神性
フェンリル。そう呼ばれた黒き獣は頑丈な鎖で拘束され唸るばかりだった。だが、太い鎖ですら不安に思えてくるほど力強さが感じられる。
生き物の本能に直接恐怖を刻み込むような獣に、ライヴィスは余裕の表情で近づいた。
毛並みが良い狼の頭に手を置きニコニコと笑っている。
各々が唖然とした瞬間、頭を撫でていたライヴィスの右手が消滅した。
「うわ……」
衝撃映像にアズリカがドン引く。スイッチを切り替えているリーシェも、僅かに背筋を逸らした。
ラピスとメイティアも固唾を飲んで見守る中、ライヴィスは涼しい顔で消された右手を再生していた。やはりこの男、規格外だ。
「こらこら、突然消すなんて何考えてんだよ。みんなびっくりしてるだろう」
『私をペット扱いするな!』
意外にも黒き獣には理性があり、横に避けた口から人の言葉を発した。
獣性を湛えた赤い瞳がリーシェをまっすぐ睨みつける。
『神性持ちを私の前に連れてくるとは……。何を考えている』
「神性持ち……?」
たしか先程もライヴィスが似たようなことを言っていた。
聞き慣れない言葉にリーシェが小首を傾げた。その手には既に氷の槍が握られていて臨戦態勢だ。
『貴様は技の力の保有者だろう?伝説は二つに分けられたと聞いたが、まさかここまで違いが出るとはな』
「分かりやすく言いなさい」
一向に質問に答えないフェンリルにリーシェが苛立つ。
狼は仕方ないとでもいう風にため息を吐いた。
『保有している力には多かれ少なかれ"神性"が付与している。これは神が直接手を入れた痕跡のようなものだ』
「多いと少ないの違いはどこにある?」
リーシェ同様『伝説の存在』であるラピスも、リーシェの少し後ろから問いを投げた。
フェンリルが話している間もライヴィスは狼を撫でるのをやめない。繰り返し消滅しては再生する光景が視界の端で展開されていた。
『より神に近い能力を持っている方が強い"神性"を持つ。知の力と技の力は最初は同等の"神性"を有している。だが保有者の精神に影響されることで、強さに違いが生まれるのだ』
「つまり、俺とリーシェではリーシェの方が"神性"が強い。だから神殺しのお前の気配をリーシェの方が強く感じたわけか」
『今の説明でそこまで理解するのは流石だな』
神殺しの獣の詳細はまだ分からない。だが神殺しと言うからには、"神性"にも少なからず影響する。だからリーシェとラピスは、殺されるような恐怖を味わったのだ。
城の外から神殺しの気配に気づいたリーシェ。
扉の少し前でようやく気づいたラピス。
二人の"神性"の差は大きく開いていることが分かる。
『神性は神に近づこうとすればするほど強くなる。より強い力を心から望むと神性が発揮され、力が成長する』
「……精神の昂りが技を強くする。これはそれと同じ原理ですか?」
『是。その知識は先代から得たものか』
南の大陸でシュウナに聞いた情報が、明確な理由を持って証明された。
フェンリルは『邪鬼』ではない。その血筋でもないはずだ。それなのになぜ手に取るように全てのことを把握しているのだろう。
ラピスの疑問をリーシェが代わりに言う。
「あなたは、何者ですか?」
フェンリルが唸り声を上げ始める。
油断なく槍を構えるリーシェの目の前で、狼の体躯が黒霧に覆われた。
数秒と経たないうちに霧の中から褐色の肌が現れる。
無造作に流された長い黒髪。切れ長の目は獣の時と同様真紅に染っている。
そして……何も羽織っていない彫刻のような体。
「はいアウト〜!」
下半身を隠すようにライヴィスが滑り込む。咄嗟にリーシェの目を覆い隠していたラピスも、青年の機転に胸を撫で下ろした。
「む。ライヴィス、何してる」
「モラル的にアウトだから何か着てくれない?」
「面倒な」
心底怠そうに虚空から服を出現させるフェンリル。それは服というより厚手の羽織だが、何も無いよりはマシだった。
ラピスの手を退けたリーシェがフェンリルの人型を見て僅かに目を見開く。
美丈夫に見惚れたのか、とあらぬ想像をするラピスの腕の中で少女の体が大きく震えた。
「……あなたは」
恐怖で震えたというより、感動から来る震えが段々と収まっていく。だが翡翠の両目は大きく見開かれたままだ。
「誰……ですか?い、いやそうじゃなくて……どこかで会いましたか?」
リーシェ自身も理解出来ていないのか言葉はたどたどしい。
ラピスはもちろんアズリカもフェンリルの姿に見覚えはない。シノブが似たような姿をしていたが、かの少女と会った時にリーシェはこんな反応をしていなかった。
リーシェの言葉にフェンリルが端正な顔に哀愁を滲ませる。
それも一瞬で褐色肌の青年はすぐに薄い笑みを浮かべた。
「さぁな。貴様と会ったのは今日が初めてだと私は記憶しているが」
「そうですよね……。私もあなたと会ったのは初めてです」
言いつつも納得はいっていない様子のリーシェ。
困惑する赤髪の少女にフェンリルが口を開いた。
「私は神殺しのフェンリル。言っておくが獣人族ではないからな」
「獣に変身していたのにか?」
アズリカが何族なのか問えば青年は悪戯っぽく笑う。赤い目はキラキラと煌めいているが、瞳の奥は禍々しく渦を巻いている。
鳥肌を立たせる目だが既視感を感じたアズリカ。やがてハッとなり眦を釣り上げた。
「キージスと同じ類の奴か?」
「半分ハズレだな。キージスとはちょっと違うが、想像は惜しい」
ここで教えるつもりはないのかフェンリルは余裕そうに笑うだけだ。
再生を繰り返した右手を労わるように回したライヴィスが、虚空から取り出した長剣で鎖を砕き壊した。自由の身になったフェンリルが関節を鳴らす。
「貴様らは無知だな。よくそれで神を殺そうと考えたものだ」
「ならば勿体ぶらず教えろ。其方の感覚で流れる時間と、リーシェが感じている時間の流れは大きく違う。其方がのんびりしているとあっという間に時が経つぞ」
フェンリルと相対してから初めてメイティアが言葉を放った。メイティアはフェンリルの正体を知っているらしく、横顔は警戒を解いていなかった。
「じゃ、とりあえず茶を出してくれ。私は喉が乾いているのでな」
アフタヌーンティーを要求する黒髪の青年。確かに緊張と驚きの連続でラピスたちは精神的に疲れていた。
人間のように伸びをするフェンリルに続いて、来た道を戻っていく。
リーシェがいつまでも名残惜しそうにフェンリルがいた部屋を見続けていたのが、ラピスの脳裏に強く焼き付いた。





