表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
165/207

私の名前

 異空間の外へ走り去ったリーシェを見送ると、アズリカは隙のない瞳でシノブを睨みつけた。


「というわけで、お前の相手は俺だ」


 アズリカの言葉にシノブは涼しい顔で口を動かした。


「誰であろうと構わない。私はただキージスに従うだけ」


「さっきから妙なことを言う。……何か訳ありなのか?」


 意味深なことばかり言う少女に青年は、何か裏に事情があるのではと思った。その事情が自分の手に負えるものなら助けたいとも思う。アズリカはリーシェにかなり絆されていた。


 リーシェと出会ったばかりの頃と比べれば随分丸くなった青年の気遣いに、シノブは静かに瞼を伏せた。

 次に赤い瞳が瞼の奥から姿を見せた時、褐色肌の少女は僅かに相貌を崩していた。


「無茶を承知であなた方に頼みがある」


「頼みだと?」


「どうか我ら三人を、救済してはくれないだろうか」


 告げられた願いにアズリカは絶句する。

 シノブやフェンリルはまだ情状酌量の余地があるだろう。褐色コンビは妨害をするだけでこれと言って目立つ悪行がしていないのだから。

 だが三人、ということはキージスも救済する、ということだ。


 それはアズリカも看過できないし、ラピスも拒絶する。何よりリーシェがあの男を許さない。

 キージスは、あの心優しい穏やかな少女に深い憎しみを抱かせた。悲しみを与え、怒りを宿らせた。

 少女の目の前で両親を殺し、ラピスを惑わせ結果的に王族の身分を剥奪させた。セルタの人々とラズリの兵士を争わせ、町の住人を恐怖のどん底に叩き落とした。リーシェを操ろうとしたせいで少女は右腕を失った。


 キージスは見逃される一線を最初から飛び越えている。

 アズリカは短く息を吐くと、真っ直ぐシノブを見つめた。


「俺の相手はお前だ。他の二人はアイツらに任せるしかないが、お前なら助けてやらないこともない」


「本当か?」


「断言はしない。お前がどんな事情を抱えているか知らない以上、確定はない。だから教えろ。お前はなんだ?」


 大きく安堵の表情を見せたシノブは、淡々と己の事情を語り出した。


 ☆*☆*☆*


「私はシルビアの王を代々影から守ってきた"忍び"の一族だった」


 遠き日のようにも思えるあの頃を思い出しながら、シノブは抑揚のない声で話を進めていく。


「ある時からパタリと姿を見せなくなった女王の存命を信じて、一族は何百年も務めを果たし続けていた」


 姿が見えない女王を守護し続ける家族に、シノブは小さい頃から疑問を覚えていた。

 "どうして顔も性格も分からない人のために一生を捧げるのだろう"と。女王の人柄に惹かれたからだとか、考え方に賛同しているだとかならまだ分かる。忠誠を誓った相手なら例え顔が見えずとも守りたいと思うだろう。


 生きているのか死んでいるのかも分からない。おまけに国を放置している王に、どうして全てを捧げるのか。


 シノブは……別の名前だった頃の少女はその疑問を胸の内に隠し、八歳の時に忍びの一人となった。辛い修行も耐えて忍びになったが、何を守れば良いのか分からなかった。


 次第に疑問は苛立ちという感情へ姿を変え、少女の心を染めていく。

 国を放置する女王が。姿も声も現さない女王が。馬鹿の一つ覚えみたいに、女王を守り続ける一族が。あったはずの人生を狂わせていく在り方が。

 腹立たしい。苛立たしい。


 その感情が最高潮へ達した時、少女の体を何かが乗っ取った。

 荒ぶる怒りに導かれるように、少女の精神に土足で踏み込んだのは神の眷属であった。名もない眷属は邪悪な笑い声を響かせて、少女へ囁いた。


『殺してしまおう。気に入らないもの全て、壊してしまおう。王も一族も……あなた自身も』


 破壊衝動が少女の身を焦がす。殺せ殺せと叫ぶ眷属の人格に、強い理性を持って少女は抵抗した。

 壊したいわけじゃない。殺したいわけじゃない。ただ気に入らないだけ。変えたいだけ。失いたいはずがない。


 一族の運命に苛立ちを感じたのは、それだけ家族が大好きだったから。大好きな家族が一生を捧げるのが気に食わなかったから。

 女王に腹が立ったのは、少女なりに忍びという立場に誇りを持っていたから。誇りを持っていたからこそ、手応えが欲しかったから。


「私は眷属の人格を抑え込む代わりに、自分の名前を失った。私は何と言う名前なのか。両親の顔は?守りたかった家族の声は?何もかも思い出せない。しかし、守りたいものを守ることができた安心感が確かに存在する」


 体に染み込んだ忍びの体術で暗器を扱う手。傷だらけの手をそっとまだ平らな胸に当てる。

 心臓の律動が手を伝わってシノブに生きていることを教えてくれた。


「私は生きている。それは両親がいるから。かけがえのない家族がいるから。……だけど、もうそろそろ限界が近い」


 小刻みに動く心臓。人の命の核であるこの臓器は気を抜くとすぐに止まる。神の眷属は心臓を必要としないから。

 抑え込み続けるのは難しい。あまり時間がない。完全に乗っ取られたら、シノブは全てを破壊しに行ってしまう。


「その前に、私を解放して欲しい。眷属の人格の状態で私をうってくだされば、私はあなた方と敵対する必要がなくなる。家族の元へ帰れる」


 広大な大地で迷子になってしまった少女は、小さく震えていた。家族に会いたくても会えないもどかしさに。伸ばそうとした手が家族を引き裂くかもしれない恐怖に。

 帰りたい。少女はそう強く望む。

 会いたい。少女はそう強く願う。

 平穏に暮らしたいと、リーシェと同じ願いを口にした。


 アズリカは小さく微笑んだ。

 その胸中で何を思っているのかシノブには分からない。しかし温かい笑みに安堵した。


「分かった。お前の名前、俺が取り戻してやる」


 青年の言葉を聞いて、少女は表情を和らげた。引き止めていた鼓動を手放す。迷子の忍びの人格は眠りにつき、怒りに荒ぶる眷属が表に出た。


 禍々しく歪んだ笑みはキージスによく似ている。

 顔つきが一変したシノブを前に、アズリカの心は恐ろしい程に冷え切っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ