一年前の真相です
勝負はリーシェの圧勝だった。少女が全力を出すまでもなく、キージスは簡単に膝を着いたのだ。
短い戦闘の中で感じた違和感に首を傾げたリーシェは、力なく項垂れる男に問いかけた。
「キージス?あなた、ラズリの時の強さはどこに行ったのですか?」
カボチャだと思って包丁を入れたら、硬さは豆腐だった時のような拍子抜けだ。ラズリではリーシェとラピスとアズリカ、戦人族のリンとジュアンの手を借りて、ようやく拮抗できた。
それが今回は数合と打ち合わずに彼は無念そうに崩れ落ちたのだ。
演技ではないだろう。もし演技だとしたらあまりにも危険すぎる。次の瞬間にも首を斬られてもおかしくないのだから。キージスは危ない橋は自分の足で渡らない性格だったはずだ。
リーシェの疑心に男は、汗まみれの顔に薄らと笑みを作った。いつもの歪んたものではなく、諦めに似た表情だった。
「わたくしは、神の眷属でありながら神が作ったルールに背きました。そのため、眷属としての力の大部分を没収されたのです」
背いたルールの内容を視線で問う少女に、キージスは素直に白状する。
「蘇生ですよ」
「蘇生?灰からしぶとく這い出てきたあの時のことですか?」
「そうです。命は一人一つだけ。これは神が定めた絶対のルール。わたくしはそれに背いたために、戦う力は残されておりません」
「……だからと言って手加減はしません。無抵抗だろうと、私は容赦なくあなたを痛めつけますよ」
キージスが両親を拷問したように。残酷な方法で愛し合った二人を切り離したように。これまで男が苦しめてきた全ての人々が報われるように。
リーシェは冷酷に淡々と宣告した。
半神の覆らない決定に対しキージスは……。
常の嗜虐的な笑顔を見せた。
「わたくしの目的は残念ながら達成されませんでした。えぇ、非常に残念です。無念でなりません……。なので」
赤髪に隠された背中に戦慄が走る。今すぐ男を殺せと本能が叫ぶ。
右手に携えていた長剣を翻すのと、キージスの体から風が巻き起こるのは同時だった。
「くっ……!?」
「役者を交代させていただきますね?ご機嫌よう、リーシェさん」
顔を両腕で覆ったリーシェの目の前で、男の体が大きく震える。
青い髪が風に揺れて、両側頭部から黒紅の角が伸びる。いつも不気味に光っていた真紅の瞳は、数回瞬きをするうちにラベンダー色へ変わっていった。思わず魅入ってしまう美しい瞳から意識を逸らし、リーシェは全力で男に斬り掛かる。
しかし、その行動は遅すぎた。
キージスが特有の表情をした瞬間に首を撥ねるべきだった。
振りかざした雷を纏う氷剣が、膝を着いたままの男の左手の一閃で弾かれる。
剛力とも言える力で押し返され少女の体は数歩後退した。
冷や汗を流すリーシェの目の前で、男が口を開く。響いた声がキージスと全く同じものだったが、口調は別人のように変わっていた。
「どうせこうなるなら、最初から俺が動いていれば良かった」
「あなたは……誰ですか?」
「気づいているのに質問するのは、お前の悪い癖だな。角を見てもう察してるんだろう」
色に個人差はあれど基本的には黒っぽい、歪曲した角。『メヴィディア』に多く住まう『邪鬼』の特徴だ。
リーシェはひどく混乱した。
キージスだったはずだ、と。今から痛めつけて殺そうとしていたはずの男は、誰よりも憎い眷属だったはずだ。そのはずだったから、リーシェは憎しみと男の罪を大義名分に、彼を惨殺しようとしたのだ。
逆を言えば彼じゃなければ、惨殺などできるはずもない。
不意に両眼の奥が抉られるように痛んだ。自然と涙が出てくる激痛に、リーシェは剣を取り落とす。開いた両手で、押し潰すように目を抑えた。
「痛いか?そうだろう、呪いの効果を全て解放させたからな」
「の、呪い……?お父さんから受け継がれた……監視の呪いのこと……?」
「その通りだとも。野次馬のような真似事はできても、呪いは掛けた本人にしか操作できない。ここまで言えば、その痛みの中でも理解できるだろう?」
呪いは『邪鬼』が扱う力の一つ。メヴィディアの前々王を殺害したリーシェの父は、罰として美しい瞳に激痛を引き起こす『監視の呪い』を掛けられた。それはリーシェにも継承されたが、運良く痛みを感じる効果は消えていた。リーシェの視界から行われる『監視』は、呪いを掛けた王族の血族なら誰でも可能だとメイティアは言っていた。
つまり、キージスの姿形をした男は『邪鬼』の王族。しかも、父に呪いを掛けた本人ということだ。
「理解できたみたいだな。俺はルシャ・メヴィディア。お前の父親が殺した男の兄弟であり、現王であるライヴィス・メヴィディアの大叔父に当たる者だ。さぁ、どうする?お前が俺を殺すのか?お前の父親が殺した男の親族を、その剣で貫き惨殺するのか?そんな資格が、お前にあるとでも?」
一息にされた説明と投げかけられる問いかけ。
リーシェはその問いに頷くことが出来ない。なぜなら、彼にとってリーシェは仇の娘だからだ。今も両眼を襲う程の激痛を植え付けるほど憎んだ男が、幸福の末に手に入れた娘だからだ。
立場が一気に逆転してしまった。
キージスはリーシェの仇だった。
だがリーシェは彼にとって仇のようなものなのだ。
ルシャの気持ちは痛いほど分かる。つい先程まで少女も抱いていた激情だったから。だからこそ、リーシェはルシャに剣を向けることができない。
激痛が少しずつ和らいでいく。ルシャが何を考えたのか痛みの効果を再び封印したらしい。まともに回るようになった頭で、少女は一年前のことを思い出していた。
キージスは父の首を斬り飛ばした。あの場でキージスを殺そうとしたリーシェに、「誰も殺すな」と叫んだ瞬間、斬首した。
もしかして、とリーシェはある予想に思い至った。
「あなたは、執行人として父を斬首刑にしたのですか?」
「なぜそう思う?」
「ただの勘です。あの時、キージスが父を殺す必要はありませんでした。だけど『耳障りだった』という理由だけで、キージスは首を斬った。あれは……あなた方の言葉を借りるなら、一時的に役者を変わっていたのではありませんか?」
痛みの名残を感じながらリーシェは強く確信した。眷属がどのような仕組みで成り立っているのか、リーシェは分からない。だが今の状況を見て、神の眷属は人格だけが存在し、器となる人物に憑依する形で存在しているのではないかと仮説を立てていた。真相に近い仮説を立てた少女は、父を殺したのはキージスではなくルシャだったのではと考えた。
だがその予想はリーシェにとって都合の悪いものだ。
キージスを恨んでいたのは父を殺し母を殺したから。ラピスを苦しめ、ラズリの兵士たちを苦しめ、セルタの人々を苦しめたから。
しかしルシャが父を殺したのなら、恨みが一つお門違いだったことになる。もちろんそれでキージスへの感情が明るくなるわけではないが、少女からしたら複雑だった。
フラリと立ち上がったリーシェの確信に、ルシャは肩を揺らして大きな笑い声を上げた。
「フッ……フハハハハハハハ!!お前、面白いな。よくそこまで頭が回るものだ」
そうして彼は肯定した。
「正解だとも。お前の父を斬首した時、一瞬だけ俺と眷属の人格は入れ替わっていた。あの時のことを思い出すと、今でも歓喜に心が湧く!なんて甘美な絶望なのだろうとな!」
興奮したルシャが洞窟の石を手に取った。石は淡く輝いたかと思えば瞬きのうちに、黒紅の剣へ形を変える。
彼の一撃をリーシェは十分に避けることが出来た。半神となった体の五感を使えば、運動能力を用いれば、十二分に迎撃可能だった。
この時、リーシェはこう思ってしまったのだ。
「斬撃を受けるのはリーシェの責務なのだろう」と。
なんの根拠も無いその感情に、リーシェは身を委ねた。憎しみを知っているから、斬られようと思った。
防御壁を解除して、一切の防御をせずに少女は毅然と立つ。
ルシャのラベンダーの瞳に、その姿は眩しく写った。男の脳裏に今は遠き兄弟の声が思い起こされる。『なぁ兄弟。お前は俺みたいにはなるなよ』と。
黒い刀身がリーシェを切り裂く寸前でピタリと止まる。
目を見開いたリーシェに、ルシャはつまらなそうに呟いた。
「……お前の父親は俺が殺した。兄弟の仇はそれで十分だろう。それでも煮え切らないのは、それだけ俺が兄弟を愛してたからさ。愛してたから、喪ったのがこんなにも辛いんだ」
「ルシャ……?」
「愛してたからこそ。もういないからこそ。遺言は大事にしなきゃいけないよな」
剣をどこかへ投げ捨てルシャは寂しげな顔をしていた。
「俺の兄弟は王にしては未熟で幼稚な奴だった。お前の父親は凡人にしては達観していて無駄に正義感の強い奴だった」
青い髪の男はそれだけ言うとどこかへ歩いていく。手招きされてリーシェも後を追う。
連れていかれたのは、洞窟には似合わない寝椅子がある空間だった。
「そのうち知ることになるだろうが、俺に語らせてくれ。俺と俺の兄弟とお前の父親の、三人の馬鹿な男の話を」
椅子にゆったりと腰掛けてルシャは言う。残されている時間がない、とでも言うようにその声音は有無を言わせなかった。
興味をそそる話の内容に少女は素直に頷いた。





