」
「はぁ?当たり前さ。この世界は弱肉強食。死にたくなけりゃ強くなればいいんだ」
「こんなに小さな子をこんなに痛めつけて。こんなことで得る強者の地位は空虚なものだと分からないのですか?」
虫も殺せないような女の子が、勝手な理屈を押し付けられて痛めつけられる。
ボロボロの家でもいいから平和に暮らしたい少女が、遊びのために苦しむ。
それが本当に正しいと?それが本当に許されることだと?
如何に強さが全ての種族といえど、他人を理不尽にいたぶることが良いわけが無い。
「あなたたちみたいな人がいるから、この世界から悲しみが消えない。あなたたちみたいな人がいるから、この世界が平穏にならないんです!」
体中に走る傷跡が熱を持つ。
心身に刻み込まれた虐待の記憶が、リーシェの怒りに火をつけた。
誰だって平穏に生きたいだけだ。その方法を暴力にしてはならない。
だから、この大陸での戦いをきっかけに世界中の悲しみが消えてくれればいい。
どの種族よりも戦いに明け暮れ、残酷な運命を歩いていた戦人族が平穏になったとなれば、きっと世界に影響を及ぼすだろう。
なら今はただ戦うだけだ。
平和にするために奔走するだけだ。
その始まりはここにしよう。
「平和を 安寧を 平穏を
我が望みは戦場に在らず
我が願いは争いに在らず
美しき詠歌 清き詩歌
どうか現に夢の幻想を
眠れ 暴れる者よ
次に目覚めた時 汝に穏風がそよぐ事を願い
夢現にこの身が求めた 永久久遠の安穏を祈り給う
焔氷刻 夢室一陣」
体中傷だらけの彼らが穏やかな眠りに浸れる祈りを捧げる。
リンたちにとって未知の力に、彼女たちは為す術なく倒れていく。
腕の中の小さな存在が身動ぎした。
「ん……お姉ちゃん、誰?」
イチカの無事な様子に駆け寄ってきたキリヤとゼキアがホッと息を吐くのだった。
戦うと言うより蹂躙になってしまいました





