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第三十二話 ごきげんよう。マイファミリー

 〈西の大陸 北の最果て 魔境谷〉

  リーシェは翡翠の両目を瞬きひとつせず、すぐ近くへ迫る軍隊を睨みつけた。

 

  魔人軍は宣言通り、一ヶ月後の夜明けに谷に現れた。

  大陸から大陸へ移動するためのゲートを使って従軍してきた魔人、その数およそ十万。

  予想以上に多い数字にリーシェは唇を噛んだが、自分には『技の力』と『重力魔法』とそれらを工夫させる『発展』がある。

 

  いくらでも能力の改善はできるわけだし、十万をひとり一人相手にする訳では無い。

  伝説の力を存分に使って一気に押さえ込んでいけばいいのだ。


  やがて、百メートル前までやってきた魔人軍は谷の入口に一人佇むリーシェを見て歩みを止めた。

 

  問答無用で攻撃されなかったことに内心ガッツポーズをしながら、リーシェは声を張り上げる。


「私の名前はリーシェ!!この谷を魔人の侵攻から守護し、和解の手を差し伸べる者です!!ここを通りたくば、この私を殺してから行きなさい!!」


  ただし、と少女は不敵に口角を上げる。


「できるなら和解の手を振り払わぬように。命が惜しくなったのなら早めに乞うことをおすすめ致します!」


  そして一瞬でスイッチを切り替えた。

  平穏を望む少女から、平穏を守る少女へ。

  リーシェは神の申し子。伝説の少女。

 

  『技の力』を授かっている時点で、すでに戦うことを前提とされている。

  そこに魔人最強の「重力魔法」が加わりさらに凶暴化。

  そして『発展』で幾重にも能力を最善な方向へ工夫できる。


  故に、リーシェはたった一人で王都の精鋭部隊以上の実力を持っていた。


  谷にはリーシェと魔人軍しかいない。

  ラズリ軍は未だ音沙汰なし。調査隊は王命に従い悔しそうに王都へ帰還していった。


  だが、だからこそ使える力もある。


「赤く 紅く 朱く 燃ゆれ

 古よりこの身に焼き付いた 精霊の焔よ」


  セルタの人々を助けるために使う焔は弱々しいもので十分だった。

  しかし今は違う。容赦なく全力を出さなければリーシェが死んでしまう。

  少女は心を鬼にして詠唱を紡ぎ、『技の力』の焔を最大火力で行使した。


「焔刻!!!」


  魔人軍の半分を上空から覆い尽くす緋色の輝きが、円柱を作るように地面に食らいついた。

  燃やす、という明確な意志を込めて放った焔だ。以前、魔境谷でキージスを騙すためにラピス様たちに使ったものとはその様相はだいぶ変わっている。


  荒々しく。神秘的に。

  夜明けでも暗い谷を、焔が赤く染めあげた。

 

  当然命は取らないように加減してある。怪我はしないが、そのかわり死を実感するほどの猛烈な痛みを巻き込まれた魔人は味わうことになった。


『ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!』


  全身の皮を向かれて塩水につけ込まれるような。

  頭から鋸で少しずつ真っ二つにされるような。

  全身を四方八方から伸びた針で一斉に刺し貫かれるような。


  そんな拷問のような激痛を味合わせ、処されている魔人はもちろん、それを目の前で見た者たちの士気を削いでいく。

  これで戦意喪失し、撤退してくれれば良かったのだが……。


  事はそう簡単にはいかないようだった。


  燃え盛る焔を背景に飛来してくる黒い物体を辛うじて知覚して、口から体内に入ろうとしたそれを「氷刻」を纏わせた息を吹きかけ凍らせて動きを止める。

  見覚えのある蟲が右手に乗った。

 

  エグゼに埋め込まれていた蟲と全く同じものがいるということは、早くも序列二位の一族が動き出したということだろう。


  封じ込めることは簡単だ。

  「重力」で動けなくさせるのもいいが、出来ればまだ魔法は使いたくない。

  よって、リーシェは次の詠唱を詠った。


「青く 蒼く 碧く 凍れ

古よりこの身に刻み込まれた 悪魔の絶氷よ」


  「焔刻」は一部に致命的な攻撃を与えるために使った。

  ならこれは全体に大規模な影響を与えるために使おう。


「氷刻!!!」


  凍らせるのは大気。

  空気を凍らせ、あらゆる活動を停止させる。

  もちろん、命は取らないように心がけている。

 

  だがこの場合は早く降参してくれなければ、寒さが体力を奪って落命の可能性があるので、降参するなら急いで欲しかった。


  「焔刻」の惨状を見て震え上がり兵士が流した冷や汗を凍らせていく。

  体の外側にある水滴を凍りつかせ、体の体温を下げて正常な思考を奪う。


  リーシェの計画は順調だった。

  このまま思考力を奪えば、強制的に相手を敗戦へ追いやっただろう。


  だが少女はひとつ見落としをしていた。

  それは文書の内容の一節。

  『罪の「()()」に潰されて滅びるがいい』という文章。

  この「重さ」というのはただの言葉ではなかった。

  「重力」を意味する重さだったのだ。


  次の瞬間、氷が一斉に砕け散る。

  焔が勢いを弱める。

  そして、ひたすらに重い力が上からのしかかった。


「!!?」


  耐え切れず膝をつくリーシェ。

  頭が割れそうなほどに高い音が鳴り、今にも意識が落ちそうになる。

 

(重、い……!これは、()()!!)


  文字通り手も足も出せなくなったリーシェの前に、一人の男が立った。

  緋色の髪。深紅の瞳。冷酷な顔に、大きな背丈。

  ラズリで王さまを前にした時とは比べ物にならないプレッシャーがリーシェを締め上げた。


「貴様……神の申し子か……」


  戦場とは思えないほど落ち着いた声が鼓膜を揺らした。

  見上げるので精一杯のリーシェを無表情に見下ろした後、男は無造作に剣の鞘を振り上げた。


(不味い……死ぬ)


  もう、魔法を使いたくないとか拘っている場合ではなかった。

 

  翡翠の目をカッと見開くと、伸し掛る重力を跳ね返す無重力を発動させる。

  とたんに体は軽くなり、同時に重力が狂ったことで振り下ろされた鞘は手元を狂わせて何も無いところに打ち付けられた。

  男……序列一位の一族の一人である者の顔が驚愕に揺れた。

 

  素早く立ち上がり数歩離れてから、少女は焦りながらも皮肉気な笑みを顔に乗せた。

  相手は王族。しかも、リーシェの肉親だ。

  大袈裟なくらい丁寧な言葉で挑発した。

 

「ごめんさいね。天の重さ、地の軽さを操るのは私でもできますの。そちらだけの専売特許だと思って?」


  まさか王族が直々に出てきているとは思わなかったが、それだけこの戦争を重要視していたということだろう。

  おそらく王族の参戦を予想しても、邂逅はここまで早いとは予想出来なかった瞬間に、リーシェは静かに冷汗をかいた。

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