フェンリル
食事を終えてラピスたちが向かったのは『メヴィディア』の王城だった。
三つある都市の一つ『メヴィディア』は、主に『邪鬼』が中心となって生活する地域らしい。
ラピスら三人を背中で案内する兄妹について行きながら、少年はリーシェとアズリカに耳打ちした。
「あの男には警戒を解くな」
「……そうですね。メイティアと違ってライヴィスからは明確な善意が感じられません。王族にとって、私は仇の子です。何をされるか分かりません」
「怪しげな動きをした時はどうする?メイティアは信頼関係を築こうとしているが、兄の方はどうか分からないぞ」
「実力が分からないうちは逃げに徹しましょう。無理に決着をつける必要はありません」
短い作戦会議はリーシェの言葉で閉幕する。
霧の向こうを凝視すると巨大な城が見えてきた。先程逃げてきたばかりのライヴィスが、気だるげに傘を振り回している。
雨粒を飛ばす兄をメイティアは迷惑そうな顔で見ていた。
しかしライヴィスの口の横に着いたソースを布で拭っている辺り、やはり仲は良いのだろう。
王城が醸し出す厳格な気配は懐かしく、ラピスは王族だった頃の自分を思い出した。
不本意なことばかりだったがそれなりに楽しかった。リーシェと出会ってからは、騎士とも言葉を交わすことができるようになった。
あの日々に戻りたいとは思わない。だがあの日々を懐かしいとは思う。
不思議な感傷に浸っていると、服の裾をリーシェが軽く引っ張った。
その顔は青ざめていて華奢な体は小さく震えている。肌寒さから来る震えでは無いことは明らかだった。
「リーシェ……?」
アズリカが不安そうに名前を呼ぶ。
翡翠の瞳に写った少年の顔は同じように不安の色が滲んでいた。
「どうした?」
歩みが止まった三人組を怪訝に思った兄妹がこちらを振り向く。二人ともキョトンとした顔をしているので、予想外のことなのだろう。
ラピスの服を掴んだリーシェは険しい顔で王城を睨みつけている。
「あそこ……嫌です」
「何か感じるのか?」
リーシェだけが感じている恐怖が共有できないことをラピスは歯噛みする。若草髪の青年は首を傾げるばかりだ。
「ライヴィス……」
「ん?」
「王城の西側には……何を閉じ込めているのですか?」
「「「!?」」」
ラピス、アズリカ、メイティアが大きく目を見開いた。まだ王城に着いていないのにリーシェは西側から何を感じ取っているのか。
問われたライヴィスは一瞬表情を曇らせた後、妹とよく似た美しい顔を妖しげに微笑ませた。
「へぇ〜。お前は分かるのか」
愉快そうに細められた青い瞳がラピスに移る。
「ラピス君は?何も感じないの?」
なぜかその声は癪に触った。
馬鹿にされている響きがある訳でもないのに、ラピスの神経を逆撫でする。
王族として鍛えられた感情の制御を利用しつつ、黒髪の少年は頷いた。リーシェとライヴィスがラピスの知らないことを共有しているのが、気に入らないのかもしれない。
「なるほどね。これがかの者が言っていた『神性』か……」
「ライヴィス。一人で納得していないでとっとと種明かしをしろ。信頼を得られなくなるだろう」
「焦るなよメイティア。リーシェちゃん、王城に行けば"全部"分かる。来るかい?」
リーシェはラピスの服の裾を握ったままだ。気丈な姿を見せることが多いリーシェの弱った様子に、場違いな萌えがラピスの心中を吹き荒らす。
持ち前の勇敢さを発揮したリーシェが恐る恐る足を踏み出す。
それを合図に一行は王城へ入った。
案内された城の西側は警備が厳重で、重苦しい雰囲気が流れていた。
長い回廊を歩きやがて奥に施錠された扉が現れる。
霧も雨もない視界は、荘厳な場内の装飾をよく写した。
無骨なデザインの扉は見上げるほどに大きく、近づくにつれリーシェの震えは大きくなっていく。
「リーシェ……大丈夫か?」
「は、はい……何とか」
「何を感じるんだ?」
手を引かないと足を止めてしまうリーシェを慮りながら、ラピスはリーシェに小声で話しかけた。
目尻に涙が浮かびそうになっている少女は、語尾を震えさせて答えた。
「……神殺しの、気配です」
「到着〜」
同時に呑気なライヴィスの声が響く。
扉を背にした青年が感情の読めない顔でリーシェを見つめた。
「覚悟はいい?」
リーシェは黙ったままだ。前髪で顔を隠し、ラピスにすら何を考えているのか悟らせない。
だが数秒後、突然勢いよく顔を上げた。
雰囲気がガラッと変わる。怯えていた表情はどこへ消えたのか、凛とした面立ちがラピスの胸を高鳴らせた。
「行きます」
自らの足で扉へ近づいていく。震えはなく、黒く染った爪が目立つ白い指で扉を押した。
途端、とてつもない黒いオーラが風と共に漏れだしてくる。ようやくラピスもリーシェが怯えていた気配に気づいた。
腹の底から侵食されうような恐怖。夢の中で殺人鬼に追われているような感覚とよく似ている。
スイッチを切り替えているリーシェは「結刻」で光の膜を張り、黒いオーラを浄化している。
しかしその横顔には苦しそうに汗が伝っていた。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
裂帛の気合いを放ったリーシェがオーラを一気に消し去った。
闇の中から現れたのは一体の黒い獣だった。
筋肉の着いた逞しい四肢。美しいと思わせるほどに均整の取れた体躯からは、漆黒の翼が生えている。
何の動物に一番似ているかと言われたらラピスは「狼」だと答える。
「これは……」
メイティアも初めて見るようだが獣の正体に心当たりはあるようだ。
獣が放ったオーラを無効化させたリーシェを讃えるように、ライヴィスは手を打った。
「コイツは『フェンリル』。神を喰らう獣だ」





