一つ
リーシェは神と戦い続けていた。
戦いというより、リーシェの一方的な攻撃が繰り出されていると言った方が正しい。斧の一撃も雷撃も全て綺麗に防がれてしまう。
レウスとよく似た神は、竜の王とそっくりな笑みを浮かべながら防御に徹している。
「一体……何を考えているのですか?」
苛立ちを滲ませたリーシェの問いにも口を閉ざし笑うばかりだ。
ラピスたちを殺させないためにリーシェは神を討たなければならない。例えこの行動に何の見返りがなくても、少年たちが平穏に暮らせるのなら満足だ。
この命と彼らの命が無事なら、リーシェは全力で神殺しを実行する。
気合いを込めて斧を薙ぎ払う。
また防がれる、と予想した一撃は神の一言と共に肉を断つ手応えをリーシェに伝えてきた。
「……あの子は間に合わなかったか」
「……っ!あなた今、わざと攻撃を受けましたね」
左肩からざっくりと分断された絶対神は、床に転がりながら愉快に笑い声を上げる。壊れたように一頻り笑った後、朗々と言葉を紡いだ。
「たった今、世界のシステムが更新された。多くの困難を乗り越え、苦難を踏みにじり、悲劇を喜劇へ変えた者よ。これより先、世界の主はお前だ。……せいぜい退屈な神生を過ごすといいさ」
歌うように告げてから唯一絶対神は跡形もなく消滅した。灰になるわけでも、光になるわけでもなく、瞬きのうちに消え去っていた。
ホッと息をついたのも束の間、凄まじい寒気がリーシェを襲う。
戦っている最中は気づかなかったが、冷静になると気づいてしまった。ラピスとアズリカ、他八人が九十七階層まで到達していることを。
ラピスたちが東の大陸にいるのを最後に知覚してから、まだ一日しか経っていない。ダンジョンの攻略は、どれほどの戦力を揃えようと半月はかかるだろう。凶暴な敵を倒しつつ正しい道を探すのだから、莫大な時間を必要とする。
意識を集中させ気配を詳しく探ってみると、シュウナとレイラも同行していることを知った。
大地に直接影響を及ぼすことができる二人なら、常識外の方法で階層を省略することなど容易いだろう。七十階層付近にアネロとラーズ、アルロ他二千人以上の気配もあるが、対処を優先すべきはラピスたちの方だと判断する。
せっかく独りになるために行動したというのに、このままでは一番恐れる最悪の展開になってしまう。
今のリーシェに、ラピスとアズリカを別の場所に移すことはできない。
思い浮かんだ方法は、一つだけだった。
「凍てなさい!氷刻!!」
遠隔操作で九十九階層を丸ごと凍結させる。百階層の下の階層はダンジョンというより、広間のようになっている。この階層に繋がる唯一の扉さえ破壊不能の氷で覆えば、きっと諦めて出直すだろう。ダンジョンを出たら最後、二度と入れないように谷ごと大地から切り離してしまえばいい。
誰よりも寂しがり屋の少女は、ひたすら孤独を望んだ。
☆*☆*☆*
ワイバーンとレウスの灰から進み、アズリカたちは九十七階層を無言で歩いていた。
一時は錯乱したルキアだったが、神のいない世界を作るというレウスの意志を継ぐために行動を共にしている。
シュウナが貫きやすい場所を探すまでの間、ルキアはアズリカに問いを投げた。
「システムが更新された……お前はこの意味をどう捉える?」
質問の答えは既にアズリカの頭の中にある。だがそれを口に出す勇気を青年は持っていなかった。
口を不自然に閉じたアズリカの隣で、ラピスが感情の読めない声音を発する。
「新たな神が誕生したってことだろう?そしてその神が……リーシェ、なんだろうな……」
胸の内に留めておけなかった結論を吐露したように見えた。
背中を小さくさせるラピスの言葉に、ルキアはアメジスト色の瞳を丸くさせる。
「『伝説の存在』の片割れはリーシェという名前なのか……」
「は?お前、何言って……」
アズリカは聞き返そうとしてやめた。
ずっと胸の片隅にあった嫌な予感が、確かな形を得たからだ。
確実に最高戦力であるリーシェの不在を、全く気に留めないレウス。そしてリーシェを知らないルキア。
東の大陸でアズリカとラピスがリーシェと合流するより先に、レウスとルキアは少女に会っている。しかし銀髪の青年は嘘をつく様子もなく驚きを顕にした。
間違いない、とアズリカは絶望と共に確信した。
リーシェの生きた軌跡が少しずつ、しかし確実に消されていっている。
ラピスはこの事に気づいているだろうか。いや、きっと気づけるほど少年の頭は冷静じゃない。リーシェが神に至った予想で、有能な頭はいっぱいだろう。
会話の間でシュウナが空けた縦穴へ視線を向ける。
より深く階層を貫通することに楽しみでも見出していたのか、赤髪の戦人は不満そうに手をブラブラと振っていた。
「……九十九階層までしか穿てなかった。流石に簡単に百階層までは行けぬようじゃな。それに九十九階層は様子が変じゃぞ」
「変とは?」
手応えを確かめるシュウナにキリヤが首を傾げる。顔の横で青い鈴が涼やかな音を奏でた。
「階層丸ごと氷漬けじゃ。ま、十中八九『氷刻』の能力であろうな。ただ硬さが桁違いで、わしでも簡単には砕けぬぞ」
穴を降りながら唇を尖らせるシュウナ。
空気が冷えていく。髪に霜がつき、吐く息は白く濁った。
着地の瞬間、グレイスが重力で落下速度を緩めた。おかげで滑り転ぶことなく、凍りついた階層へ到着する。
九十九階層は巨大な広間だった。
前後に巨大な扉があり、より緻密な装飾が施された扉の奥から圧倒的な存在感を感じる。
求めていた温かな気配にアズリカとラピスは顔を険しくさせた。
「さて……この扉、どうする?」
白い息を虚空へ放ちながらルシャが言った。十人の中で最も攻撃力の高いシュウナにも壊すことができないなら破壊は不可能だ。
だがここまで来て引き返すことはありえない。
凍える寒さの中でどれだけ早く解決方法を編み出せるか。
一同は無言で考え込んだ。……静寂に可愛らしい腹の音がなるまでは。
クゥーという音を鳴らしたのはシュウナだった。
注目を集めた少女は、無表情でキリヤを見る。
「腹が空いたぞ」
「僕に言われても困ります……と言いたいところですが、空腹は戦いの敵。こんなこともあろうかと、干し肉を持参しました」
服の中から両腕いっぱいの干し肉を出した少年。道理でキリヤの近くに行った時、空腹を覚えると思ったのだ。あの服の中は一体どんな匂いになっているのだろう。
シュウナが小さな太陽のように『焔刻』を使い、ささやかな暖を取る。思い思いのところに座り、揃って干し肉に齧り付いた。
王族のレイラとグレイスも、王族らしくない柔軟さで干し肉を受け入れた。
寒いのに温かい、どちらかと言うと適温な空間に戦いで疲れた体が眠気を訴える。
ウトウトとし出した面々にシュウナが言う。
「扉はわしが何とかしよう。運命の時まで少し眠ると良い」
腹が満たされれば眠くなる。体力の回復も必要で、シュウナの申し出を断る理由はなかった。
上着を下に敷いてアズリカは横になる。リーシェの記憶について不安はあったが、連戦の疲労に瞼は正直だった。
意識が落ちる直前、シュウナにルキアが歩み寄るのを最後に見る。
束の間の、穏やかな休息に青年は身を預けた。





