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始まりの川へ。

 そよぐ風。ざわめく木々。肺に吸い込む清涼な空気。


 3ヶ月ぶりに訪れた森は相変わらず穏やかだった。

 不安だったお墓の状態も綺麗なままで大掛かりな掃除は必要なさそうだ。


 最後にここに来たのは、王都ラズリに行く前なのでだいぶ長い間放置してしまった。


 木漏れ日に濡れる墓前で、来る途中に摘んだ花をお供えしていく。

 アズリカと一緒にしゃがんでしばらく手を合わせた。


 長くもなく短い訳でもない黙祷から意識を浮上させると穏やかな気持ちで父母が埋葬されている土を撫でた。


「前回から、だいぶ時間が空いてしまいましたね」


 神妙な顔をしてそれを見つめる青年の横で、リーシェは語りかけた。


「おかあさん。私、おかあさんの家族に会いました」


 イグラスで、親族の多くと敵対したとはいえ彼らは母の兄や姉だった。

 グレイス以外の叔父や叔母たちの名前を聞くことは出来なかったが、人間と魔人が少しづつ交流を始めているのを考えればすぐにわかるだろう。


 今度は対峙する者としてではなく、もっと良い形で会いたいとリーシェは墓前で祈る。


「おばあ様はとってもおかあさんに似ていました。すごく優しくて強い人で、私もおばあ様のように気高くあろうと思います」


 母の墓に対して一通り語ると、今度は父の墓を見る。


「おとうさん。おとうさんは知っていたんですよね。おかあさんが魔人の王族だってこと。知っていて、あのお城から連れ出したんですね」


 母と父がどう出会ったのか。それはまだ謎に包まれている。

 しかし母は父と出会わなければ今もあの鳥籠のような地下に閉じ込められていたのだろう。


 それは決して安易な選択ではなかった。命懸けの駆け落ちだった。

 だが、両親がお互いを信じて勇気を振り絞って行動を起こしたおかげで、リーシェはここにいるのだ。


「おとうさん、ありがとう。おかあさんを諦めないでいてくれて」


 いつか、父の名前を知ることが出来る日が来るだろうか。

 瞳に翡翠の輝きを乗せていた父は、どこで生まれて、どこで育って、どんな性格で、どんな暮らしをしてきたのだろう。


 まだまだ分からないことは沢山ある。

 セルタで平穏な暮らしをするという絶対の願いと、もう1つリーシェにはやりたいことがある。


 それは父のことをもっと知ることだ。

 未だ多く謎に包まれている父はどんな人間だったのか、知りたいと強く思うのだ。


「おとうさん。遠い未来に私がそっちへ行ったら、答え合わせをしましょうね」


 秋の涼しい風が髪を揺らす。

 ザワザワと木が鳴いて、どこかで鳥が美しい声で囀る。


 やはりこの場所に来るととても心が落ち着く。


 笑ったまま動かなくなった少女の肩に、アズリカがそっと右手で触れた。

 目を開けて振り向くと、どこか緊張した面持ちの草色の目と目が合った。


「アズリカ?」


「リーシェ。お前に、伝えたいことがある」


 少しだけ赤面した顔に首を傾げると、すぐにアズリカは続きを言った。


「俺を殺さないでくれて、ありがとう」


「!!」


「俺はお前に何度も言った。殺してくれと。でもお前は、あの城から出ることが出来なくなるのに俺を殺さなかった」


 魔人国家イグラスにリーシェが囚われた時、最も脱出の邪魔をしていたのが青年の「拘束魔法」だった。

 リーシェが万全の状態で逃げるには拘束している鎖を解くしか方法がなく、その方法はアズリカを殺すことだった。


 そしてアズリカは死にたがっていた。

 特異な魔法しか存在価値を見出せない自分が大嫌いで。それでもその僅かな価値に縋る自分の辟易して、消えることを望んでいた。


 リーシェは鎖を解きたい。

 アズリカは死にたい。


 利害は完全に一致したはずだった。


 だけどリーシェは彼を殺すことは無かった。

 命を犠牲にして得る平穏はいらないとし、凄惨だった子供自体に青年の価値があるとした。


 その言葉に青年は救われた。光を見つけてしまった。

 死にたくないと、そう思ってしまった。


 リーシェはアズリカの苦悩も苛立ちも憎悪も、全て受け止めて消してくれたのだ。


 しかし、その礼を青年はまだ伝えることが出来ていなかった。


 だから、彼女の両親が眠る森の最奥で心からの気持ちを伝えようと思った。


 目が零れ落ちんばかりに大きく見開いたリーシェをまっすぐ見て、アズリカはゆっくり告げていく。


「俺はお前に救われた。過去を救われた。今を救われた。そして未来を救われた。お前がいなかったら、俺は今も死にたがり野郎だった。だから、今度は俺がお前を助けたい」


 何か出来ることはあるか、と青年は問う。

 しばらく考え込んだあと、少女はポツリと一言漏らした。


「けじめを……」


「けじめ?」


「私がセルタに来る前のことです」


 川のある方面に歩きながらリーシェは全てを青年に教えた。

 両親に捨てられたあと、ビーグリッドという村で虐待を受けて過ごした日々を。


 結局、川に身を任せて逃げてきたが10年間育ててくれた礼をまだ言っていなかった。

 気持ちの整理はもう着いている。なら、今度は行動で整理をつけなければ、薄暗い過去は影となってリーシェに付き纏うだろう。


「1人では少し不安なので、着いてきて貰えますか?」


 上れば村に続く川の前で、珍しく表情を曇らせた。

 心細そうに肩身を狭くする姿に、リーシェにも辛い過去があったのだとアズリカは知る。


 明るくていつも笑顔でたまに怒る少女にも、1人じゃ怖い時があって、乗り越えなければいけないトラウマがあるのだ。


 それに何も言わずついて行くのが1番役に立つことだろう。


「分かった。お前もけじめをつけてこい。村に着いたら見えないところで見守ってるから」


 かつてリーシェが心を壊して身を任せた川を、強い歩みで上る。


 悲惨だった過去に決着をつけるために。



次回、ビーグリッドへ行きます。


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