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茨の道のり

 扉をくぐるリーシェの背中を追って、ラピスたちはコソコソと耳打ちし合った。


「アイツ、なんかおかしくねぇ?」


 誰もが抱いている確信を口にしたのはラーズだ。その隣でアネロも頻りに首を振っている。アルロは神妙そうな顔で先を歩くリーシェを見つめていた。

 少女のことをまだ全ては把握していないシノブはなんとも言えない表情をしていた。


 首だけの状態で放置されかけていたベルゼバブにトドメを刺してきたルシャが、嘆息交じりに頭を搔く。


「俺からすればあっちの方が自然だがな。あの姿が、あの者が歩いてきた人生で本来獲得するはずだった人格だろう。これまでのリーシェは半分聖人めいた思想をしていたからな」


 ルシャの言葉に少なからず納得してしまうのはラピスだ。

 今のリーシェがどんな心を持っているのかは不明だが、彼女の過去を鑑みるにあれが一番しっくりくる姿のような気がした。


 リーシェの怒りは常に悪に向けられていた。悪を許さず、暴力を嫌い、正義をまっとうする。平穏に暮らしたいという自身の願いに遠回りしてまで、他者に手を差し伸べる姿は聖女のようでもあった。

 しかし、優しい微笑みを浮かべて生を諭す聖女の過去は、その姿には結びつかないほど悲惨なものだ。


 スティにも葛藤があったとはいえ、リーシェは四歳の頃から死と隣り合わせの環境で育ってきた。今になってスティの心の内が明かされたとしても、リーシェが負った傷は消えないし嘘にはならない。

 であればこそ、リーシェは誰よりも自分を大事にし幸せにならなければならない。

 本来享受するはずだった、普通の少女としての暮らしを神によって奪われた。生まれた時から決められていた薄暗い生の道を、見返してやれるくらい明るく生きるべき人間だ。


 だがリーシェは戦いの道を選んだ。『技の力』に導かれるように、救済の意志を示して旅を続けている。彼女は言った。世界が平穏になってくれれば、自分も平穏に暮らせるのだ、と。

 果たしてそれは一体いつになるのだろう。


 世界は問題だらけだ。調停の役割が与えられているとはいえ、人の手には余るほど混沌がうずめいている。

 半神になったことでリーシェとラピスには寿命がなくなっている。半永久的に生きることができる訳だが、混沌は永久的に生み出され続けるだろう。


 何百年、何千年リーシェが頑張ろうと、彼女が平穏に暮らせる日々はきっと来ない。

 神を討伐すればきっと世界は大混乱に陥る。それだけで数え切れないほどの問題が浮上してくるだろう。


 ラピスは憂いていた。リーシェの意志は決してリーシェに平穏など与えないことを。


 だからこそ、少年は今のリーシェに少しだけ納得し安心していた。

 リーシェは悪を許さない。徹底的に排除しようとする癖がある。それは彼女自身の根底にある、暴力に対する恐怖から成るものだ。


 しかし先程、リーシェはベルゼバブの命を奪わなかった。

 やり方はどうであれ、悪を徹底的に排除する心に変化が起きている。この変化が大きくなれば、世界全ての悪を根絶やしにしようという意志も弱くなりやがて消えるだろう。

 そうすればリーシェが望む平穏な暮らしも手に入るはずだ。


 僅かな希望を抱いたラピスの横で、ルシャは静かに首を左右へ振った。まるでラピスの希望を否定するかのような様子に、黒髪の少年は首を傾げる。


「よく見ろ、アレが纏う空気を。あれは絶望だ。悪を許さないリーシェは、悪に染った自身に失望し生きることから目を逸らしかけている」


「……あの黒雷。まるで俺たちを拒絶しているみたいだな」


 リーシェが今も周囲に纏う黒紫の稲妻に、アズリカは漠然とした感想を述べた。その言葉はただの感想であるはずなのに、少女の意志を代弁しているようだった。


「お前たち、決してリーシェから目を背けるな。今のリーシェは自分の命などこれまで以上にどうでもよくなっているだろうからな」


 ルシャがそこまで言うと同時に、一行は次の部屋へと辿り着いた。

 最初の部屋と全く同じ内装の春を思わせる部屋の中央に、レヴィアタンの姿を見つける。


 砂金のような金髪を背中まで流す少女は、さっきまでとは様子が違うリーシェを見て妖しい笑みを見せた。


「ようこそ。ベルフェゴールとベルゼバブとは良きお話ができたようですわね」


 レヴィアタンが話し始めてもリーシェは足を止めることなく進み続けている。顔は真っ直ぐ正面を見ているはずなのに、視界にレヴィアタンが入っていないような印象を受けた。


 明らかにおかしいリーシェに対してレヴィアタンも言葉を止める。その表情から笑みを消して、警戒を露わにした。


「……あなたお得意の"ご挨拶"はしないんですの?」


 眷属の問いかけに初めてリーシェが口を開く。


「挨拶?」


 纏う稲妻が大きく膨れ上がった。


「どうせ死ぬ相手と何を語れば良いのでしょう?」


 春の景色に似つかわしくない激しい金属音がラピスたちの耳を穿つ。

 これまでで最も迅速に始められた戦いの音色と、リーシェの凍えるような声音にラピスは冷や汗を垂らした。


 リーシェが遠くに行ってしまうような気がして伸ばした手は、背後から近づく気配を察知して中途半端に止まる。


 いくつもの足音が歩いてきた部屋から響いてきた。怒号や悲鳴が波のように押し寄せてくる。

 斧と傘で鍔迫り合いになっていたリーシェとレヴィアタンも、それに気づいて動きを止める。


 最初に足音の正体を確認したのは目がいいシノブだった。

 普段の落ち着いた雰囲気をかなぐり捨て、焦ったように叫ぶ。


「皆様方!警戒を!眷属を殺されたことに怒った"信者"の類いの人々が怒り狂って走ってきます!!」


 シノブが叫ぶのと、何十人もの人々が部屋になだれ込んでくるのはほぼ同時だった。

 最先端を走っていた男が、口から泡を飛ばしながら大声を放つ。その腕には目を閉じたベルフェゴールの首と、瀕死のゼバブが抱えられていた。


「貴様ァ!!我らが神の使徒に何してる!!!」


 阿鼻叫喚が響き会う中でその言葉だけは聞き取ることができた。言葉らしい言葉を発している者など誰もいない。

 人が有する狂気が熱気となって押し寄せてきた。


 そんな彼らを見て……レヴィアタンは邪悪な笑みを口元に刻んだ。

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