翡翠の瞳に隠された大罪の罰
知らないところで悲劇の歯車が回り出したことなど露ほどにも思わないリーシェは、ラピスとアズリカと共に雨の大陸を歩いていた。
街で購入したそれぞれの傘を指して無言で歩き続ける。傘を指しているせいで距離感もあり、雨音で声が掻き消えてしまうため三人はずっと無言だった。
別に不愉快という訳でもない沈黙に意識を委ねながらリーシェは前方を真っ直ぐ見つめる。
母譲りの赤毛を背中に流した少女の父譲りの翡翠の瞳に、一つの人影が写った。
雨に濡れるのも気にせず佇む人影の詳細は、煙る霧のせいでよく分からない。だが近づくうちに両側頭部から漆黒の角が生えているのが見えた。
「止まって」
後ろを歩いていた少年たちに言うと、リーシェは鋭い目ではっきりし始めた人影を観察する。
自ら数歩進み出て姿を見せたのは、透明な雫を銀髪から滴らせた少女だった。
歪曲した先端が尖った角。顔立ちは美麗という表現が似合うほどに整っている。右半分に大きな火傷跡があるが、それすらも美を霞める弊害にはなっていなかった。黒曜石の目の中心で煌めく青空のような瞳。目じりの下には赤色で逆三角形にような模様が描かれている。
真紅に彩られた暑い唇が小さく開いた。
聞いた者の背筋を無意識に伸ばさせるような声で、少女は短く問いを発した。
「其方が『技の力』の保有者か?」
本能的に不穏な空気を察したラピスたちがリーシェを守ろうと足を踏み出す。
その動きを手で制しながらリーシェは肯定した。
「私に何か用ですか?」
「警告である。近日中に其方に近づく邪悪な者がいる。神の眷属……覚えはあるか?」
真っ先に思い浮かんだのは、ラズリで取り逃がした青い髪の男だ。
脳裏を過った醜悪な笑顔に知らず眉間に皺が寄った。
そんなリーシェの様子を肯定と受け取った少女は僅かに笑った。
「我ら『邪鬼』は、かの眷属に協力を求められそれを了承した。表面上は」
「ということは、あなた方にはあの男とは別の思惑があるようですね」
「かの眷属は我のことを『邪鬼』の長だと思っていたらしいが、この身は数多いる鬼の一人に過ぎん。だから我から了承を貰ったからと言って『邪鬼』の総意にはならぬ」
つまりキージスは騙されているらしい。一体何の協力を求めたのかは不明だが、手のひらで踊らされている男を想像するのは実に愉快だった。
内心では意地悪な笑みを作ったリーシェは、少女が続ける言葉に耳を傾ける。
「我ら『邪鬼』は神を好かん。それに連なる眷属も大嫌いだ。だから我は其方へ頼みを持ってきた」
「頼み?」
「近々、獣人族の一部が西の大陸のとある場所へ侵攻する予定である」
急に明かされたことにリーシェの敵意が一気に膨れ上がる。ラピスとアズリカも気色ばむが話は最後まで聞くことにしたようだ。
「とある場所、とはどこですか?場所によっては私たちはあなた方を攻撃しますが」
銀髪の少女は静かに瞼を下ろした。長い睫毛から水滴が落ちる。
数秒の静寂がリーシェたちを焦らす。
やがて目を開けた『邪鬼』は真っ直ぐな瞳で言った。
「魔境谷のダンジョンだ」
「……!なぜ、ダンジョンの存在を」
「知っているか?其方の行動は何年も前から監視されていることを」
「!?」
長く整えられた爪がリーシェを指差す。その指の延長線上には森の輝きの如き少女の目があった。
「其方へその瞳を受け継いだ男は、かつてこの大陸で大罪を犯した。罰として男には呪いがかけられたのだ」
「お父さんが……大罪を?」
リーシェの記憶に残っている父は、強く優しい勇気ある人だった。自らの命が危うくなってもリーシェを慈しんでくれた。最終的にはキージスによって殺されてしまったが、短い時間の中でたくさんの強さと優しさを見せてくれた。
父のことが知りたい気持ちと、自分の知らない父を知るのが怖い気持ちがリーシェの中でせめぎ合う。
だが結局、後者の感情が勝ちリーシェに問いを紡がせた。
「お父さんは何をしたのですか……?」
「其方の父は、当時『邪鬼』が住まう都市の王だった我の祖父を殺したのだ。その罰として、大罪人に似合わぬ美しい森の瞳に、子まで継承される監視の呪いをかけた」
「王殺しの罰に監視の呪い?」
「釣り合わぬ罰と思うか?」
少女の言葉にリーシェは辛うじて頷いた。
大きすぎる衝撃にフラついた体をラピスが慌てて抱きとめる。
整理に時間がかかるリーシェに変わって、アズリカが会話を引き継いだ。
「呪いは強烈な痛みを誘発する。抉られるような、焼かれるような……考えたくもない強烈な痛みだ。監視、と言うのは呪いをかけるために必要な器に過ぎぬ」
「すまないが分かりやすく教えてくれ。俺たちは『呪い』に関しては何も知らないからな」
他二人の心境を代表して言ったアズリカに、少女が面倒くさそうに目を眇めた。
だが淡々と説明を始めてくれるあたり、彼女は優しいようだ。
少女が語った呪いは『邪鬼』が扱う力のうちの一つらしい。
呪い単体で使うことは不可能で、何かしらの目的がないと効果を発揮しない。呪いが水なら目的はコップ。水を飲むにはこの二つがないと成就しないのと同じだ。
「当時の『邪鬼』は男の目に痛みを与えたかった。ついでに行動も監視したかった。だから罰として『監視の呪い』を与えた」
子にも呪いが引き継がれるのなら、リーシェの目にも同様の呪いがかけられているはずだ。
だが赤髪の少女がそのような素振りを見せたことは無い。
「子にも呪いは継承されるが、稀に目的だけが継承され『呪い』が消失することがある。其方、運が良かったな」
滅多に起こらない偶然によって効果が半減していたらしい。
「さて、話を戻すぞ。我らがダンジョンの存在を知っているのは其方の視界から得た情報だ。ちなみに監視している視界を盗み見れるのは、呪いをかけた血筋の者だけだから安心するといい」
「お前たちはどうしてダンジョンへ侵攻するんだ?」
十五階層まで行くのですら苦労した記憶のあるダンジョン。リーシェが言うにはずっと下の階層に神がいるらしい。
「神を討伐しに行く。唯一絶対神などと持て囃され、世界を運営した気でいる大馬鹿者を頂点から引きずり下ろすのだ」
「一体、何の目的で討伐するのですか?神を殺してあなた方は何をしたいのです?」
ダメージから回復したリーシェが険しい表情をする。
リーシェが神を殺したいのは、これ以上『伝説の存在』を作り出すことによって発生することを無くすためだ。正確には、誕生することで引き起こる逆転現象を防ぐため。何もかもが逆になる現象など、起こって良いことは何も無い。
銀髪の少女は迷うことなく答えた。
「何も」
「え……?」
「何もしない。ただ神のいない世界を作るだけだ」
「それだけ、ですか?」
「大層な動機はいらない。神を殺すのに動機なんて二の次だ」
流れる沈黙は居心地が悪かった。言葉が上手く見つからずリーシェもアズリカも一言も発さない。
しかし、三人の中では一番頭の回転が早いラピスが口を開いた。
「お前たちのことは分かった。頼みの内容を聞きたい」
「察しているのだろう?神討伐に助太刀を願いたいのだ」
願ってもない事だ。神の実力が分からない今、戦力は多いに越したことはない。問題は信頼に足るか、だが……。
「そのための眷属討伐ということか」
一人納得したラピスに二人の視線が合わさる。置いてけぼりにして話を進めるな、と非難が込められていた。
「神の眷属の首で其方からの信頼を得よう」
「……確かに嬉しい申し出です」
利害を考えたリーシェが一つ頷く。
「しかし、あの男との決着は私がつけます。父がどんな人だったにしろ、私にとっては大切な両親です。両親を殺したキージスの首は私が斬ります」
「困ってしまったな。それでは、どう信頼を得れば良い?」
「そうですね……。では私たちに大陸を案内してください」
「そんなことで良いのか?」
「右も左も分からない私たちにとって、案内役がいるのはとても大事ですから」
正直どこに向かっているのかも分からないまま歩いていた。
一緒に旅をすれば彼女が信頼できるかも分かるだろう。
リーシェの申し出を銀髪の少女は快諾した。
キージスに見られることも考えたが、外部から来た者では中距離から姿を確認することは難しいらしい。
三人の輪の中に加わった『邪鬼』は、美しい顔を穏やかにして名を名乗った。
「メイティアという。よろしく頼む」





