私の罪と業
手を引かれて、リーシェはいつの間にか見覚えのある景色の中にいた。
人気のない森の中。強風で倒れてしまいそうなボロボロの家と、近隣の村に続く坂の一本道。
「ここは……」
『懐かしかろう?汝が育った始まりの場所だ』
エメラルドグリーンの髪を揺らして前を進む少女に連れられて、家の中へと入った。誰もいないはずの屋内に、蜃気楼のような人影が浮かび上がる。
振り上げられた拳と殴打音。泣き叫ぶ声とやがて弱々しくなる啜り泣く声。
忘れるはずもない日々は、煙のように薄れて消えていく。
頭を振って思い出されたトラウマから目を逸らした。
『スティとの日々は楽しかったか?』
「今のを見てそれを言いますか」
楽しさなど欠片もなかった光景を目にした上での問いかけは、半目にならざるを得ない内容だった。
『フフ。つい、聞きたくなってしまってな』
「……嫌な思い出ばかりでしたけど、きっと忘れているだけで楽しいこともあったんだと思います」
『スティを恨んでいるか?』
「恨む……確かに少し前までなら似たような感情を抱いていました」
『今は違うと?』
「さぁ、どうなんでしょうね。私の人生を狂わせた一因でもある彼女を憎めばいいのか。それとも、彼女なりに不器用に守ってくれていたことを感謝すればいいのか。私には分からないのです」
景色が変わる。だが次に映し出されたのは家からほど近い小川だった。
ズタボロで華奢なかつての自分がそこにいた。打撲も擦り傷も数え切れないほどあり、その横顔は虚無に満ちている。
一年前のリーシェは、ただそこから逃げるために大自然へ身を投じた。生きるも死ぬも天運に任せて流されていく。
賭けの結果を知っているリーシェは、姿が見えなくなった自分を見送ってそっと目を閉じた。
また、景色が変わる。
森の風は止み、土臭い洞窟のような場所に移動した。魔境谷、その最深部の地下に存在するダンジョンの十五階層だ。
かつてのリーシェとラピスとアズリカ。今はもう懐かしく感じるキリヤの背中があった。四人と対峙するのは、リーシェが最後に見たスティの姿だ。
死神の鎌を振りかざすスティは、リーシェが知っている通り駆逐され消えていく。スティが息絶え絶えに残した言葉を聞いて、リーシェは自嘲的な笑みを浮かべる。
『いつか、きっと……後悔する。あの時、死んでおけば、良かったと……。意地汚く生きるんじゃ……なかったと、絶望する時が必ず来る』
あぁ、本当にその通りになった。
当時のリーシェには知る由もなかった。後悔することがこんなにどうしようもなく、辛いことなのだということを。
何もかも見通しているようなスティの言葉に、綺麗事で言い返す自分の背中を殴りたくて仕方がない。
意地汚く生きないでどうするのか?後悔せず生きて何が残るのか?
「どうもしない……何も残さなくたっていい。意地汚く生きるから、誰かが死んでいく。後悔してまで生きるから罪ばかりが残っていく。私は……あの時死ぬべきでした。初めて戦いに参戦した時。ラピスと出会った時。スティさんに痛めつけられた時。獣道に捨てられた時。機会はいくらでもあった。その度に私は、意地汚く生きた。その選択は間違いだったんです」
目の前を真っ暗な闇が覆っていく。同時に景色が変わった。
開いた視界の向こうには、瓦屋根が並ぶ街並みと負傷者が何十人も転がる一本道。シルビアだ。
空に浮かぶ赤髪の少女と真っ直ぐ見上げる黒髪の女性。雷が降り注ぎ、正義面したリーシェが短い一言と共にレリヤの体を焼き貫いた。
リーシェ自身も深手を負って瀕死の状態で地上に落ちていく。死ねばいいのに、と冷めた目でそれらを眺めた。
隣に立つ少女も同じような顔で事の幕引きを傍観している。
『あの金髪の少年。汝を生かすために随分頑張ったようだな』
「えぇ。優しい人ですから」
『汝が生きることを否定したら、今まで汝の命を繋ぐために努力した者が浮かばれなかろう』
「……無駄にはなりませんよ。私が今まで享受した楽しさは無意味ではなかった。日々も旅もこの結論を出すのに欠けてはならないものでした。平穏の尊さ、命の大切さを知ったからこそ、私は罪を自覚し、罰を受け入れることができるのですから」
『そうか』
次の景色はつい最近見た場所だった。
霧がない洞窟内。命を弄ぶように青髪の男を痛めつける赤い髪の背中を見た。
リーシェはその背後に佇んで鋭く両者を睨みつける。
「……正義だ人間性だと叫んでおきながら、私が一番それらからかけ離れていました」
今のリーシェと最も近い時期の自分に近づいて、ガラ空きの背中に剣を突き立てる。自傷行為のような攻撃は当たることなく体を透けていった。
場所は最初の暗い海へと戻ってきた。
気まずい訳では無い静寂をリーシェが最初に破る。
「見たのは三人だけでしたが、きっと私が知らないうちにもっと多くの人を殺しているのでしょうね。シルビアは特に。私が見た時、いた時は生きていても、その後に死んでいる人だっているはずです」
『汝はどうするつもりなのだ?』
「どうするも何も、私はもう死んでいますよね。眉間と心臓を貫かれたと思ったら、ここにいましたから」
『まぁ、死んでおるな。だが生き返る手段がない訳では無い』
少女の台詞に別段反応することなく膝を抱える。
「別にいいんです。私はここで終わり。失った命を取り戻そうとも思いません。それこそ、私が奪った命に面目が立ちません」
『フゥ……やっぱり、アンタはいつも矛盾してるね』
少女の口調が急に変わった。ハッとして見上げると、シトラスグリーンの瞳と目が合った。
容姿も顔も声も違うのに、ある人物の名前が思い浮かぶ。
「スティ……さん?」
リーシェの呼び声に少女……スティは意地悪そうに笑った。





