最後の仕事です
多くの信者を前にして、レヴィアタンがとった行動は『蹂躙』だった。
油断していたリーシェを力任せに引き剥がし、距離をとると腰のホルダーから銃を手に取り天へと掲げる。
眷属の象徴でもある血のような赤い瞳に強烈な殺気を乗せて、高らかに声を発した。
「ホーリーバレット!」
小さな銃口から、まるで柳のように流線型の光の弾丸が放たれた。高い天井ギリギリまで伸び上がった矢のような弾丸は、レヴィアタンの言葉通り雨のように降り注いだ。
その対象はレヴィアタンを除く全ての人間。見上げることしかできない信者たちも、対処が間に合わないラピスたちも等しく貫こうと煌めく。
ただ一人、リーシェだけは死の雨を見上げて瞠目し……そして微笑んだ。
ラピスは見た。アズリカはハッとなった。
こちらを振り向いたリーシェの儚い笑みを目の当たりにして、本能が最大級の警報を鳴らした。
なぜだかリーシェを止めなければならないような気持ちになって伸ばした手は、しかし届くことなく空を切る。
少年と青年が顔を青ざめさせる目の前で、赤髪の少女は両手を勢いよく打ち合わせた。
「全てを護りなさい。これがあなたの最後の仕事です」
達観したようなリーシェの台詞の後に、薄緑色の膜がドーム型に展開される。これまで目にしたどの障壁よりも巨大な『斬守』の防御壁が、ラピスたちと信者を全員覆った。ほぼ同時に全てを貫く光の弾丸が半球形の守りを襲う。
まるでリーシェの瞳のような森の色の向こう側に、凄まじい勢いで弾丸を耐え凌ぐ少女の姿を見た。
時には叩き落とし。時には相殺して。リーシェが持ちうる手段全てを使って、死雨に対抗してみせる。
その背中は舞い上がる土煙の奥に消える直前、深紅のカーテンが翻ったように見えた。
数十秒後。雨は止み、耳が痛くなりそうな静寂が辺りを包む。罅を入れながらも誰一人犠牲にすることなく守ってみせた防御壁は、力尽きたように音を立てて砕け散った。
黄緑色の粒子を散らして消えていく幻想的な光景に、暫し目を奪われた。だが次の瞬間には、この光景の異常さに気づく。
リーシェの持つ亜種属性『斬守』は、絶対の攻撃力と絶対の防御力を兼ね備えたものだ。『斬守』を使って攻撃すれば万物を両断し、『斬守』を守護目的で使えば万物を害から退ける。特に守護は使用者との距離によって効果は変化するが、基本的にはリーシェの意思に関係なく発動し続けている。
それが今砕け散ったということは、力を無意識に使っていたリーシェに甚大な被害が出たということ。
頭の奥で先程のルシャの言葉が反芻される。
最悪の可能性に思い至り、ラピスは悲鳴のような声で愛しい少女の名を呼んだ。
「リーシェッ!!」
勢いよく走り出す。弾丸で抉れた地面に躓きながらも、土煙の中を懸命に前へ進む。
そして、赤い背中を見つけた。
温かくて優しい赤髪の少女は立っていた。手には武器を持っておらず、息を乱してすらいない少女を見つけた。
さすがはリーシェだ、と思った。あれだけの攻撃をその身一つで凌ぐなんて、やっぱり追いつけないとも思った。
―――そう、思いたかった……。
「リーシェッ!リーシェぇぇ!!」
もう一度、手を伸ばす。何度だって、届かない背中に向かって走ったのだ。今度こそ届いてみせる。
必死に伸ばした指の先で、少女がこちらを振り向いた。
口から血を溢れさせ、体のあちこちに風穴を開けていた。腕も足も、脇腹も胸でさえ。無事な部位なんてどこにも見当たらなかった。……頭すらも。
「ぁ……ラ、ピ……ス」
聞き逃してしまいそうな小さな声で名を呼ばれる。
弱々しく伸ばされた手は、伸び切ることなく落ちていく。フラリと体が揺れて、虚ろな瞳は前髪の奥に隠れて倒れていく。
伸ばした手がようやくリーシェに触れた。
視界が乱れる。目の前が歪む。あぁ邪魔だ。涙が溢れて止まらない。リーシェを見たいのに、ぼやけてしまう。
袖の裾で何度も目元を拭い、明瞭になった視界で腕の中のリーシェを覗き込む。
「リーシェ!おいリーシェ!!リーシェッ!!」
何度も何度も名を呼んだ。これまで呼んだどの声よりも、力強く呼び続けた。
呼べばいつだって振り向いてくれる。リーシェは優しいから、いつだってラピスの隣に来てくれる。
それなのに。
なんで。なんで。なんで、なんでなんでなんで!!
「返事を……してくれないんだ……!」
開いている瞳は変わらず優しくて穏やかな森の色。それなのに、まるで曇りの日のように光が消えている。額に穴が開き、右胸が貫かれ、穿たれた腹からは血が溢れ出す。目尻から零れている涙は真っ赤に濡れていた。まるで泣いているようにリーシェは腕の中で息を止めていた。
土煙が晴れる。追いついてきたアズリカが、惨劇を見て膝から崩れ落ちる。その後ろでルシャも呆然と動かなくなったリーシェに視線を注いでいた。
「リーシェ……。頼むから、起きてくれよ。起きて、また笑ってくれよ……!お前は!もっと幸せにならなきゃいけないだろう!!」
傷だらけのリーシェの体を掻き抱く。開いたままの瞼を手でそっと閉じさせて、ラピスはその唇に口付けた。命の味がする初めてのキスは、あまりにも悲しすぎた。
アズリカが。ルシャが。ラーズが。アネロが。アルロが。シノブが。誰もが悲しみに暮れる中、場違いな笑い声が響き渡る。
「アハハハハハハ!やっと、やっと殺したわ!アスモデウスの"大切"を、ようやく奪った!!」
少女を地面にそっと横たえてラピスは激しい殺気を、笑うレヴィアタンにぶつける。
怒りと悲しみに震える声は、低く凍えていた。
「シノブ。リーシェを頼むぞ」
「……了解した。命に変えても、守ると誓う!」
憎悪に染まった金の瞳を半月にして、ラピスとレヴィアタンは睨み合った。
☆*☆*☆*
暗い海の底にいた。
目を開けても何も見えない、そんな空間にいた。
記憶にはないが身に覚えのある感覚に、ある少女の再来を予感した。
まるで予定調和のように目の前が淡く輝いて、光の中から不思議な少女が進み出る。
その少女に見覚えがあった。
髪はエメラルドグリーンの虹彩を放ち、瞳は次々と色を淡く変えていく。質素な白いワンピースを揺らして、白い素足で同じ目線に立った。
『汝は、死にたかったのか?』
いつかと同じ質問に俯く。
「分かりません……」
『……そうか。ならば少し、旅をしよう』
「旅?」
ぼんやりと首を傾げるのを見て、不思議な少女はそっと手を差し出した。
爪の先まで整えられた手をしばらく見つめて、恐る恐る自分の手を重ねる。
それを確認して少女は意地悪げに微笑んだ。
『ゆくぞ、リーシェ』





