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今を賭けて

 意識が揺れ仰向けに倒れたアズリカは、ぼんやりと見上げていた天井の色が変わったことに目を見開いた。


 異空間のどこまでも続く白い天井が突如消え去り、代わりに息を呑むほど美しい夜空が広がったのだ。

 瞬く星々。吸い込まれそうなほど深い星の海。


 アズリカにトドメを刺そうとゆっくり近づいていたシノブも、起こった現象に足を竦ませた。


「な、なんだ……これは?どうして星空が……」


 青年はすぐに気がついた。

 これはラピスの仕業だと。ラピスがフェンリルとの戦いに決着をつけようとしているのだ。

 ならば呑気に寝ていられない。


 緩慢な動きで立ち上がり、胸に刺さった短剣を勢いよく引き抜く。

 吹き出る血はなく、傷は暖かい光とともにみるみる治っていった。リーシェが言っていた盾とはこのことだろう。少女と離れたせいで、絶対の障壁としての機能はなくなった。だが代わりに、傷ついても立ち上がりさえすれば傷を治療する効果へ変わったのだ。


 リーシェがそのようにしたのか。それとも「技の力」の自我がお膳立てをしてくれたのか。

 どちらにせよ、また少女に助けられてしまった。


 だが構わない。青年たちは助け合って生きていく。お互いに足りないところを補完し合って、敵を退けていけばいい。


 負った傷をすべて快癒させ立ち上がったアズリカを、褐色の少女は唖然として見た。


「なぜ立ち上がる!?痛いだろう!?苦しいだろう!?人は誰しも、苦痛が嫌いなはずだ!楽な方へと逃げるはずだ!?」


「なら、死んだ方が楽だと……お前はそう言いたいのか?」


 言葉なくしきりに頷く憤怒の眷属にアズリカは憐憫にも似た笑みを向けた。


「苦痛から逃げんのは確かに楽だろうな。何も考えずに済むし、何もしなくていい。だが、俺はそんなのごめんだ」


 死んでしまえば後にはもう何も残らない。

 苦痛から逃れるとは、幸福から逃れること。そんなのは嫌だ。楽しいこと、嬉しいこと。辛いこと。苦しいこと。全て甘んじて享受し、青年は生きていく。

 これからずっとリーシェとラピスと一緒なら、苦しいこともきっと楽しいことへ変わるはずだから。


 未来のためにアズリカは今のすべてを捧げ費やすのだ。


 血の跡だけが残る口元を嬉色に変える青年に少女は叫ぶ。


「綺麗事を抜かすな!その場限りの御託で、私にそんな顔を向けるな!あぁ苛立たしい!腹立たしい憎らしい恨めしい!!」


 少女の体が大きく震える。

 人の形が異形へと変わっていき、数秒後には巨大な鼬が牙を剥いていた。


「人は変わる!どれだけ綺麗事を言おうが、最後には我が身可愛さにすべてを見捨てる!!貴様も!あの黒髪の餓鬼も!赤髪の半神もだ!!」


「別にお前がどう思ったって俺には関係ねぇよ。俺はただ、お前を倒すだけだ。だが一つだけ親切な俺が教えてやろう」


 手元に出現させた巨大な鎌をアズリカは指先で浮かせた。軽々しく振り回され、切り裂かれた空気が獰猛な悲鳴を上げる。


 若草の瞳に消えることの無い戦意の灯火を宿し、青年は不敵に笑った。


「何があっても、俺たちは変わらないってことをな!」


 空気が唸る。鎌の刃が鼬へ迫り、敵の慟哭にも似た雄叫びごと切り裂いていく。

 鼬の周りに、数千のクナイが出現し鎌を操るアズリカへ発射された。


 青年は左手に一本の鎖を出現させた。鈍く銀色に光る鉄の鞭は、出番を待っていたかのように首を持ち上げた。


「一振りも残さず叩き落とせ」


 低い声で囁かれた命令に鎖は嬉々として応じる。意志を持っているかのように次々とクナイを撃ち落とし、或いは消滅させていく。


「何故だ何故だ何故だ何故だ!!?」


「知らないか?俺の前で、魔力またはそれに類する力で生成された実体ある攻撃は無駄なんだ。よぉく覚えておけよ。もう会うことはないがな!」


 鼬の反撃を振り切って鎌が細長い体を真っ二つに切断する。

 血や臓物が雨のように降ることはなく、黒い灰が真っ白い床に落ちた。


 しばらくして灰の中から褐色の少女が起き上がる。


「無事か?」


 起き上がるのが辛そうな少女に手を伸ばし、アズリカは笑った。その姿は、迷子だったアズリカに手を差し出すリーシェによく似ていた。


 眷属の支配から解き放たれた平凡な少女は、目尻に涙を浮かべて頷く。


「あぁ。感謝する……」


 ☆*☆*☆*


 時を戻すこと数十分。

 アネロの雑な扱いに腹を立てたラーズは、固く拳を握り締めていた。今にも殴りかかりそうなのを堪えているのは、下手に手を出せばアネロが何をされるか分からないからだ。


 人質を取り動きを制限するキージスお得意の方法に、リーシェは眦を釣り上げた。


「彼女はあなたの目的とは関係ないはずです。アネロを解放しなさい」


 警告の響きを滲ませた声音に男はニヤリと笑う。

 クルクルと癖のある青い髪を弄りながら、アネロを繋いでいる鎖をジャラジャラと鳴らした。


「いやぁ、それが大いに関係がありましてねぇ」


「あなたは耄碌した神の代わりとして自分がその座に着くことが目的なのでしょう?神討伐が為されるのは、逆に都合が良いと思いますが」


「神討伐の目的は神がいない世界を創ること。あの竜王が、神を倒しただけで目的達成と考えるはずもありませんからねぇ。ならば、そもそも神討伐など行わせないのが安全策だと思いましてね」


 キージスは神討伐に参加した者たちが、何らかの方法を用いて神自体が存在できない世界を創ることを危惧しているらしい。

 果たしてそんなことが可能なのか不明だが、ここに来て彼は随分慎重になっているようだ。


「この少女の姉は獣人族にとって大切な討伐の道具。その姉は妹に何かあれば協力をしないと聞いています。つまり、神討伐の戦力は大きく減衰することになりますよねぇ。ほら、関係大アリです」


「そんなことのためにアネロを傷つけたのか……?」


「そんなこと、とは心外です。とても真面目で勤勉な対策でしょう?」


 怒りに震えるラーズにキージスはほくそ笑む。紫の髪を風に揺らし鎌を携えた青年が男に斬りかかった。


 アネロを想うあまり理性を失った青年は、激情のままに刃を振るう。キージスは盾としてアネロを掲げようと動いた。

 その光景をリーシェは俯かせた視線ではなく気配としてすべて認知していた。


 鎌を抑えきれず表情を絶望に染めるラーズ。

 挑発に乗った青年に満面の笑顔を向けるキージス。

 傷だらけで脱力したままのアネロに避ける術はない。


 二人の男性はオレンジ髪の快活な少女が血溜まりに沈む未来を強く確信した。


 研がれた鋭い刃がアネロの柔肌を切り裂くその瞬間。

 リーシェが翡翠の双眸を見開く。

 激しい金属音が洞窟中に響き渡り、火花が二人の顔を淡く照らした。


「なっ!?」


 最悪の事態を免れたことを直感したラーズが、痺れる両手を唖然と見つめる。

 キージスは無表情で自分の切断された左腕を見やった。無理やり立たされていたアネロが同時に解放され、砕けた鎖と共にラーズに崩れ落ちる。


「……『斬守』」ですか。面倒ですね」


 リーシェが守りたいと願った者を守護する加護の盾。それが翡翠の膜となってアネロを守っていた。


「ラーズ。アネロを連れて行ってください。彼女をここに置いていては、それこそ何をされるか分かりません」


「赤髪……。お前は?」


「私は」


 焔の輝きを宿す瞳孔を開いて少女は『雷氷の剣』を創り一閃させる。


「あの男と決着をつけます。今度こそ、キージスを亡きものにします。ですから行ってください。アネロを頼みましたよ」


「分かった。オレとアネロの分までソイツを痛めつけてねぇ」


 ラーズは大事そうにアネロを抱えてその場から走り出した。キージスはもう彼らには目もくれない。否、そうさせることをリーシェの威圧で抑えつけている。


『神威』を全開にさせて赤髪の少女は冷たく言った。


「覚悟なさい、キージス。もうあなたを逃がさない。完膚なきまでにここで叩き潰し、焼き焦がし、凍えさせ、打ち貫ぬいてから、首を斬ります」


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