神の討伐へ
東の大陸。全ての獣たちの王の一声で、神討伐の戦力は僅か数時間で集結した。
『セブンスロード』解体による影響で当初予定していた戦力より数は減った。しかし、代わりに追加された戦力を鑑みれば微々たるものだった。
それは『魔人族』の協力である。
魔人族のトップに位置する王族の一人、グレイスはベリアからの再来と共に時期国王としての権限を託されていた。全権とまでは行かずとも、神討伐への参加を決めることができる権利は与えられていたのだ。
神討伐に関して、アクレガリアイン王家の見解は『賛成』一択であった。選択の大きな理由となったのがリーシェだ。
リーシェの母ディアナは、ナシャを殺害した罰として監視の呪いをかけられ、大陸追放という形で放浪していたガルタと恋に落ちた。
王族と罪人がどうやって出会ったのかは未だ明かされぬが、ディアナは身分を捨てて駆け落ちをした。イグレットからの追っ手。そして恐らくはガルタの安寧を願って、誰も踏み入らない『禁足地・魔境谷』で暮らしを立て始めた。
ディアナは授かった子にリーシェと名付け、大変ながらも充実するであろう未来に思いを馳せた。
しかし幸せは瞬きの間だけだった。運命の悪戯か神の気まぐれか、生まれてきた子は『伝説の存在』としての宿命を背負っていた。
ディアナは『伝説の存在』についてあまり詳しくはなかった。ただ誰もが知っているような内容を知っていただけ。
だが、既に神の眷属と直接ではないにしろ騒動を起こしていたガルタは、子の運命を嘆いた。
その時はまだ子が『伝説の存在』の片割れだとは知らなかった。ガルタはディアナに『伝説の存在』について知っていること全てを明かし、その上で変わらず『魔境谷』で平穏に暮らそうと決めた。
『伝説の存在』がどんな存在かは知っていたガルタだったが、生み出される目的までは把握していなかった。漠然と『素晴らしい叡智と力で世界を調停する者』と認識していた。
子に物心が着いた頃。ディアナとガルタはリーシェが不完全な『伝説の存在』であることに気づいた。
大泣きして力を暴走させることは幾度もあったが、知能の発達は普通の子供と何も変わらなかったのだ。というより、少しだけ抜けていたり天然だったりドジだったりした。
リーシェの命が危ないと感じたのは、両親の直感だった。
ガルタはすぐに情報を集めるために短い放浪の旅に出た。たった一ヶ月。『知の力』を持って生まれた王子の存在を知るのに時間はかからなかった。
買い物ついでに情報を聞き回っていたディアナも、同じタイミングで王子の存在を知った。
『西の大陸の王都で王子が生まれたそうよ。この子と同じ日に』
帰ってきたガルタはディアナの報告に顔を歪ませる。
『やはり、伝説は娘だけではなかったか。道理で力が偏り過ぎだと思ったのだ』
情報収集の中で、王子がリーシェを探していることや、力の奪取には殺し合いが必要なことを知ったガルタは、穏やかなこの寝顔を見ながら唇を噛み締める。
情報の共有を済ませたディアナは、まだ小さいリーシェを大切に抱き上げて頬を寄せた。
『もし、この子が王子に見つかってしまえば能力を奪取するために殺されてしまうかも』
『「知の力」を持つのだ。いずれ、この谷にもやって来るだろう』
『この子が何もかも忘れてしまえば、逃げ延びられるかしら?』
『難しい。だが、不可能ではないはずだ。能力のことも……我々のことも忘れれば、もうこの子には何も残らない』
『何も残らなければ、王子に見つかっても無知を演じることができる』
『……我々は、忘れられてしまうのか……』
静かな話し合いの末に決められた手段に、ガルタの悲痛な声が落ちる。リーシェを抱いたディアナの腕が嗚咽と共に揺れた。
『仕方ないわ。愛する娘のためだもの。この子には宿命なんて忘れて……いいえ、宿命なんてものがあっても、末永く生きて欲しいわ』
まろやかな子供の頬に両親の涙が落ちる。
小さな存在は擽ったさにそっと瞼を震わせた。
『あぁ。愛するリーシェ。どうか、強く生きてくれ』
浅い眠りから覚め翡翠の瞳を覗かせる幼子は、その願いを無意識に心に刻みつける。
『あぁ。愛するリーシェ。どうか、幸福に生きてちょうだい』
僅かに空いた窓から流れる微風が母子の柔らかい赤髪を揺らした。夕日に照らされている両親の言葉に、幼子はふにゃっと笑い、僅かにけれど確実に頷いた。
そうして子は願いと希望を背負い、四歳の頃に両親と離別する。何も知らない優しい人が拾い育ててくれれば、きっと大丈夫。ディアナとガルタは強い口調で力を使わないように言い聞かせた。結果的にリーシェは己の能力を忘れ、そしてその後の鮮烈な日々で両親のことも忘れた。
ディアナとガルタの愛による大きな決断の結末は、とても残酷なものだった。
もし神の眷属がリーシェに介入しなければ。
もし神の眷属がディアナたちを捕えなければ。
もし唯一絶対神がリーシェに力を与えなければ。
一族の反対を押し切ったディアナは、今も幸福な日々を送っていただろう。十五歳になったリーシェと、そろそろ嫌われ始めそうなガルタと、谷の家で穏やかに笑っていたに違いない。
だからこそ、アクレガリアイン王家には神を討つ理由がある。人望深いディアナを悲しみの淵に叩き落とした元凶を、『魔人族』は打ち倒す理由があるのだ。
士気が高い『魔人族』と共に戦う東の大陸の戦力は以下の通りだ。
竜王レウス。その従者ルキア。
『狐』の獣人、計五百名。
『邪鬼』の獣人、計三百名。
『鳥』の獣人、計百五十名。
『蛇』の獣人、計二百名。
『熊』の獣人、計二百名。
『狼』の獣人、計三百名。
さらに、能力解放の条件を満たすためのアルロ。その妹であり十分な戦力であるアネロ。アネロよりも高い戦闘力を発揮するラーズ。傷が癒えたルシャ。『邪鬼』を統べるライヴィス。
『魔人族』からは、グレイスに加え女王であるレイラも出陣する。序列一族は万が一に備えて国の警護にあたることになった。その代わり、およそ千人程の戦闘特化も魔法の扱いに長けた兵士が駆けつける。合流は『魔境谷』という手筈になっている。
実に二千人以上の戦力だが、神を討伐するとなればどれだけあっても不安は残る。しかし戦人族に計画を話し、女王に協力を取り付け戦力を集めさせるには時間が足りない。
南の大陸が平定するのがもう少し早ければ可能だっただろう。だが無い物ねだりをしても仕方がない。
レウスが底知れぬ力の一部を解放し、千人以上の戦力を一気に魔境谷へと転移させる。次々と消えていく面々を岩の上から見下ろしていたアズリカは、見当たらない少女の影にため息を吐いた。
間違いなく最大の戦力であるリーシェの不在を、一切気に留めないレウスに首を傾げつつ、顔を不安一色に染めるラピスの肩を軽く叩く。
「ラピス、あまり心配するな。リーシェとはきっとすぐに会える」
レウスのせいでもありおかげでもある治った腕は、黒っぽい鱗のような筋肉で構成されている。変わり果てた両腕に自分で驚くことも何度もあった。ラピスはもう慣れてしまったのか、同じような状態の右腕でガシガシと黒髪を掻き乱す。
「あの時、俺が気を失わなければ……!」
「グレイスも言ってただろ。あれはリーシェが重力を操作して無理やり眠らせたんだって。リーシェにも色々なことが起こったんだ。一人で考えたい時だってあると思うぞ」
「……アズリカは心配じゃないのか?」
分かりきったことを聞く少年の後頭部を、思い切り叩く。
「馬鹿か!心配に決まってんだろ!」
「いや叩くなよ痛いから!」
至極真っ当な抗議を鼻を鳴らして無視する。アズリカの目線は、今から行くダンジョンの方角へと向けられていた。
「大丈夫だ。リーシェはいつだって、何があったって、俺たちのところの帰ってきたじゃないか」
「……!あぁ、そうだな。何ならさっさと神倒してリーシェに惚れ直してもらうか」
「調子乗ると真っ先にコケるから肩の力抜けよ」
あるはずもない展開を妄想するラピスの後頭部を、今度は少し強めに叩く。また飛んできた抗議に笑いながら、アズリカは胸の奥にある嫌な予感を必死に押さえ込んでいた。





