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痴話喧嘩じゃありません

 泥だらけになったラピスの顔や服をタオルで拭いていると物陰から二人の男性が出てきた。


 二人揃ってニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべているアズリカとグレイスだ。


「まるで世話をされている幼児のようだな」


「良い飛び込みっぷりだったぜラピス」


 明らかに見下した様子で鼻を鳴らすグレイス。

 小馬鹿にするように笑うアズリカ。

 そして無言でニコニコするレウス。


 あらかた泥が落ちたラピスは色々なことから死守したたこ焼きを頬張った。

 すっかり雨に当たり冷めてしまったであろうたこ焼きを、ゆっくり咀嚼してやがて嚥下する。


 服に着いた泥を叩き落としながらラピスは鋭い目でレウスを睨みつけた。


「お前、何者だ?なぜリーシェと親しくしている?」


「怖いなぁ〜。そんなに警戒しないでよ」


「はぐらかすな。質問に答えなければ敵と見なし攻撃する」


 突然の剣幕に唖然となるリーシェ。

 しかしレウスは命の恩人なので一応庇うように間に入った。


「ラピス様。この方はレウス様です。雨に打たれて衰弱しかけていたところを助けていただきました」


「リーシェ。その男を庇うのか?」


「はい?」


 確かに庇ったが、ラピスの言っている「庇う」とは何か違う気がする。

 首を傾げると背に庇っていたはずのレウスがヒョイっと出てきた。


「君たちの関係は何となく分かった。そのうえで言わせてもらう。俺はレウス。深い森に倒れていたリーシェを助けた。仲間を探すというリーシェの要望を叶えるために街まで案内した。ただそれだけの関係さ」


「本当にそれだけか?」


「ラピス様は何を疑っているのですか?」


「この少年は君と俺が恋仲にあるんじゃないかと勘ぐっているんだよ」


 なぜここまでラピスが怒っているのか分からなかったリーシェの問いかけにレウスが答えた。

 その内容に愕然と目を見開く。


「それは本当ですか?」


 森で助けてもらい道を案内してもらっていただけだ。全てははぐれたラピスたちと合流するための行動だった。

 たこ焼きをあげるくらい命を助けてもらったことに比べればお礼にすらならない。


 ラピスたちと合流すればレウスとはお別れだろう。だからお礼はできるうちにしておこうと考えていた。

 これがリーシェの言い分だ。


 しかし現実はそうはいかない。


 リーシェは四歳から十四歳の間虐待されて育った。その日々から逃れてから一年間、ほとんど戦いに身を置いていた。

 ゆえに人の心の機微は簡単なことしか分からない。


 これをすれば喜ぶ。あれをすれば悲しむ。

 生きている上で普通に察することが出来る機微以外は実に疎かった。


 もしもリーシェとラピスが友達という関係性だったなら、たこ焼きを異性の口へ運ぶという行為に何も問題はなかった。


 だがリーシェとラピスは数日前に恋人同士になったのだ。

 であれば話は違ってくる。


 ラピスはリーシェがどのような過去を歩んできたのか十分に知っている。その過去が齎す影響も少なからず理解していた。

 ではだからと言って、俗に言う『あ〜ん』という光景を見せられて何も思わないかと言えばもちろんそうでは無い。


 精神的な若さと未熟さゆえの衝突が起きた。


 厳しい声でラピスを問い質すリーシェに黒髪の少年は眉間に皺を寄せた。


「リーシェは俺と付き合っているだろう?異性に対してあんなことをするなんておかしい」


 何となく浮気を疑われていることだけは直感していたリーシェだが、『あ〜ん』の何がダメなのかまでは察することができなかった。リーシェは冬にアズリカとラピスが鎌倉の中で『あ〜ん』し合っているのを見ている。だから『あ〜ん』が特別な行為だとは露ほどにも思っていなかったのだ。


 リーシェは迷うことなく反論した。


「命を救ってくれた方ですよ?しかもたこ焼きを奢ってくれた上にここまで案内してくれたのです。たこ焼きが食べたくても両手が塞がっていれば、食べさせてあげるのが思いやりではありませんか?」


「俺という男がいてなんでそんなこと言えるんだ?異性への『あ〜ん』は本当に特別なんだぞ」


「『あ〜ん』の何が特別なのですか。アンさんとシュウくんだって同じことをしていました!」


「それは親子だからだろう!?俺とお前は恋人同士じゃないか!」


「恋人同士だったら他の人に『あ〜ん』しちゃいけないんですか?助けてくれた方が困っているのを黙って見てろと!?」


 男の言い分と正義感がとてつもなく強い優しい少女の言い分。

 仕方の無いことではある。リーシェは言ってしまえば世間知らずの鈍感だ。世間一般における『あ〜ん』がなんの意味を持つのか理解なんかしていない。

 好きな女が異性に食べさせているのを見て嫉妬しない男は恐らくいないだろう。


 本人たちにとっては非常に修羅場だった。

 だがギャラリーからしてみれば……。


「痴話喧嘩は他所でやってくんない?」


 半目になったアズリカの言った通り痴話喧嘩でしかなかった。


 リーシェとラピスがギャラリーへ視線を向ければ、声無き声で腹を抱えて笑っているレウスが真っ先に目に入った。


「レウスだったか?お前、最初から俺たちがいるの気づいていただろ」


 腕を組んだ緑髪の青年の指摘にレウスは爆笑しながら頷いた。

 ラピスの『知の力』でリーシェの座標を絞り込んだ時、少女は既に街へと入っていた。


 レウスがリーシェに『破壊衝動』云々の説明をしている時から三人は物陰から様子を伺っていたのだ。


 霧に慣れていない三人が黙認できる位置と、生まれた頃から霧の中で暮らしてきたレウス。

 その視界の広さに圧倒的な差があるのは必然であった。


 隠れているつもりで物陰から見てくる三人衆の姿はレウスにはっきりしっかり捕捉されていたのだ。

 ジットリとした目のラピスの顔が嫉妬に染まっているのもバッチリ確認していた。


 そのうえでたこ焼きをリーシェに強請った。


 リーシェとラピスは最初からレウスにからかわれていたのだ。


 全てを明かされた二人は口をパクパクとさせた。


 レウスを庇っているつもりだったリーシェは呆気に取られ、思い通りに踊らされたラピスは顔を真っ赤にさせた。


 雨と霧が煙る街にしばらく軽快な笑い声が響いた。

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