久しぶりの邂逅です
リーシェは朝靄がかかる窓の外を見て深呼吸をした。
清々しい朝だ。開けた窓から吹くそよ風のなんと心地良いことか。
四角く切り取られた空は今日も曇り。龍の涙と言われる雨は今日も振り続け、龍の吐息と言われる霧は白く街を染め上げる。
リーシェはあまり雨が好きではなかった。
畑は流されるし、川は氾濫するし、洗濯物は干せないし湿気で乾かない。雨漏りの対処も忙しさに拍車をかける。たまに降るくらいが丁度良いのだと、そう思っていた。
だけれど今はどうだろう。
雨を嫌いだとは思っていない。むしろ好きになりつつある。
雨は静寂をもたらし、自然の音だけを届けてくれる。川がなくても水の音を運び、悩みも一緒に洗い流してくれる気すらする。
土臭い匂いも、湿気混じりの空気も、リーシェは好ましく思うようになっていた。
心穏やかに外を眺めていると扉がノックされた。
元々開いていた扉を叩いたのはアズリカだ。
リーシェたちは空中に投げ出された後に着地した場所は、現在いる国の首都の近くだった。三つあるうちの国の名は『イーライ』。『狐』の獣種が多く暮らす国らしい。
運良く宿に泊まることができ、各自の部屋で朝を迎えていた。
寝台に腰掛けているリーシェを見て、アズリカは穏やかに微笑む。
「よく寝れたか?」
笑顔によく似合う穏やかな声で彼は首を傾げた。
肩口で揺れる若草の髪は、セルタの風に揺れる芝生を思い起こさせた。
「えぇ。ぐっすり休みました。アズリカが早く起きるなんて珍しいですね?」
アズリカは朝に弱かった。特別弱いわけじゃないが、早起きが苦手なことは確かだ。ラピスもまだ起きていない時間帯に活動しているのは珍しかった。
リーシェの冷やかしを混ぜた問いかけに青年は苦笑する。その頬は少しだけ赤くなり、全身が強ばっていた。
「話があるんだ」
緊張からか声が僅かに震えていた。
リーシェは寝台から立ち上がると、アズリカをテーブルへと案内し温かいお茶を入れてあげる。
ある程度緊張が解れたアズリカが唐突に切り出した。
「リーシェ。俺はお前に言ったよな」
言わずとも分かる。
異空間で叫ばれた言葉のどれかについてだろう。その内容もあらかた見当がついていた。
「俺はお前が好きだ」
「はい。確かに聞きました」
予想通りの話題にリーシェは落ち着いてお茶を嚥下する。リーシェの答えは決まっていた。
「だけど、ラピスとリーシェを引き離すような真似は絶対にしない」
青年のことだ。てっきりラピスに対抗心を燃やして来るかと思っていた。好意を断ろうと開きかけた口をそのままに、リーシェは言葉を紡げなくなってしまう。
「俺が好きになったリーシェが、そう簡単にラピスを諦めるわけないからな。だが、俺はお前の不安や悩みの受け皿になろうと思う」
「……受け皿、ですか?」
「そうだ。リーシェの周りにはそういうことを相談できる同性がいないだろ?不安や悩みを聞くだけなら俺にもできる。俺はできる限り、リーシェの力になりたい」
確かにリーシェの周りには、恋愛相談をできるほど親しい仲の女性はいない。
アズリカは真剣な眼差しでリーシェを見た。
今まで一人で考え込んで悩みを溜めていたリーシェに、相談相手という逃げ道として手を差し伸べている。断る理由なんてどこにもなかった。
「ありがとうございます、アズリカ。ぜひ頼らせてくださいね」
「……!あぁ!遠慮なく任せてくれ!」
「ふわぁ……よく寝た……。あれ?アズリカ、今日は早いな。なんでここにいるんだ?」
アズリカが満面の笑みになった瞬間、リーシェの部屋にラピスが入ってきた。眠そうな目を擦り、少女の部屋にいるアズリカを不思議そうに見つめる。
「ラピスこそなぜ一番に私の部屋に来るんですか。お茶、飲みます?」
「あぁ、飲む」
フラフラと覚束無い足取りの少年を椅子まで導いてから、リーシェはもう一人分のお茶を用意した。
ラピスとアズリカの各部屋にも同じお茶があるはずなのに、二人揃ってリーシェの部屋に来るなんて似たもの同士だ。ラピスはもう少し目が覚めてから来れば良いのに。
「これからどうするんだ?」
お茶を飲みいくらか顔をスッキリさせたラピスが、誰にともなく質問する。
リーシェとしては今のところ特に予定はない。強いて言えば情報を集めるくらいだが……。
「なら首都を歩こうか」
アズリカが提案した。異論はない。
準備をして宿を出ると足の向くままに『イーライ』の首都を巡る。
雨地帯だからこその文化に触れて、リーシェは好奇心が強く刺激され注意が散漫になっていった。
道の曲がり角で人にぶつかったのもそのせいだ。
「あっ!ごめんなさい!前を見ていませんで……」
言葉は最後まで続かず途中で途切れた。
ぶつかった人物を見て絶句したためだ。
紫色の髪。吊り上がった瞳は琥珀色。
「いってぇなぁ。どこに目ぇつけてんだよ」
「あなたは!」
「あぁ?あれ、伝説の子じゃん?よくこんなとこまで来たね」
尻もちを着いた相手に差し伸ばしたままだった手を、青年はさりげなく掴んで立ち上がった。
倒れそうになったリーシェを支えていた二人が首を傾げる。
「ん、見覚えのない人もいるねぇ。ついでだから自己紹介してあげる。オレはラーズ。天狐のラーズ。よろしくねぇ」
「何もよろしくする気はありませんけど……」
リーシェが東の大陸に来る際、最も警戒していた人物だ。シルビアにスパイとして潜り込み、長年諜報活動を続けていた人物。その性格は残虐であることは既に知れている。
空気を張り詰めさせるリーシェにラーズは面白そうに笑った。
「そんなにピリピリするなよ。テキトーにその辺でなんか食わない?オレ腹減ったぁ」
ラーズの言葉を証拠づけるように彼の腹が鳴った。尻もちを着いた彼は汚れているし、ぶつかったのはこちらの落ち度だ。
それにラーズなら口も軽そうだし情報を色々と教えてくれるような気がした。
事情が知りたそうなラピスたちにこっそり耳打ちしながら、リーシェはラーズを連れて近場の食事処へ入った。





