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眷属たちの契約

 血溜まりの中でリーシェはハッと我に返った。

 赤い髪を濡らす鮮血を指で払い、立ち上がると肉塊と血の海から数歩下がる。そして辺りの現状に愕然とした。


「……これを……私が?」


 岩肌を濡らす真っ赤な色。洞窟に篭もる血生臭い空気。原型を留めていない肉体。顔や体に着いたまだ温かい肉片。

 地獄のような光景にリーシェは口元を抑えた。

 キージスを氷で捕らえたところまでは覚えている。だがそれから先の記憶が、すっぽりと抜けていた。


 手指に付着した緋色が、現状を作ったのが誰なのか示す動かぬ証拠となっていた。


 頭が真っ白になって呆然としてから少女はあることを思い出した。


「ルシャ……ルシャ!無事ですか!?」


 木っ端微塵にしろと言われたからという訳では無いが、青髪の青年の体はミキサーされた後のようになっている。

 血肉の海に向かってリーシェは叫んだ。


 どうか生きていて、と切実に願う少女の目の前で、血溜まりが僅かに波立つ。

 風もないのに揺れ始めた赤い海は、やがて青年の身長と同じくらいの渦となった。


 リーシェに付着していた欠片も回収され、数秒後に渦が人型を成していく。


「いや、問題なく生きているが……。心境としてはものすごく複雑だ」


 気まずそうな顔で、欠けた部位がないルシャが現れる。瞳は紫陽花や菫を思い起こさせる色をしていた。歪んだ笑みはなく、キージスの消滅を確定させた。


 自身の体の肉片から再生したルシャは、仕切りに腕や足を確認していた。


「腕と足はあるな……。喋れてるってことは舌も無事に再生できたか。肋骨は……ふむ、問題なく足りている」


 隅から隅まで欠けている場所はないか調べたルシャが、引きつった顔をする。含みのある視線にリーシェはそっと目を逸らした。


「自分の体が卸される魚みたいに分解されていくのは、なかなかホラーだったぞ」


「その……すみません」


「構わないが正直驚いた。お前があんな狂気を持っていたとはな」


 何も言い返せない。リーシェ自身も驚いているのだ。しかし、もう先程のようなことはないだろう。リーシェが憎しみに囚われるのは、あの眷属だけなのだから。


 血や肉片が綺麗に取れた髪を背中に流しながら、少女はルシャに質問した。

 七人の眷属について、青年は洞窟の出口に向かいながら説明していく。


「眷属たちは隠れているわけじゃないからな。すんなり会うことは可能だろう。『神官』という存在を聞いたことはあるか?」


「はい。神の声を聞くことができる者が集まる組織だと、レウスに聞きました。国民に寄り添う組織ですが、絶対神の声が聞こえなくなっているせいで、勢力は縮小されているそうですね」


「『神官』が集まる組織は眷属の隠れ蓑に過ぎない。神の声を聞けるなんて胡散臭いが、実際にそれは成されている。何せ、『神官』として動いているのは、紛れもない眷属だからな」


「神の眷属が民の声に耳を傾けているのですか?」


 キージスのイメージが強いリーシェにとって、神の眷属はあまり良い想像ができない。

 少女の戸惑いにルシャは小さく笑った。


「言っただろう?キージスは例外だ。アレは特別、飛び抜けて邪悪なんだよ。細かいことは俺も分からないが」


 一呼吸挟んでルシャは言葉を続ける。


「七人の眷属たちは、それぞれが司る感情に関する悩みや相談事を聞いているらしい。そのため、助けられた国民たちからの信頼は高い。竜王の一声で計画された神討伐が、なかなか実行されないのはそれがあるからだ」


「眷属は神サイドの存在。神討伐には眷属との衝突が避けられないですが、国民からの信頼もあるから無下にもできないのですね」


「あぁ。竜王の命令は絶対。これは獣人の本能に近い仕組みだが、同時に人の部分が不満を抱く。これが爆発し反乱を起こされるのは、竜王も望むところではない。個々の力が高い国民たちは、討伐の大事な戦力だからな」


「その眷属を滅ぼしに向かっているわけですが、大丈夫なんですか?」


 見えつつある洞窟の出口に視線を向けたルシャは、癖っ毛を湿った風に揺らしている。ラベンダー色の瞳は伺い知れない感情を浮かべていた。


「ナシャをおかしくさせた元凶を滅ぼさなきゃ気が済まない、というのが一つ」


 話を聞く限り五十歳以上のはずの男は、顔に憂いを湛える。中身の人格が違うと、表情もガラリと変わることにリーシェは気づいた。


「国民の反感を買う行動を眷属がしようとしている、というのが一つ」


「……もしかしてアルロのことですか?」


「よく気づいたな。アルロは全獣人族にとって決起の鍵であり、蹂躙の引き金だ。絶対的な力で民を従えるレウスが暴虐の象徴なら、アルロは神秘的な力で信仰を集める強さの象徴。眷属たちはアルロを消す算段を付け始めた。

 ……焦っているのだろう。竜王の実力は未知数。あの男が何かをやらかす前に、討伐の火種を消しておきたいのさ」


 洞窟を出る。雨を降らす青空が切り越しに薄く見えた。

 見上げた空に亀裂が走った。異空間側からこちら側へ繋がりができたらしい。


 開いた虚空の顎から、黒髪の少年と若草色の青年と褐色肌の少女が降り立つ。青年の背中には、胴体に大きな穴を空けたフェンリルが担がれていた。


「迎えに来てくれるかと思ったが」


 若干しょんぼりとしているラピスが肩を落として言った。子供のような姿だが、纏う雰囲気はリーシェとよく似ていた。


「拗ねるなよラピス。リーシェはリーシェで、それどころじゃなかったんだろ。そうじゃなきゃ俺たちを忘れるなんてことしない……よな?」


 途中まで自信満々に言うも、最後には不安そうに見つめてくるのはアズリカだ。服の胸部にはナイフで刺されたような損傷ができていた。


「えぇ、そうですね。正直、洞窟の中に来て欲しくありませんでしたし、外に逃がしたラーズとも合流したかったので」


 もちろん忘れるはずがない。アズリカの言う通り、それどころではなかったのだ。自然と洞窟の外に出てきたが、ラーズと合流したいというのも本心である。あの凄惨な殺害現場を見て欲しくなかったのが一番だが。


 安堵した様子のラピスの視線は、リーシェの隣にいるルシャへ向いた。


「キージス……じゃないんだよな?」


「あぁ。アレの人格はリーシェが破壊したからな。俺は依代となっていたルシャだ」


 ルシャが答えると、アズリカの背中におぶられているフェンリルが咳き込んだ。血塊を吐き出した青年が、息も絶え絶えに口を動かす。


「ゲホッ……ルシャ、アイツらが……待っているぞ」


「え、その状態で生きてたのか?」


 死体を連れてきたつもりだったらしいラピスとアズリカが、驚いたように目を見開く。隣ではシノブが「気づいてなかったのか」という別種の驚きを見せていた。


「ライヴィスと……メイティアが、貴様の帰りを……待っている」


「そうか」


「早く、顔を見せてやれ……。じゃなきゃ私がまた尋問される……」


 そこまで聞いてリーシェたちは察した。ずっと不思議だったのだ。ライヴィスがフェンリルを捕らえていた理由が。排除する訳でもなく、鎖を破っても拘束し直す訳でもない。

 ライヴィスは知っていたのだろう。大叔父であるルシャの体が、キージスという眷属に使われていることを。ルシャの人格はまだ生きていて、奪還可能なことを。


「ルシャさんはどこだ、としつこいくらいに……聞いてくるものだから、ゲホッ……しらばっくれ続けたら、鎖でグルグルに巻かれた……」


「フッ。それは見物だな」


「ふざけるな……」


「フェンリル、ご苦労だったな。長い間、キージスを抑えてくれたこと、感謝する」


 二人にしか分からない会話の後、フェンリルはそれっきり動かなくなった。呼吸もなくなり眷属の人格が潰えたことを知る。


 アズリカがそっとフェンリルの体を地面に横たえた。

 傷だらけの体は簡易な衣だけを身につけている。激戦を想像させる損耗具合に、リーシェはラピスの方を見た。

 半神へ至ったことを背に背負う重圧が知らせている。少年の中でも人格同士の決着がついたのだろう。


「……フェンリルはお前たちの目には悪に映ったかもしれないな」


 静寂をルシャが破った。

 優しい目で息絶えた褐色の青年を見ていた。視線の先で、青年の姿がみるみるうちに狼の亡骸へ変わっていく。


「眷属の中でもキージスとフェンリルが特別だという話はしたな」


 リーシェがルシャから聞いた話だが、少年と青年もシノブから説明されていたらしい。


「この狼はガルタによく付いて歩いていてな。狼のくせに、犬みたいにお前の父親に懐いていた。人の機微に聡い狼だったから、ガルタの所業に獣なりに疑問を感じたらしい。一件の真相を探る俺の後をいつの間にか着いてきていた」


 聡明な狼だったが、細かい役目までは果たせなかった。ナシャの無念を晴らしたいルシャと、ガルタの無実を証明したい狼は、度々衝突したらしい。

 ある日のこと、狼はじっと空を見上げていた。霧の向こうに何が見えていたのか。或いは見ていたのではなく、獣にしか聞こえない声に耳を澄ましていたのか。

 翌朝、ルシャの前には褐色の青年がいた。


「『自分は神の負の感情から生まれた、眷属の出来損ないだ。人に憑依できないから、劣情に苛まれていた狼に降りてきた。存在意義には逆らえないが、自分も旅に協力させてほしい』と、言った。随分驚いたものだ。詳しく聞けば、決まった感情から生まれた訳ではないから、存在が定まらないと言う。死にたくないから、狼の人格になることを許してくれと頼まれた」


 ルシャはあることを条件に承諾したそうだ。

 条件は二つ。

 もしルシャが眷属の人格に目をつけられた時は、その人格を気づかれないように抑制すること。

 もしこの先、王族の誰かがルシャを探していたら、行方を聞かれたら何も答えないこと。


「了承した眷属のなり損ないにフェンリルと名をつけた。俺がキージスに憑依されても、拮抗し人格を交代させることができたのは、フェンリルの働きが大きい。利害の一致があったのは小さなことだ」


「一ついいか?シノブやお前の時は、眷属を殺せば本来の体の持ち主の人格を解放させることができた。だが、フェンリルの場合は持ち主ごと死んでいる。これはどういうことだ?」


 その問いを発したのはアズリカだ。ラピスも疑問に思っていたらしく、複雑な表情で狼の亡骸を見つめている。


「命は一つの生命体につき一つ。これは神が定めた世界のルールだ。俺たちの場合は、体の主導権を完全に眷属に明け渡した上で対処してもらった。俺たちは死んだことにならず、しかし体は消滅していることで、システムにバグが発生したのさ」


「……ラピス、つまりどういうことだ?」


「説明しづらいな……。魂は健在なのに、器が消えたせいで、神の方がルールを破ったと誤認した。掟破りを無くすために、消滅した肉体を健在な魂に戻したんだ」


「リーシェ……分かるか?」


「私もよく分かりません」


 一斉に首を傾げる三人にルシャは苦笑した。


「一人の体に二つの命は多いから、どちらかの人格と同時に肉体が消滅した時点で、認知していたズレを直すために残った人格に肉体をもう一度付与するんだ」


「そんなことできるのか。神ってすごいんだな」


 遠い目になったアズリカが棒読みで言った。これは後で、ラピスから徹底的な補足説明がされるだろう。


「俺とシノブは本来の人格が寿命的に生きていたから、体が失われてもまた再生できたのだ」


「狼の場合は寿命はとっくに終えていて、体を付与する命がないから、フェンリルが死んでも蘇生されない、ということですね?」


 答えに行き着いたリーシェにルシャは頷いた。返すべき命がなくなっていれば、蘇生させようがないのだろう。


「さて。話を最初に戻すぞ。眷属たちの居場所についてだ」


 難しい話があまり得意ではないアズリカが、ラーズを探しに行くことを口実に立ち去るのにそう時間はかからなかった。


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