逢魔ヶ刻と雨霧
雨と泥で汚れた体を綺麗にするために風呂付きの宿を取ろうと言う話になった。
街は非常に大きく霧に包まれ視界も悪い。東の大陸の貨幣も当然所持していなかった。
というわけで再びレウスの案内で街を巡るリーシェとラピスたち。
レウスはコミュニケーション能力が高く口も達者だ。頭の回転も速い。
時節、からかいや冷やかしを混ぜながらも彼は大陸の特色を分かりやすく教えてくれた。
特にリーシェたちが興味を示したのは『獣人族』という種族の特徴についてだ。
獣の人、と書くくらいだから動物の特徴が体に見られるかと思っていたがレウスやルキアにそういったものはなかった。
街ゆく人々にも耳や尻尾は特に生えていない。
これについてレウスはこのように説明した。
「耳や尾が生えるのはある条件が満たされた時だけだ。その条件は主に二つ。夕暮れ時……つまり逢魔ヶ刻であること。雨と霧が止んで太陽または月の光が体に当たった時。察しの通り滅多に起こることじゃない」
「随分と難しい条件だな」
一同を代表して言ったラピスが前髪を伝う雨滴を指で払い落とす。
傘をクルクルと回しながらレウスは説明を続けた。
「獣の特徴の出方はかなり個人差がある。上から下までまんま獣に変化する者。君たちのイメージにあるような部位ごとに特徴が出る者。その違いは所属する獣種に大きく左右される」
「獣種?犬や猫といった区別ということですか?」
聞き慣れない言葉に首を傾げたリーシェの問いにレウスは鼻歌交じりに答える。その手にはいつの間にか果実水が握られていた。アズリカとグレイスはそれを羨ましそうに見つめている。
「少し違う。生きているうちに自然と見かける動物は全て『通常種』と呼ばれる。『通常種』の中でも特定の季節にしか見られない動物は『希少種』。そして……存在も定かでなく特性や特徴も全く判明していない動物は『幻想種』だ」
レウスによると、『通常種』は部位ごとに動物の特徴が現れる傾向が強い。『希少種』は体全体が変わる傾向が強いのだそうだ。あくまで傾向であり、個人差はあるらしい。
「『幻想種』は本当に珍しい獣種でね。傾向や個人差を分析できるほどの数は確認されていないんだよ」
「レウス様の獣種はなんですか?」
「俺は何の変哲もない『通常種』だよ。なんの獣かはあまり明かしたくないから聞かないで欲しいな」
傘を回す方向を逆にしながらストローで果実水を嚥下するレウスは恥ずかしそうにはにかんだ。
犬なのか猫なのか……そういった種類を聞くのは失礼なようだ。異文化なのでリーシェは適当にそう考えた。
「宿が見えたよ」
話を切り替えるようにレウスが指を真っ直ぐ前へと伸ばす。
視線をそちらへ向ければ立派な建物が悠然と佇んでいた。
煉瓦をバランス良く積み上げて作られているらしく、外見は凸凹としている。暖色系の煉瓦なので見ただけでどこか懐かしいような感覚があった。
「綺麗な場所ですね……」
赤い石畳に沿って進むと建物の入口が見えた。
入口の向こう側は見えない。中は暗くしかし窓からは煌々とした光が見える。
意識がそこに吸い寄せられて無意識に早足になった。
ラピスもアズリカもグレイスも先を歩いていたレウスを追い越して入口へと急いだ。
なんだか妙な感覚だ。
頭がフワフワとして思考が上手くまとまらない。それなのに頭が「建物に入れ」と明確な意志を叫んでくる。
視界が狭くなり地面の感覚がなくなっていく。
リーシェはいつの間にか真っ暗闇に一人孤独に佇んでいた。
☆*☆*☆*
空虚な表情で建物の中へと消えた一行を見送ってレウスは紅を塗った唇を吊り上げた。
先程までの穏やかな笑顔からは想像できない告白とした笑みを咎めるように雨が強くなる。
「人ってのは本当に馬鹿だなぁ」
深い霧の向こう側に煉瓦造りの建物はどこにも存在しない。
ここは最初から何も無い空き地だった。
赤い石畳の道なんてないし、美しい建物もない。
賑わう街の裏にあるただの寂しい空き地だ。
冷然とした笑みの下から伸びた舌が整った男の顔を色っぽく魅せる。
骨ばった白い手がゆっくりと目を隠している布の結び目に触れて器用に解いた。
深緑の布がハラリと落ちる。
レウスにとってこの布はなんの意味も無い。布で前方が見えない訳でもないため、景色はリーシェたちよりもはっきり視認していた。
レウスが目隠しをする理由。
それは外部から自分の目を隠すためだ。
この目はある身分の象徴だ。容易に晒せば街中……都市中が大騒ぎになる。
中心が僅かに赤い縦長の瞳孔。紫に淡く染る黒い瞳。この瞳はレウスの獣の特徴だ。本来は晴れた逢魔ヶ刻にしか見られない獣の特徴だがレウスは常に発現していた。
獣人族にとって二つの条件の達成とはすなわち、抑制されていた力の解放だ。
晴れた逢魔ヶ刻に封印されていた獣の力が溢れ出し
結果として『獣化』という姿を生み出す。
レウスの力は強力すぎるが故、条件下でなくても抑制しきれない力が瞳に現れていた。
「少し優しくすれば簡単に信じるし、ちょっと笑いを取れば簡単に警戒を解く。俺は君たちの友達なんかじゃないのにね」
見るものに恐怖と羨望を与える瞳が気だるげに四人が消えた空き地を見つめる。
人を疑うことに慣れていない少女に漬け込むのは実に簡単だった。集めた情報通りの行動力と好奇心、そして心の一定の欠如を操るのは朝飯前だった。
少女の後を付いて歩く四人は少女さえ信じさせれば簡単に警戒を解かせることができた。
唯一、赤髪の男だけは警戒を解き切れなかったが、黒髪の少年に注意を向けていたので問題はなかった。
本当に呆れてしまう。
「確かにリーシェの近くは居心地が良いだろう。汚いものなんてなくて、悪いものなんてなくて、辛いことなんてない。辛いことがあれば慰めてくれるし、悲しいことがあれば寄り添ってくれる。まるで買いたての新居と優しいペットだ」
だがレウスは誰もがリーシェを肯定する光景に正直に言う反吐が出そうな思いをしていた。
セルタという町もそうだ。なぜ彼女のためにあそこまでできる。身勝手で我儘な少女の行動を許容できる。
勝手にトラブルに首を突っ込んでいるのは少女自身だ。それなのに「これが自分の役目なのだ」と言わんばかりに自分勝手な大義名分を掲げて許しを乞う。
他人の機微が分からないくせに。
自分の心すら分からないくせに。
よくあれだけの人を味方につけたものだ。
魔人族も戦人族も主要な人物たちはリーシェを大事に思っている。戦人族女王のシュウナだって何だかんだリーシェに手を貸している。
王都ラズリでの勝手な争いに戦力を送ったことは明らかな加担だろう。
お飾りの正義感にレウスは終始苛立っていた。
あの少女は育った環境の影響で、迷路のように入り組んだ人の心を知らない。
あの場面ならこうすべき。この場面ならこうあるべき。
そういう簡単に想像できる範疇でしか考えていない。
だからどんな悪も見逃さないし、どんな悲劇も許容しない。
暴力は許さないと叫びながら己は暴力で解決する。悲惨な過去を理由に自身の絶対正義を掲げて、自身の視点で悪と見えたものは滅する。
なんでも綺麗事で片付けて勢いに任せて状況を変えていく。
レウスから見れば、リーシェは自分の理想を押し付けてくる身勝手で自己中心的で我儘な少女だった。
だから考え方を根底から変えてもらうことにした。
生き物は必ず抜け落ちている記憶というものがある。抜けている記憶は自身にとって都合の悪いものだったり、覚えていたくなくて封印したものもある。
消えた四人は今頃その記憶と対峙している頃だろう。
記憶と対峙し見事乗り越えれば虚空から再び現れる。
だが乗り越えることできなければ……。
「楽しみだなぁ」
赤い髪の少女の真っ黒に染った爪を思い出す。
次に会うとき、リーシェがどのように変わっているか実に楽しみだった。





