第二十八話 前世とやらがややこしいです
ラピスの額には玉のような汗が浮かんでいた。
一見すると、ただ目を閉じているだけでそこまで緊迫している印象は受けない。
だが実際には彼の頭の中では様々な情報が飛び交っているのだろう。
原因はガラス瓶に封じられた正体不明の蟲である。
ラピスはこの蟲の解析を行っているのだ。
リーシェが寝ていた寝台には、いくらか顔色がよくなったエグゼが横たわっている。
リーシェも部屋に設置された椅子に座って、見舞いで置かれた林檎を右手に持って見つめていた。
ラピスが解析している蟲は、一目見て魔人の魔法だと彼に見抜かれている。
その個体自体が一つの魔法式で介入するには、相当の時間と苦労がかかると言っていたが、魔法式とかリーシェにはてんで分からなかった。
彼には彼の。自分には自分のすべきことがある。
リーシェだって、別にお腹が空いて林檎を持っているわけではなかった。
『重力魔法』を自覚するために重力を理解しようとしているのだ。
林檎を落とせば林檎は落ちる。
リーシェがジャンプしても結局は着地する。
それが重力だ。
リーシェは自分の世界に入って深く熟考した。
(重力はどこから来ているの?)
一つ目の問い。
答えるのは、もう一人の自分の声だ。
『星の引力です』
(星って?)
二つ目の問い。
また、声が答える。
『四大陸全てを支えている、万物の母です』
(どんな色?)
『あなたなら知っているでしょう?』
(私、星なんて知りません)
『いいえ知っています。忘れているだけ』
(私は魔境谷で生まれてビーグリッドで育ち、セルタで生きています。星なんて言葉、聞いたのは二回目です)
『今のあなたじゃない。前のあなたよ』
(どういうことですか?)
『思い出しなさい。あなたは、重力と最も無縁で重力を最も感じる場所にいたでしょう?』
(重力と一番無縁で重力を最も感じる場所?)
思い出そうとすると自然と浮かんでくるのは、昏倒している間に見た夢の内容だ。
浮遊感。重さなんて存在しない場所で漂っていた。
自分の体なんて見えなかったけど、リーシェは今のリーシェとは姿が違ったことは何となく分かる。
遠くに見えた美しい青い何かへ伸ばそうとした手はなかったし、もっと近寄りたいとばたつかせた足もなかった。
自分はあのとき、何だった?
自分はあのとき、どこにいた?
頭が痛む。自分じゃない自分を知ろうとしているみたいでひどく怖くなる。
でも、徐々に思い出していった夢の最後の光景が引っ掛かってリーシェは記憶の海に身を投げ出した。
青い場所からこちらに向かってやってくる白い物体。
キュウリみたいに細長くて、大根みたいに白くて、カボチャみたいに硬そうだった。
そして、その変な物体の中に一人の男性を見た黒髪の男性だ。
夢はそこで終わったが、記憶は次々と思い出されていく。
それまで漂っていただけの体が、青い何かに近づいた瞬間物凄い力で引っ張られた。
抗うことのできなかった『引力』に導かれるまま、手も足もないリーシェはおかしな物体と衝突して、共々木っ端微塵に砕けたのだ。
『前世、そして転生というそうですよ』
(前世?転生?)
『あなたは、私は。リーシェとして生まれる前にずっとずっと遠い別の世界で無重力の空間を漂う石だったのです』
(石……?)
だから手足がなかったのかと妙に納得する。
『流星……。あなたは無限の星の空間を揺蕩うコメットでした』
(コメット?)
『塵芥であるデブリとは違い、色々なところを飛び、いつ砕け散るかも分からない彗星のことです』
(すいせい?)
『……この辺りの説明はしても無駄でしょうから省略しますけど、海を漂っていたところを青き星《地球》の引力に引き寄せられて隕石になったのです』
(あの青い何かのこと?名前があるのですね)
『無重力の中を生きていたあなたは重力に引っ張られて、人工の物体と正面衝突。彗星として生を終えてリーシェとして生まれ変わったのです』
(あなたは何でも知ってるのですね)
『私は……あなたの忘れた記憶や苦悩や喜び全てを受け止め保存する存在。神に与えられた保存装置ですから』
また不思議な言葉が出てくる。
只でさえ前世がどうのと言われて絶賛混乱中なのに、神から与えられた保存装置とか一度に覚えられる許容量を越えている。
『私のことはともかく、これで重力については分かったのではないですか?』
(……私が座っていることは重力のおかげってことですね)
もう声はしない。
だが十分な知識は得られた。
『重力魔法』で良かったと思う。存在するだけで知覚できるものだから、簡単に自覚することができた。
椅子から立ち上がると、同時に解析を終えたらしいラピスと目があった。
「ずっと林檎を見ていたが、アップルパイの方が良かったか?」
言うのも何だが、彼はたまに馬鹿になる。
天然なのか冗談なのかはさておき、リーシェはニコリと笑った。
「自分の中に力が三つあるのを感じ取れます。エグゼ様の情報は無駄ではなかったようです」
右手の平にちょこんと乗せた真っ赤な果実に、力の一つを集中させる。
すると、林檎はフワリと宙に浮いた。
少年の黄金の瞳が大きく見開かれる。
「これが重力魔法か」
「驚くのはまだ早いですよ」
〔氷刻〕で林檎以上に硬い氷の板を出現させる。
氷の板の真上まで林檎を移動させると、一気に重力を重くして板に叩きつけた。
落下する重みが格段に増して、まるで大きな岩が地面に落ちたような音が鈍く響いた。
伝説の力でそれなりに硬く生成された板が凹みひび割れている。さすがに林檎は砕けたものの十分な戦果だ。
「エグゼの言った通り、もっと練習すれば星をも降らせることができるでしょうね」
「お前……星を知っているのか?」
エグゼは元々、空に関して研究をしていて今回代表として来訪したのも、梟で空を移動する方法を聞いたからだそうだ。
人間より長生きだと言う魔人は、エグゼのような髭が生えるまで二百年かかると言う。
「エグゼ様のように二百年近く空を研究しているのなら、星と言う言葉を知っているのも頷ける。だが、お前は空……天体とは無縁に生きてきたのに、なぜずっと前から知っていたかのように星と言う言葉を使う?」
「普通はその意味から聞かなければ分からないのではないか」と言う言葉にリーシェも疑問を抱く。
「ではなぜラピス様も知っているのですか?」
彼もリーシェと同じ十四歳。『知の力』があるとはいえ、万物全てを知るわけではない。その力は、ラピスの脳が思い付く数多ある方法の中から最適解を出すという能力だと、リーシェはすでに悟っている。
前から不思議だった。
彼はなぜ普通なら分からないことが脳の中にあって、伝説の力がある以上に多くの知識を持っているのだろうと。
脳にあるということは、発明した発想、実物が実際に記憶されているということだ。
『知の力』はその発想をもとに何らかの効果を人に付与したり、不可能と思われることを可能にできる。云わば、知識の媒介機のようなイメージだろう。
地上に関する全てを知っていようと、空については知らないはず。
無知の事柄は『知の力』でも補完できない。
だが彼は知っていた。
普通なら知り得ないはずの「星」について。
「ラピス様、私はもう知っているのですよ?『知の力』があなたの幾千の知識の補助能力ということを。であるからこそ、あなたの知識が不自然だということも気づいています」
「……そうか」
「あなたは、補助能力だけでなくもっと大きな力が欲しかった。だから、セルタで私を殺して『技の力』を得ようとしたのですよね?」
「……そうだ」
少年は欲した。知識を応用できる力があるのなら、その気になれば万人を従わせられる戦いの力が欲しいと。
『知』だけじゃ足りないと非力を嘆き、『技』が欲しいと暴力を望んだ。
だが、問題はそんなことではない。
そう……問題は。
「なぜ、この世界では得られないはずの知識を持っているのですか?」
あるはずのない知識の出所だ。
やがてラピスは笑った。
寂しそうに。悔しそうに。腹立たしそうに。……少しだけ嬉しそうに。
肩を震わせ、口をつり上げ、金色の瞳が見覚えのある感情を浮かべた。
それは、王宮に到着したときに一瞬だけ彼が見せた表情だ。
完璧な王子ラピスの、本当の心に触れた瞬間だった。
「俺には前世の記憶があるからな」
やっぱり、とリーシェは冷静に思った。
まとめます。
リーシェ、実は転生していて前世は宇宙にあるコメット(彗星)でした 終わり
次回
ラピス、実は転生していて前世は……。リーシェと違って記憶はあるようですね
お楽しみに!





