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家族の思い

 キージスはシノブの手を借りてどこかへ逃走。

 王都の中心部は甚大な被害を出し、術の操りを解除された兵士や騎士は自責の念と共にラズリへ帰った。


 ラズリの民たちや建築物に被害はなかった。

 だが暴走した兵士たちに襲撃されたセルタは甚大な被害を出した。


 セルタをよく知っていた調査隊の面々が術に抵抗し、味方を止めていたおかげで死者は出なかった。不幸中の幸いだろう。

 だが深い傷を負った者は何人もいる。


 死者はいなくとも辛うじて命を繋いだ者は多かった。

 片目を切り潰された者もいれば、腕や足の腱を切られ動かせなくなった者もいる。

 自給自足が主なセルタで体が不自由になることは非常に由々しき事態であった。


 もう二度と鎌を握れないと知ったものは病室で咽び泣いた。

 もう二度と両脚で大地を踏みしめて歩けないと知ったものは自暴自棄に陥った。


 攻め込まれボロボロになった診療所は人で溢れ返り、比較的怪我の軽いものは廊下や屋根が欠けた自宅での療養を余儀なくされた。


 穏やかで優しき町セルタは一夜にして荒れ果て慟哭が満ちた。


 しかし人とは強いもので、それでも立ち上がる者がいる。

 絶望する者を慰め、自暴自棄になる者を叱咤する。


 アンはその筆頭として町中を駆け回っていた。

 頭に包帯を巻きながら声を上げて住民を元気づけていた。


 ラピスは笑い声の消えた町の様子をリーシェの自宅から眺めていた。

 傍には、罪悪感に押し潰されそうな顔のディリシャがいる。


 幼い頃から少年の面倒を見てくれた老兵は痛々しい町の様子を目を逸らさず見つめていた。


「……爺」


「はい……」


 唇に馴染んだ呼び方をすればディリシャは小さな声で返事をする。当然ながら声に覇気は存在しなかった。


「無理な話だろうが、あまり自分を責めないでくれ」


「本当に無理な話ですね」


 困ったように眉が下がる。

 しばらく見ないうちにディリシャも随分窶れていた。そろそろ暇を出すべきだろうか。


「元はと言えば俺の責任だ。俺が弱かったからキージスに良いように利用された。お前たちに城の護衛から外れるように指示をしたのも俺だからな」


「それは……!」


「何も違わないさ。あの時俺は、俺の全ての力をリーシェに渡すことしか頭になかった。そのためならどんな命令だって聞いた。これは俺の責任だ」


 否定しようとするディリシャにラピスは静かに諭した。

 声は落ち着いていて、老兵はこんな時だと言うのに少年の成長を感じて涙ぐむ。


 キージスの術に抵抗し、住民を殺そうとする兵士や騎士を身をもって制止していた男の体にはいくつもの包帯が巻かれている。


 ずっと握りしめられていた手のひらには血が滲み、噛み締めた唇はボロボロだった。


「後悔はいくらでもする。だが自暴自棄にはならない。この状況を少しでも良い方向に導く。それが今俺たちにできることだ」


 と言っても実行できることは非常に少ない。

 現在、ラズリの兵士や騎士に対するセルタの住民の信頼は地の底以上に低くなっている。


 怪我をしているディリシャが診療所ではなくリーシェの家にいるのも、周囲の視線が鋭く命の危険を感じたからだ。


 至って当たり前のことなのでそれに対して不満を抱く気など全くない。


「リーシェが目覚めてくれれば……」


 思わず口に出た言葉を何者かの入室の音が遮った。


 深紅の髪と瞳。威風堂々とした出で立ち。

 リーシェの叔父であるグレイスだ。救援に来てくれた魔人族の少数はセルタに残ってもらっていた。


「リーシェが目覚めたら……何だ?」


 殺気すら感じる目がラピスを射抜く。


「アズリカから事の詳細をすべて聞いた。その上で私はお前に言わせてもらおう。"都合が良すぎではないか"とな」


 最もな言葉だ。

 そもそも、リーシェが瀕死の状態に陥ったのも原因はラピスに他ならない。

 それなのに事の解決をリーシェに望むなど都合が良すぎる。


「我らが妹の子は優しいから、貴様たちがどれほど悪事に手を染めようと受け止め許すだろう。そして、貴様が言う通り尻拭いも喜んでするだろう」


 冷え冷えとした声音が少年の心にストンと落ちる。


「今回の件で貴様はどれだけの無礼をリーシェに働いた?どれほどの無茶をあの娘にさせた?アズリカから聞いたぞ。貴様は城でリーシェを真名で呼んだそうだな。今ここで、もう一度真名を呼んでみせろ」


「……リーシェ・フィリアル・アクレガリアイン」


「そうだ。リーシェは誇り高きアクレガリアインの一員である。責務を放棄しようと。役目から逃げようと。あの娘は我らの大切な家族である」


 家族。

 この男の口から出るとは思っていなかった言葉に少年は目を大きく見開いた。

 冷静沈着な表情はいつの間にか不安そうなものに変わっていた。


「我らの到着があと少し遅れていたらあの子はどうなっていた?亡きディアナが命を懸けて守り抜いた子を殺す気か!?」


 空気がビリビリと震える。

 グレイスの妹であるディアナ・フィリアル・アクレガリアインはリーシェの母だ。


 リーシェの父と恋に落ち駆け落ちした後、魔境谷でリーシェを産んだ。しかしリーシェが伝説の力を持っていることが判明し、『知の力』の持ち主から守るためにリーシェを捨てた。


 愛しき娘から父母の記憶を消した後、キージスに身柄を確保されリーシェとの再会の直後に惨殺されたのだ。


「ディアナが何のために命を投げ打ったと思っている!?貴様らに娘を利用させるためではない!あの子に幸せになってもらう!ただそれだけだ!」


 荒々しい足音を響かせて近づいたグレイスが茫然とするラピスの胸倉を掴む。

 ディリシャが庇おうとするのを少年は片手で制した。


 グレイスに怒鳴られるのも当然のことだからだ。


「貴様にリーシェと会う資格はない!リーシェの名を呼ぶ権利もない!分かったら疾く王都へ去るが良い!!」


 突き放すようにして胸倉から手を離される。

 咳き込みながらラピスは口を開いた。


「確かにこれまで散々リーシェに助けてもらいました。幾度も彼女を傷つけたでしょう。今回だって、すべて俺の責任です」


 それでも、と少年は背の高い男の顔を真っ直ぐ見据える。


「俺はリーシェの隣に立ちたいんです。分不相応だ。あんなに強くて優しくて覚悟のある奴に俺はきっと釣り合わない」


 ラピス・ラズリには彼女と並び立って誇れるものが何も無い。

 この身に宿る「知の力」は本来あるはずのなかったもので、たまたま神から与えられたに過ぎない。

 王都を発展させたのだって前世の記憶があってこそだ。

 戦いでエンチャントを最適に活用できるのも前世の記憶があるからだ。


 セト ダイキは死ぬ直前、赤いコメットに心を奪われた。

 少年の中の別人格はその赤緑の輝きを愛してやまないという。


 だがそれはコメットの煌めきであってリーシェではない。


 リーシェの笑顔も泣き顔も。覚悟を決めた面差しも、凛とした立ち方も。

 全部全部、あの少女だからこそ愛しく感じるのだ。


「だけど俺はこの気持ちに蓋をすることなんでできない。この想いだけが俺が確かに抱いた俺だけの想いなんです。これを諦めてしまったら俺はきっとまたリーシェに迷惑をかけるでしょう」


「だから貴様は……!」


「そこまでにしようぜ。グレイス様」


 毅然と意志を表明したラピスに殴りかかろうとしたグレイスを、青年の声が止めた。

 勢いよく振り向いたグレイスの視線に先には、壁にもたれかかったアズリカと……。


 目覚めたリーシェが立っていた。


「グレイス様。どうか拳を収めてはいただけませんか?」


 静かだが有無を言わせぬ声音にグレイスが渋々とラピスから離れる。

 いつも通り穏やかに微笑むリーシェはグレイスに対して深々と頭を下げた。


「約一年ぶりですね。お久しぶりです。助けてくれたと聞きました。私の大切な人たちを守ってくれてありがとうございました」


「ふん。礼には及ばない。我らは母であるレイラ様の命令に従っただけだ」


「おばあ様が?」


「胸騒ぎがするから行ってこいと言われた。あの方の予感は大抵当たるので、兵を率いてやって来た。王都ラズリの王との連絡も途絶えていたのもあるがな」


 魔人族の女王の機転に助けられたというわけだ。

 リーシェの表情がフワリと和らいだのを見たグレイスは、ここぞとばかりに捲し立てた。


 口数の少ない男だと思っていたが今日は違うようだ。


「リーシェ。この男とはもう縁を切れ。これ以上、お前が苦しむことはない」


「グレイス叔父様」


「なんだ?」


「その、言っても良いか分からないのですが……余計なお世話です」


 その時、三人の男たちはグレイスの背後に稲光が走るのを幻覚した。

 呼吸も含め動きを止めたグレイスにリーシェが続けて言葉を放つ。


「一年前に少し会っただけで、叔父様面しないでくれますか?」


「グッ……!」


 約一年前の出来事があるからかリーシェはグレイスにやや厳しかった。

 普段は非常に温厚で優しい少女が放つ毒のある言葉を浴びるグレイスを、ラピスはなぜか羨ましいと思ってしまった。


 被虐趣味……ととんでもない方向へ走り出した思考を頭を振って追い出す。


「お前は……ディアナと同じことを言うのだな……」


「お母様に?なんと言われたのですか?」


「あのけしからん男と駆け落ちをすると言われた時、俺はディアナを必死に止めた」


 丁度、今の状況と似た時だったらしい。

 走って逃げるディアナの腕を捕まえて同じようなことを言ったようだ。


「"余計なお世話だ"……"鬱陶しい"……"今更兄貴面するな"と」


「「「お、おぅ……」」」


 ラピス、アズリカ、ディリシャの声が重なる。

 普段は口数の少ない男だから妹への接し方も下手だったのだろう。


 大切には思っていたが上手く言葉にできず、関係性を良好にできなかったと予想する。


「ついでに"お兄様臭い"とも言われた」


「「「ヒェッ」」」


 また声が重なった。

 気にして嗅んだことはないがグレイスを臭いと感じたことは一度もない。というか逆に割とフローラルな香りがする。


 ディアナに言われてから気をつけているか、ただの妹の反抗期ゆえの言葉か。


 どちらにしろ言われた方はかなりのダメージだろう。


 ショックで力が緩んだ隙にあっという間に逃げられたらしい。


「俺は……あまり話すのが得意ではない。ここぞと言う時は踏ん張って声を張り上げるが、正直……口下手だ」


 しゅん……とグレイスの肩が小さくなる。

 あんなに威厳に満ちていたのに、当時のショックを思い出し素になっているらしい。


「リーシェ。俺はめんどくさい兄だったのだろうか?」


「兄弟のいない私にはよく分かりませんが。本人同士の問題に首を突っ込むのは兄であれ誰であれ鬱陶しいと思うのでは?」


 やはり血は争えない。

 ディアナの毒舌をリーシェも引き継いでいたようだ。


 グレイスの背中がさらに小さくなる。

 何だか不憫に思えてきて、この日の話し合いはこれで終了した。


 アズリカが静かにグレイスを慰めていた光景はラピスを大いに同情させた。




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