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未来のために

 リーシェが嫌いだった自分自身を好いている。


 そう言われただけで暗く悩み続けていた心が晴れるのを感じた。

 ラピスたちを追い返す理由もなくなり、キージスからの支配がいよいよ鬱陶しいものになる。


 指に嵌められた指輪は外すことを試みるほど、キツく食い込んで取れなくなる。この指輪がある限り、リーシェの抵抗は抑制されたままだ。


 術者であるキージスを攻撃することも出来ない。

 絶対的な命令の強制力が、拒絶するリーシェの腕を無理やり動かした。


 魔杖が光を帯びて氷刃の旋風を巻き起こそうとする。


 これではいけない。

 まだリーシェはラピスとアズリカの言葉に答えを返せていない。今敵対行動を取ってしまえば、良からぬ誤解をされるだろう。


 一瞬前までの自分を殴り飛ばしたい気分だ。

 だが時間はあまりない。

 指輪さえなくなってしまえばキージスの神性を抑え込むことはできる。


 余裕のない少女が思いついた方法は一つ。しかし、デメリットを考えて一瞬脳裏に天秤を用意する。

 方法を実行するデメリットと、ラピスたちに嫌われる未来。

 己でも清々するほど天秤は後者に傾いた。


 誰にも気づかれないように唇に弧を描いた。

 真空の刃を纏う魔杖を一振、右腕に向けて一閃する。ボトッと落ちた右腕を脳が処理した瞬間ーー。


 途方もない激痛がリーシェを襲った。


「ぐっ……あ"あ"ぁぁぁぁぁぁっ!!」


 耳を疑いたくなる絶叫がリーシェの喉を痛めつける。

 想像以上の痛みに視界が赤く染まり、崩れた左右の均衡にバランスを崩して倒れた。


 まだ終わりではない。

 耳を塞ぎたくなる呻吟を食いしばった歯の隙間から漏れさせる。


 混乱と恐怖で立ち竦んでいるラピスの顔を見たら、不思議と少しだけ楽になった。

 リーシェらしい笑みを汗が伝う顔に張り付ける。


 夥しい量の血を流す二の腕の断面に手を翳し、『氷刻』で神経ごと凍りつかせた。翳していた手をゆっくり下へ下ろしていき氷の義腕を形成する。


 氷の質量をなるべく失った右腕と同じになるように調整していく。

 数秒後には、氷の結晶や屈折が美しいクリアブルーの腕が出来上がっていた。

 リーシェの意思に反って指も自由に動く。使う側としては全く違和感がないが、視覚情報的には絶妙な気分だった。


 肘から下を綺麗に切断された右腕を見やる。失ってみると感慨深いものだ。

 あの手で色々な人を助けてきた。もう温かい右手を差し出すことは出来ないけれど、氷の腕で驚異から守ることは出来る。


 薬指で混乱するように光を明滅させる指輪を右腕ごと燃やした。

 何を利用されるか分からないため、壊死するだけの右腕を燃やすのに躊躇いはなかった。


「リーシェ!お前、何やって……!」


 腕を造る光景に目を奪われていたラピスが、右腕が燃えたことで我に返った。キージスも驚いたように言葉を失っている。


 氷の温度をなるべく高くし、傷口付近に『焔刻』の腕輪を装着する。

 体全体が冷えることを防いだ後、リーシェは自慢気に青い髪の男を見上げた。


「今回も計画が失敗したようですね。残念で〜した!」


「なぜいつも予想に遥か上を飛び越えてくるのでしょうねぇ。わたくし、柄にもなく絶句してしまいましたよ」


「さぁ。今度こそあなたには死んでもらいますよ」


 キージスに逃げ場はない。前にはリーシェ。後方にはラピスとアズリカがいる。状況を静観しているフェンリルが不気味だが……。


 リーシェがフェンリルに目を向けたのと、フェンリルがリーシェの真横に瞬間移動したのはほぼ同時だった。


 半神半人らしい動きでリーシェは辛うじて反応する。

 常人にも超人にも反応できない攻撃に、魔杖で相対したリーシェの心は冷静だった。


「フェンリル。あなた、隠していることがあるでしょう?」


 フェンリルの爪と魔杖を拮抗させながらリーシェは問う。

 褐色の青年はニヤッと笑い数歩後ろに下がった。


「まったく。貴様が失敗するから厄介になったじゃないか」


 キージスと似たような輝きの赤目を煌めかせて、やれやれと首を振っていた。

 開き直ったようにフェンリルの口はよく動いた。


「私は神殺し。だがなこの異名は絶対神に対するものでは無い。半神半人へと至った『伝説の存在』に対するものだ」


「お前!神殺しは絶対神を殺す可能性があるからこその異名だと言ったじゃないか!」


 フェンリルの言葉を信じていたラピスが声を荒らげる。その隣でアズリカが油断なく鎖を展開させた。

 それぞれの反応を楽しむように見回した後、フェンリルは種明かしをする。


「真実に少量の嘘を混ぜただけだ。そもそも、なぜこんなに怪しい私を信じたのだろうな?滑稽で堪らない」


 リーシェたちは人を疑うことを嫌う。まずは信じて、もし手のひらを返されたら反撃するのが暗黙のルールだった。それが出来るだけの実力はあったから。


 だがこの場合は違う。

 フェンリルは絶対の強者。手のひらを返されたからと言って、簡単に反撃できるわけではない。

 半神半人に至った者を殺すことを前提として生まれているなら、それが可能な戦闘能力を保持しているのだ。


 気がかりなこともある。

 絶対神討伐にリーシェたちの力を借りたがっていた『邪鬼』が、なぜ彼の拘束が解いたあとも慌てた素振りを見せなかったのか。

 お茶とお菓子を振る舞い、まるで歓迎しているかのようだった。


 敵対すると高い障壁となるフェンリルを拘束していたのは、リーシェたちの信頼を得るためだと仮定する。であれば拘束が壊された瞬間に対策を取るべきだ。


 かの獣と『邪鬼』……少なくとも王であるライヴィスの関係は一体どうなっているのだろう。


 考えている間も警戒は一切緩めない。

 隙のない瞳でキージスとフェンリルを睨みつけていると、彼らは目配せをし始めた。

 あまりにも露骨なフェイクにリーシェは唖然とする。


 目配せに気を取られなかったリーシェは、背後に現れた気配に魔杖を振り下ろした。

 二振りの短剣で攻撃を防いだ少女に目を丸くさせる。


 ラズリでキージスの逃亡に手を貸したシノブが、交差させた褐色の細腕の奥から赤い目を覗かせていた。


 シノブと拮抗するリーシェを狙ってキージスが拳を構えて接近する。

 それをアズリカが鎖で妨害した。

 離れたところではラピスとフェンリルが睨み合っている。余裕そうなフェンリルの笑みに対し、ラピスの顔は強ばっていた。


 状況は劣勢だ。

 底が見えないシノブからリーシェは手を離せない。アズリカもこの前はラピスによる強化があったが、今はラピスにその余裕はないだろう。


 リーシェの決断は一瞬だった。


「ラピス!アズリカ!ここは退却します!」


 渾身の力でシノブを振り払い、全力を込めた攻撃で結界に穴を開ける。

 穴の向こうに見えた雨の世界にフェンリルたちは目を見開いた。


「それは私も予想外だな……!」


 呆気に取られた敵の隙をついてラピスとアズリカが戦線を離脱する。

 目くらましの『焔刻』を放ってからリーシェも穴に飛び込んだ。


 空いた穴はすぐに塞がっていく。

 リーシェはその様子を空中で眺めていた。


 開けた穴の先は空高くにあったのだ。

 全身を風が叩き息が上手く吸えない。段々と近づく地面に、焦りは感じていなかった。ラピスがいるのだから。


「スペースエンチャント"スロープ"!」


 落下が緩やかになる。何も無いはずの虚空に足がつき、長い坂道が地上へ続いていた。

 アズリカがおっかなびっくりに進むのを先頭にして、リーシェたちは長い空中散歩を楽しんだ。


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