王都ラズリへ
山から差し込んだ日差しがリーシェに朝の訪れを告げる。
小鳥の囀りが穏やかな日常を歌う。
乾いた空気が肺を満たし、澄んだ青空が次の季節の気配を感じさせた。
「もう、一年ですね……」
この町で始まる二回目の初夏。リーシェが生きる気力を失って川に身を任せたあの時から、もう一年になる。
そう思うと本当に感慨深い。
実に濃い一年だった。平穏に暮らしたいはずが、バタバタとしていた。
悲しみも喜びもたくさん詰まった一年が過ぎ、リーシェはまた新しい歳を迎える。
十五歳だ。正確な誕生日は知らないが、リーシェはセルタにやってきた日を誕生日にしている。
今日はリーシェの十五歳の誕生日だった。
右手で持っている黒い手紙にもう一度目を走らせる。
『リーシェ。十五歳の誕生日おめでとう。ラズリで祝いの席を用意しているからぜひ来て欲しい。迎えに梟を飛ばす。俺は迎えに行けないので楽しみに待っている。アズリカもぜひ連れてくると良い。家と畑の管理は梟と一緒に行くレガリアに任せてくれ』
金のインクで綴られた招待状。
また家を空けることになるだろう。
シルビアから帰還して既に一ヶ月。リーシェはアンたちに自分の想いを告げていた。
リーシェの今の願いは世界中の人々が平穏に暮らせること。
北の大陸は順調に野菜を生育しているそうだ。
南の大陸はキリヤたちが頑張ってくれている。
東の大陸にはあの残酷な人格を持っている青年がいる。きっと何らかの問題を抱えているはずだ。
世界中を回らなければならない。
セルタに長く滞在することもきっと減るだろう。
向こう八十年管理するという気持ちで借りている家と畑も、きっと不在になる期間の方が長い。
だから、リーシェはアンたちにこう言った。
『私は世界を見て回りたいです。身勝手で我儘なことは承知しています。ですが私はこの気持ちを抑えることができそうにないのです。ですから……お借りして家と畑をお返しします』
深く頭を下げた。怒鳴られること覚悟して、震える声を何とか気丈に保って打ち明けた。
旅から帰ってきた時は宿にお世話になると伝えた。セルタは居場所だ。リーシェのたった一つの帰る場所だ。
だからどうか、見捨てないで欲しいと言った。
それに対するアンや町長の答えは、本当に優しいものだった。
『あたしたちはアンタを縛る気は全くない。家と畑だって、アンタが生きる希望を見つけるための口実でしかないんだ。気にする事はないさ。好きなだけ世界を見てきな!疲れたら帰っておいで。あたしたちはそれだけで満足さ』
一年前と全く変わらない豪快な笑顔だった。
トータルで半年しかいなかったのに、彼女たちはリーシェを大切の思ってくれていた。
恵まれていると強く感じた。幸せを改めて実感した。
リーシェはもう後ろめたさも何も無く世界中を歩き回れる。
家も畑も気にしなくて良いとアンが言ってくれた。
「リーシェ」
玄関先にいたリーシェの背中に青年の声がかかった。
リーシェがシルビアで戦いっている間、家と畑を守ってくれていたアズリカは見ないうちに背が伸びていた。
男性とは二十歳近くになるまでグングン背が伸びるらしい。
前よりも見上げる高さになってしまった青年の顔に笑みを向けると、アズリカも穏やかに笑い返してくれた。
「誕生日おめでとう」
「ありがとうございます。やっと一つ、アズリカに近づきました」
「馬鹿か。お前が歳をとるってことは俺も歳をとるってことだからな。永遠の十八歳なわけないだろ」
「アズリカ誕生日はいつなんですか?」
と聞いて顔を青ざめさせた。
アズリカも身寄りのない身だ。誕生日なんて知るはずもないだろう。
「あぁ、気にするな。俺もセルタに来た日を誕生日と決めている。夏の終わりくらいだな」
何でもないふうに朗らかに笑う青年を見て安堵する。彼も自身の過去にけじめをつけた人間だ。今更、身寄りの有無など気にならないようだ。
「リーシェ。ラピスからの手紙にはなんて書いてあるんだ?」
「梟で迎えを寄越すとだけ。明確な時間は書かれていません」
「……なぁ。その手紙、なんか怪しくないか?」
リーシェの肩越しに手紙を覗き込んでいたアズリカが怪訝そうに眉を寄せた。最初あった頃より伸びた髪が首筋をなぞってくすぐったい。
簡潔な手紙を読んでいても特に違和感は感じなかったが、アズリカは何か嫌な予感がするらしい。
「アイツのことなら、お前に会えるとなれば政務なんか早々に終わらせて飛んできそうな気もするが……」
「それが出来ないほど仕事が忙しい、とか?」
「一時期、部下に仕事任せて滞在してた奴だぞ。それは考えにくいだろ」
「流石に王さまから許しが出なかったんじゃないでしょうか?」
「考えすぎ、か?」
「そうですよ。いつからそんなに心配症になったんですか。お祝いの手紙を疑うなんて失礼ですよ」
と言いつつも、納得できてない様子のアズリカにリーシェも一抹の不安を覚えた。
一年が濃すぎたがために過敏になっているだけだと信じたい。
二人で黒い手紙を穴が空くほど読み込んでいると、梟の鳴き声が空に響いた。
朝空を見上げると一羽の巨大な白梟が家の近くに降り立つところだった。
梟の背に乗っていた見覚えのある男性が、人懐っこそうな笑みを浮かべて走りよってくる。失礼だが大型犬みたいだ。
「リーシェ様!お久しぶりです!」
「レガリア様、お久しぶりです。いつもありがとうございます」
「とんでもありません!正直、今の城の警備よりずっと気が解れますよ」
気になる言い方にリーシェは眉を寄せた。
疑問を口にしたのはアズリカだ。
「今の城がどうかしたのか?」
「それが随分と殺伐としていて……。元から賑やかな城ではなかったのですが、雰囲気が暗くなったと言いますか」
「ラピスの様子は?」
「僕が最後に見たラピス様はだいぶお疲れのご様子でした。もう二ヶ月も前のことですので今どうされているかは把握出来ていません」
アズリカの予感は正解だったようだ。
あれほどレガリアたちと仲良く過ごしていたラピスが、二ヶ月も彼らの前に姿を見せていない。加えて城のおかしな空気。
考えたくないが、この招待状は罠のような気がした。首謀者はラピス、というよりラピスを利用した者だと予想する。
ラピスはダンジョンから帰還したあと、改めてキージスを取り調べると言っていた。その過程で何らかの事件が発生したと考えるべきだろう。
「リーシェ様。どうかラピス様をお救い下さい。無事を心よりお祈りしております」
レガリアも異常事態に気づいている。それでも何も出来ないのは、彼にも生活があるからだ。彼があの都市ではただの兵士に過ぎないからだ。
そういえば忘れていた。
北も南も平穏の兆しを見せ始めているが、西は全くの手付かずだった。西に大陸は広いし、国も都市も町も村も沢山ある。
複雑に絡まった糸のように、色々なところで不幸が起きているような気がする。
ラピスには影がある。それは少し前から気づいていた。その影はアズリカの劣等感やキリヤの無力感とよく似て全く違うものだ。
今回の事件にそれが関係しているかは分からないが、シュウナに言われたこともある。ラピスとはもう一度じっくり話しておこうと思っていた。
「任せてください。きっと過ごしやすい場所に戻して帰ってきますから」
あらかじめ整えていた旅の支度をして、アズリカと共に梟の背に乗る。
不安そうに見上げてくるレガリアに微笑みかけてから、気を引き締めて上空へ浮上した。
目指すは王都ラズリ。
新しい戦いの余波がリーシェの心をざわめかせていた。





