第五話 野菜を植えましょう
美しい朝だ。新しい朝だ。ここから自分は本当に過去を過去だと切り捨てられる。
眩しい朝日。煌めく大地。遠くから聞こえる賑やかな喧騒。
今までは、朝起きて目があったかも知れなかったのは複眼で八本足の虫。真っ先に浴びるのは朝日ではなく鶏のキック。悲鳴を上げる体に鞭を打って二キロの往復。そして、心を穿つスティおばさんのヒステリー。
ビーグリッドから出てセルタに来て、リーシェは自分がどれだけ異常な生活をしていたのかを思い知った。
セルタで、町の人とふれあって、家で穏やかに過ごし、本当に平穏な日々を送って早1週間。体に無理をさせない程度に、診療所のお手伝いをしたり、超短期就労をしたりして過ごした。
そして、ようやく体の傷が完治した。
さすがに、左腕の切り傷の痕や背中の火傷の痕は消えないが、脱臼していた肩もひとまず固定されたし、打撲傷も綺麗に消えた。
つい先日診療所から"動いて良し"とお墨付きをもらったので、リーシェは早速今日から畑作業に取りかかることにした。
物置に揃っていた畑道具の中から、鍬とじょうろと苗をいれる籠を取り出す。
まずは耕して、土の質感を詳しく調べ、町から苗を買って来るのだ。
左肩に鍬の柄を担いで大きな畑へ向かう。
家とほぼ同じ面積の畑を一人で管理できるとは思えないので、最初のうちは一角を使わせてもらう。
時刻は朝八時。天気は快晴。気温およそ15度。風速3メートル。
素晴らしい畑日和だ。
鍬とじょうろを畑の隅に置いて、籠を片手に丘を降りる。
「おはよう!リーシェ」
「おはようございます!アンさん」
町まで降りて真っ先に声をかけてくれたのはアンだ。アンの自宅は一番丘に近い場所にあるので挨拶は日課になっていた。
「ずいぶん上機嫌だね。どうしたんだい?」
「はい!傷が治ったので今日から畑仕事をするのです!今から野菜の苗を買いに行くところです」
「そうかい、治ったのかい!良かったね。苗屋はこの先の曲がり角を左に曲がったとこにある。頑張りなよ!」
激励に見送られて、スキップ混じりに苗屋さんへ向かう。
角を左に曲がると、多くの苗を店頭に揃えたお店がすぐにあった。
「すみませ~ん!」
声をかけながら店内へ入る。テントの中は日陰になっているが外側に壁がないので、そこまで暗くなかった。
テントの奥から、鼻眼鏡をかけた初老の男性が出てくる。
男性の名前はボルだ。
「おお。リーシェちゃんか。ここに来たってことは、いよいよ畑作るってことかな?」
「はい。今日は畑に植える野菜の苗を買いに来ました。何かおすすめの野菜ってありますか?」
「セルタは一年の後半、特に最後の2ヶ月は特に冷え込む。雪がぱらつく程度にはな。今は一年で一番暑い時期へ向かっていくとこだから、暑さに強い野菜が良いだろう」
サラサラとセルタの季節や気象を紙にメモしていくボル。
真っ白な紙には、達筆な字で野菜の名前が記してあった。
「トマト、ナス、じゃが芋ですね。スイカも作れるのですか!?」
「セルタの土は昔から畑のために色々改良されてきているからね。吸水性だとか、保水性だとか、その辺はほぼ理想の土になっている。大方の野菜は作れるぞ」
ずっと昔、それこそセルタという町ができる前から、この場所は農業が盛んに行われていたらしい。そのときに土を改良して、云わば万能の土になっているそうだ。
「リーシェちゃん、畑仕事の経験はあるのか?」
ボルの質問に、一日中畑を弄りながら過ごしていた日々を思い出しながらうなずく。
「はい。前にいたところで畑を管理していたので、野菜の病気とか、育てるときの注意点とかは一通り把握しているつもりです。ただ、土が違うので分からないことが出てくるかもしれません」
「土に関しては育てているうちに特徴をつかめるだろうから大丈夫だと思うよ。付け加えるとしたら、この野菜たちは、苗一個で結構な量が収穫できるからね。植える感覚は広めに取っとくといいよ」
「はい!実は、昔なすとトマトを植えたときに失敗して怒られてしまって……。今度こそ間違えないように頑張りますね!」
脳裏に思い出された失敗に苦笑いをすると、ボルは肩を揺らして笑った。
「何かあったら遠慮なく聞きにおいで。ま、俺じゃなくとも、町の人間なら畑の専門家だからアンにでも聞くといい」
ボルの心遣いで苗の値段は半額にしてもらい、アンのお下がりのお財布は思ったより軽くならなかった。
これから混む時間帯だとのことで、籠になすとトマトの苗を入れてお店を出る。スキップ混じりでまっすぐ丘を登った。
畑の近くに籠を置いて、準備していた鍬を両手に持った。
畑の前にたち、大きく振りかぶる。
ザクッ
リーシェが一番好きな音が静かに鼓膜を揺らした。
畑を耕すときのこの音がたまらなく好きなのだ。
耕す、という行為こそこれから続く畑作業の原点であり、最も大切にすべき作業なのだ。
始まりの音を聞いて、テンションが一気にうなぎ登りのリーシェはあっという間に使う予定の畑の一角を耕していく。
数日、土に触れてなかったので不安だったが、どうやら腕は鈍っていないようだ。十年も続けた習慣は簡単には抜けないらしい。
ふわふわと耕された土が、輝いて見えた。
早速、しっかり感覚を開けて苗を植える。
右にはトマトを。左にはナスを。
もう少ししたらじゃが芋も植えて夏野菜カレーを作ろうと夢を抱きながら、リーシェは水の入ったじょうろを振り回すのだった。





