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第十四話 誰か……助けてください

 〔焔刻〕によって、岩肌を閉じ込めていた氷が解けていく。

 壁や天井、床に水滴が発生するが燃え盛る炎によって水蒸気となって消えていった。

  

 シュウシュウと特有の音を響かせながら空間を埋め尽くす水蒸気に、視界の大半を奪われてリーシェは目を細めた。

 忘れさせられていた記憶を思い出したからといって、状況が変わったわけではない。

 凍てつく寒さは和らいだものの、相変わらず傷は痛むし脱出方法が見つかっていないのだ。

 

 扉らしいものは見えなかったし、そもそもここがどこかも依然として分かっていない。

 ただ、あれ以上寒さに凍えていては体力を奪われやがて死んでしまうだろうと思ったから、暖房をつけただけのことだ。


 そろそろ岩肌が熱くなってきたので〔焔刻〕を解除すると、ちょうど良い室温になっていた。これならしばらくはゆっくり考えることができるだろう。


 まず。

 

「ここは一体どこなのか。それが分からなければ、逃げる計画すら立てることができません」


 ある程度の見当をつけなければ脱出しても、右も左も分からず連れ戻されるか、野垂れ死んでしまう可能性が高い。


 そこで鍵となるのが、ついさきほど思い出した幼少期の記憶だ。

 

 もう二度と忘れるものかと頭に刻み付けた両親は、自分達がいた場所のことを「谷」と言っていた。

 リーシェを殺すかもしれないラピス様がセルタに来たことを少女を連れ去った犯人が知っていて、保護するために誘拐したのだとしたら……。


「全ては推測の域でありほぼ仮定的ですが、犯人は両親、または両親の願いを聞き届けようとしている者?」


 それを前提として考えれば、場所も自然と予想がつく。


 「谷」。「凍える寒さ」。さらに言えば「記憶」。

 三歳までのころ、リーシェがこの場所にいたとしたらそれがトリガーになって、記憶を思い出したのかもしれない。

 

 忘れていることすら知らなかったのに、ここに来て突然思い出すのは不自然だろう。死にかけたからショックで思い出した、という可能性もあるが、それならビーグリッドで思い出していてもおかしくない。

 つまり。


「ここは"魔境谷"。ビーグリッドより数十キロ北上した場所にある凍える大地、ということですね。しかし、保護の線は微妙です。傷の手当ても雑で、人間が長く生存できない氷室に放置する。犯人には別の動機があると見て良さそうですね」


 リーシェは馬鹿ではない。

 生き抜くために、自分が危害を加えられる際にそれから逃れる頭は並みの人間以上にある。

 故に、犯人にとってこの状況は誤算だった。

 全てを忘れて、貧しく生きてきた少女の頭がここまでキレるとは思わなかった。


 伝説を思い出し、氷を解かすところまでは計算通り。

 だが、場所を言い当て、動機にも気づきかけていることは計算外だった。


「死んだら死んだで用無しとして放置し、生還したらしたで何か利用するつもりだったのでしょう」


 正解だった。

 高みの見物をやめて、犯人は大袈裟に拍手をして登場した。


 パチパチパチ


 閉ざされた空間に拍手が響き渡る。

 扉がなかったはずの壁から突然で出てきた男に、リーシェは警戒度を跳ね上げた。


「誰ですか?名前を名乗ってください」


 声音を固いものにしながら少女は指先に炎の玉を出現させる。

 すでに自由自在に扱っているのを見て、男はニイィと唇を歪めた。


「これは失礼を。わたくしはキージスと申します。この度は、伝説の少女リーシェ様にお願いがあってここへお連れしました」


「紳士的な態度と敬うような口調のわりに、案内の仕方がずいぶんと雑ですね。ちぐはぐしていて気持ち悪いです。仮面を剥いでください」


 男キージスは仮面など被っていない。だが、リーシェには彼が見えない分厚い仮面を被っているように見えた。

 本性を隠し、個性すら隠して、作業的に紳士的な態度を取っているように感じた。


 少女は、子供の頃からあまりに人間の悪意に晒され続けてきたおかげで、感情の機微を悟る能力は非常に優れていたのだ。

 機嫌を損ねないようにという一心で研ぎ澄まされた感覚は、この状況で大いに役立っていた。


 男の表情は変わらない。ずっとニタニタしている。

 だが、心は僅かに驚いていた。


「ほう。わたくしの仮面を見破るとは……。それだけの知性があれば、これからお願い……いや、命令することも難なくこなせそうですね」


 不意にキージスは指を鳴らす。

 すると、男が現れたのと同じ場所から4人の男女が現れた。犯人は一人ではなかったらしい。


 両手を後ろ手に縛られて明らかに拘束されている二人の男女から、なぜかリーシェは目が離せなかった。

 使い古したぼろ雑巾のようなズタズタの簡素な服の下に窺える体は、異様に線が細く傷ついていた。拷問でもされていたのだろう。


 顔は麻布が被せられていて見えなかったが、目の前まで連れてこられた途端に、残りの健康そうな二人の男女によって無造作に顔を晒した。


「あ……」


 無意識のうちに声が漏れる。

 赤毛の女性。緑目の男性。

 ついさっき思い出して、絶対に忘れないと誓った両親がそこにいた。


「おかあさん……?おとうさん……?」


 そう呼んだ瞬間、両親が嗚咽をこぼす。

 

「思い出してしまったのね……」


「思い出してくれたのか……」


 愛する娘から忘却されることを覚悟して何らかの方法で記憶を消した両親。

 表情は極めて複雑なものだった。

 

 苦渋の決断が無駄になったという悲しみ。どうせこうなるなら、忘れさせずずっと一緒にいれば良かったという後悔。

 ずっと前のことなのに思い出してくれたという喜び。顔を見てすぐに認識してくれた嬉しさ。


 それらがない交ぜになって、透明な滴になってこぼれ落ちる。

 

「フフ。感動の再会ですねぇ。まったく、あなたの両親は本当に面倒を起こしてくれました。おかげで、わたくしの計画を起こすのにこんなに歳月がかかってしまった」


 リーシェも両親も言葉を失ってしまったのを見て、心底楽しそうにキージスは言う。

 昏い恨みを込めた視線を父母に向けてから、ついに本題に入った。


「さて、ご両親を守りたいのならこれからわたくしが言うことを、大人しく実行することをお勧めします」


 言いながら、鋭い剣の刃を父の首にあてがう。リーシェが歯向かったらそのまま切り落とす気なのだろう。


「十日後にここに現れる、王都ラズリの調査隊を殲滅し、王子ラピス・ラズリをその手で殺せ」


「なっ……!そんなこと……!」


「おやぁ。拒絶してもいいのですかぁ?従わないと、大切なお父様が死に、それでも反抗するようならお母様も殺しちゃいますよ」


(ラピス様を殺す?私が……?)


 畑に対して何の偏見も持たず素直に興味を持ってくれた少年。最初は気に入らなかったが、空気が張りつめた王宮で過ごすうちに普通の感情を忘れていただけだと分かった。

 セルタに滞在するうちに年相応の少年らしくなって、リーシェをよく気にかけてくれた優しい彼を自分は殺さなければいけないのか。


(そんなの嫌です!伝説が不完全であろうと、殺し合わないと私は決めたのです!……でも、殺さなければ、おとうさんが殺されてしまう……)


 混乱し始めるリーシェに、首に刃が当てられている父が叫んだ。


「リーシェ!殺すな!王子を殺すな!そんなことをしても、何も変わらない!この男の思惑に乗るな!父さんはお前に幸せになって貰いたい!人を殺したら、後悔と罪悪感で幸せになれないだろ!頼む!頼むから、決断を間……」


 言葉はそこで不自然に途切れた。

 頭が胴体から離れて床を転がる。

 真っ赤な鮮血が体から吹き出し、雨のように降り注ぐ。

 キージスの足で足元に転がされた生首には、緑色の美しい瞳が嵌め込まれていた。

 生気の輝きがない人形のような瞳が、リーシェと視線を合わせていた。


「い、嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!おとうさん!?おとうさん!!何で!?何で殺したの!?」


 叫びながら、赤い剣を握る男を睨み付ける。

 キージスはただ平然と、当然のように答えた。


「耳障りだったので」


 十年ぶりに再会した大好きなおとうさん。

 傷だらけの体で再会した大切なおとうさん。

  

 たった数分にも満たない短い時間で永遠にお別れすることになった父の頭に、リーシェはゆっくり手を伸ばして両腕に抱えた。

 生首なんて怖くない。だって、瞬きをしなくなった翡翠の目はまだとっても優しい色を残しているから。


 憎い。憎い。憎い。

 あの男が憎い。今すぐ、殺してやりたい。

 

 でも、それは何も変わらない。ただ、母を危険に晒すだけだ。

 今、選択できるもっとも懸命な判断。それは……大人しく従うことだった。


「分かりました……。調査隊のメンバー並びに王子ラピス様を…………殺します」


 視界の端で、母が顔を悲しみでいっぱいに歪めるのを見て、リーシェの心はひどく痛んだ。


 

 

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