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指切りの船  作者: 影津
8/23

2-3

「マジかよ。あのおばさん船にいるのか」


 嫌悪感を隠そうともしないソラの反応は、イレブンの予想通りだった。


 最上階の展望デッキで二人は風に当たっている。


 夕方四時半。


 夕日と呼ぶにはまだ暑い日差しで、ほかの客は少ない。


「あのおばさんもまぁ、災難っちゃ災難だよな。一代目あおいとりがシージャックで乗っ取られたときも、娘と一緒に乗ってたっていうし、二代目あおいとりは俺らがぶつけて事故ったし」


「それより、ソラと会わせないようにしないとな。人相の変わった俺のことを覚えてるぐらいだから、ソラの健康な姿なんか見たら、マジで噛みつかれそう」


「ちげーねぇ。まぁ、全部悪いのは俺だから反論するのも、難しそうだけどよ」


 イレブンは首を振る。


「あのおばさん、怒りに駆られると歯止めが効かないから。俺の家にも何度か乗り込んで来られて、母さんがうちも親父を亡くしたばかりだから、やり合うなら裁判でって言ったら顔をぐーで殴られたんだ。うちの母さん我慢強いから何にも言わなくて。先に向こうが手ぇ出したんだから、こっちだって訴えられるはずなのに。そうしなかった」


「そりゃ酷いな。暴行罪が適用できるだろそれ。ああ、俺のところにも毎日来てたぜ。マスコミもヤバくて買い出しにも行けないってのに、あのおばさんはマスコミに撮られるのもおかまいなしで、家の前からも裏からも叫びまくってた。『覚王ソラは人殺しだ』って。おかげでおふくろの経営する居酒屋もしばらく休業しないといけなくなって、おふくろは一気に老けちまった。こっちも親父が行方不明になって収入がなくなったってのにな。おふくろ、面会に来てくれたときも言ってたんだけど、親父の死亡認定願をしばらく出してなかったんだ」


 クルーザー衝突事故で、行方不明となったソラの親父さんの捜索は二ヵ月前、奇しくも事故からちょうど一年を迎えた六月に打ち切られた。


 認定死亡にしてもらうことで、戸籍上の死亡となり遺族は財産を受け取ることができる。つまり行方不明者扱いでいる限り、親父さんが生きているという希望を持つことはできるが残された家族は金銭面で苦労する。


「で、今は?」


「さすがに今は認定死亡になった。おふくろ、苦渋の決断だったろうな。俺は親父がはじめから亡くなってると思ってた。おふくろの方がわずかな希望にすがる勇気みたいなのを持ってたんだろうな。俺なんかのせいで、おふくろの全部をめちゃめちゃにしちまった」


 イレブンも父親に連れられてソラの母親の営む居酒屋『うたかた』にはよく行った。ソラの母親はほっそりとした女性で事務員のような地味な人だった。テーブルに水滴が一粒落ちているのを発見すると、全テーブルを磨くような繊細さを持ち合わせていた。


「それでお前、その拾ったそれはどうすんだ?」


 イレブンは先ほど、澪が落としたと思われるライブのチケットを拾っていた。もう一度会って返す方がいいと思うのだが。ソラがにやついている。


「直前までこっちで預かって、困らせてやろうぜ」


「まあどうでもいいか。もう会いたくないし。でも、おかしいんだ。アイドルの出演なんて俺らのチケットに書いてあったかな?」


「社長令嬢の特権で、俺らと持ってるチケットが違うんじゃねぇの?」


「あ、ここアイドルのところだけ、紙貼ってんだけど。ほら、あとからつけ足したみたいだ」


「ふーん。まあ、どっちみち俺らアイドルは見ないだろ」


 それからイレブンはソラを部屋に上げてソフトドリンクで乾杯した。テレビを見て、飽きたらまた最上階の展望デッキに行った。


 夕方六時半。そろそろ夕日がきれいな時刻だ。


 デッキにはほかの乗客も増えてきた。


 家族連れやカップルがいる中、イレブンとソラは二人で話し込んだ。


「でさ、相部屋の野郎のいびきがひでぇの。刑務作業よりそいつのいびきが地獄だと思ったぜ。慣れるまで半年かかったな。それから、隣の部屋は男五人で寝泊まりしてるって聞いてな。そいつらはそいつらでグループ組んでやがって、いっつも俺のこと馬鹿にすんだよ。原因のほとんどがいびき野郎のせいなんだ。まったく、俺はとばっちり喰ってたんだ」


 少年刑務所の話はイレブンにとっても興味深かった。自分が入っていてもおかしくなかった。


「部屋替えできなかったのか?」


「無理だな。俺といっしょに寝れる根性のあるやつが、いびき野郎だけだったってのもあるが。なんせほかの部屋のやつは、一人ひとりは弱ぇくせに、こそこそ団結するのだけはご立派だったからな」


「女子のいじめみたいだな」


「ああ、根性腐ってるやつらばっかだった。でも、本当にやばかったのは俺と同室のいびき野郎だったんだけどな」


「なんで?」


「がたいもヒグマみてぇで。普段は大人しいんだがな。キレると誰にも止められねぇんだよ。だからあだ名もヒグマだった。隣の部屋のグループがヒグマと俺をいじるのに飽きたとき、問題が起こった。あいつら、俺とヒグマが争うように仕向けたんだ」


「え? どうやって」


「ヒグマに俺がお前の悪口を言ってるって吹き込んだんだよ。俺はもうぼこぼこにされてさ」


「うわぁ。ソラがやられるって、よっぽどだな」


「ああ、でもこれ以上やられねぇよ。やられようがないからな」


「そうだな。釈放されてよかったな」


 ソラの顔が心なしか夕日を覆い始めた雲で陰った。


 イレブンはふと視線を感じてデッキを見渡す。


 一人の少女が立っている。年は十歳ほど。長い髪で覆われた白い顔はよく見えない。観察していると、青いブラウスに白の短パン、白のビーチサンダルで男の子のように見えてきた。


 少女ではない。髪の長い男の子だ。それも縮れ毛で、服はよく見ると黒ずんでところどころ穴が空いている。


 夕日が顔を出してきた。男の子の表情は長い髪に覆われてよく見えない。こちらを指差した。黄色い爪。その腕は夕日に照らされて黄色のリンパ液でてらてら光った。ぶくぶくと水疱ができており、ところどころ赤黒くただれている。


 火傷している。イレブンはそう思ったが身体が強張り、動けなかった。


 誰も男の子に気づかない。


「なあ、ソラ」


 イレブンは答えを求め、ソラに訴える。


「どうしたんだよ。幽霊でも見たような顔して。ちょ、俺の顔なんかついてる? こっち見るなって」


「あれ」


「うん? どれ」


 ソラが不思議そうに周囲をみやると、男が二人走ってきた。先頭を行く男が泣き声で叫んでいる。


 あっけにとられてしまったイレブンが男の子に向きなおると、そこにはもう誰の姿もなかった。


 叫びながら、血相を変えて走って来た男は、丸顔でくせ毛の短髪。二十代だろう。身長はイレブンと同じぐらいなので一六〇ほどだ。白の半袖パーカー、グレーの七分丈のパンツ、白のスニーカーを履いている。


「待てよ、(かち)木田(きだ)!」


 そう言って、後ろから彼を追うのは、細長い顔をした色黒の男で、同じく二十代と思われる。黒髪の短髪、身長一七〇ほどだ。精悍な顔つきで、イケメンと呼ばれる類に入るが服装は白のタンクトップ、グレーのカーゴパンツに草履。ディスカウントショップで買いそろえたようなダサさがある。


「死ぬ、死んでまう!」


 見れば勝木田と呼ばれたくせ毛の男が通ったあとには、血が数滴飛び散っていた。恐怖に強張った彼の顔からも鼻血が滴っている。


「まさか、やばい疫病?」


 イレブンはコロナからデング熱、エボラ出血熱まで連想した。確か、エボラ出血熱は鼻血が出る。


「落ち着け勝木田! ただの鼻血だ」


 後ろから呼び止める色黒の男の声に聞く耳も持たず、勝木田は甲板の手すりに飛び乗った。


「あかん! こんなん死ぬ!」


 勝木田は逃げるように海に転落した。


 デッキに悲鳴が響き渡る。のんびりした時間の流れが、濃縮され、破裂したような瞬間だった。


「誰か勝木田を助けてくれ!」


 途方に暮れる色黒の男。


 イレブンとソラは手すりに駆け寄った。勝木田は海上にぽつねんと浮かんで、飛沫を上げている。まだ助かる。


 イレブンはデッキ後方の手すりにかかっていた救命浮環(浮き輪の形をした救命具。つかまって使用する)を見つけた。持ってきて海に投げる。


 勝木田はパニックを起こしており、流されてきた救命浮環に気づかない。イレブンは慌てて紐を手繰り寄せ、勝木田に向かってリリースする。


 勝木田は速くも船の後方へ流れている。


「俺が届ける」


 てっきりソラが言ったのかとイレブンは思ったが、その声は色黒の男だった。イレブンの持つ紐が引っ張られる。色黒の男は勝木田を追って海に飛び込んだ。沈んだかに見えた。救命浮環と共に浮上してきて、勝木田に向かって矢のように泳いでいく。


「あいつすげーじゃん」


 ソラが感嘆する中、乗務員、女社長と澪がデッキにやって来た。


 ちょうど、色黒の男が勝木田を捕まえたところだ。


「大変! 何人落ちたの?」


 イレブンは慌てて答える。


「一人です」


「あなた馬鹿なの? 数学できる?」


「もう一人はあとから救助するために飛び込んだんで」


「合計二人ね。紐はちゃんとつかんでるわね? いい? 一緒にあなたも引くのよ!」


 女社長が命令した。綱引きの要領で、勝木田と色黒の男を船腹につけることに成功する。


「一度に二人は無理よ。もう一つ、右舷前方にも救命浮環があるから誰か取ってきて!」


 女社長が怒鳴り散らすが、誰も動こうとしない。この緊急事態にほかの乗組員はどうしたのだろうか。


「澪、行きなさい!」


「分かった!」


 澪が抜けた分、ずっしりと重くなる。指が引きちぎれそうだ。小指のないイレブンは握るという動作が一番苦手だ。ほぼ右手で握っていることになる。


「重いわね。ちょっと、あんたたち本当に力入れてる?」


 確かに異常な重さだった。イレブン、ソラ、女社長、乗組員の四人で引いているのに、二人で引いているような。


「ちょっと、ソラ、いつもの馬鹿力はどうしたんだよ」


「まだ夕方だから無理っぽいわ」


「はぁ? 夕方だから無理って言い訳になってねぇよ」


「お母さん持ってきたよ!」


 澪がもう一つの救命浮環を持ってきた。


「早く投げて。引き上げるときは一人ずつよ」


 男二人を引き上げるのにニ十分近くかかった。それでもなんとか引き上げた。二人とも意識はしっかりしているが、ひどく疲れた顔をしている。


 歓声が上がるかと思ったが、野次馬はどよめきこそすれど、距離を置いている。ある者は何事もなかったかのように去って行く。


 ――なんだこの違和感。


「あんた馬鹿なの!」


 女社長が色黒の男を怒鳴る。


「救助者まで飛び込んでどうするのよ!」


「はい、すみません。どうしても、気が急いてしまって」


「それから、覚王ソラ!」


 ついに来たぞと、ソラが息を呑むのが見て取れた。


「あんた力なさすぎでしょ!」


「すんません」


 思ったよりお咎めのない再会となった。


「それからあんたはどうしてパニくってたの」


 勝木田は海水を飲み込んだのか、げほげほ言っている。


「まあ、いいわ。もう落ちないでよ。医務室はこのフェリーにはないから、空き部屋に連れてってあげる。澪、案内してあげて。それから、私は船長に報告してくるわ。あんたも来るのよ航海士! あれ? あいつどこ行ったの?」


 さきほどの乗組員の姿はもうなかった。航海士だったのかと思ったが、イレブンはもう顔も思い出せなかった。


 女社長の剣幕に気圧されて、見物客がさらに減って行く。


「ったくどいつもこいつも、人が死にかけたのよ! どきなさい!」


 イレブンも憤慨した。乗客はこちらを見ているだけで、誰も手伝おうとしなかった。


 澪がまだ咳き込んでいる勝木田を連れて行く。


 勝木田のつれの色黒の男がイレブンの元へやってきた。


「本当に助かりました。ありがとうございます」


「まあ、何とかなって良かった」


 イレブンも自分の成し遂げたことにまだ確信が持てない。あのまま人が亡くなっていたら、生きた心地がしなかっただろう。


「自分、六車(ろくしゃ)本気(まじ)って言います。あいつは(かち)木田(きだ)勇将(ゆうしょう)


「え、ろくしゃ、何って?」


「マジです。マジで? って聞くマジ。勝木田は血液恐怖症ヘモフォビアなんです。何かに驚いて、俺と顔面をぶつけてしまって。そのとき、鼻血が出てパニックに。本当にありがとうございました!」


「いや、別に大したことは」


「お名前は?」


「ああ、蓮寺十一。十一って書いてイレブンっす」


「コンビニみたいですね」


「よく言われる。こっちは覚王ソラ」


 六車は礼儀正しくお辞儀をして、勝木田と澪のあとを追った。


「血液恐怖症なんてあるんだな」とソラが感心するが、イレブンは複雑な感情だった。


「この船には、海が苦手な奴と火が駄目な奴と、血が駄目な奴が乗ってるのか」


「え? お前火が駄目なのか?」


「俺じゃないよ。澪が火は駄目なんだって。俺は海っていうか、指のことが気になってるっていうか」


「ふーん。指か。小指ぐらいなんとかなってんだろ?」


「小指ぐらい? どれだけ痛かったと思ってる」


 イレブンが睨みつけると、ソラの目の色が変わった。


「痛いのぐらい分かる。命ってのは、痛みでできてんだからな。やられてもやっても痛いもんだ」


「だからなんだよ。指がなかったらさっきだって助けられるもんも、助けられなかったかもしれないだろ」


「助けたじゃねぇか」


「お前こそ力全然入ってなかったぞ! いい加減にしろよ! また具合悪いって言うのかよ?」


「おうおう、言うじゃねぇか。イレブン。小指は戻ってこねぇんだから、諦めろ」


「諦めろって」


「じゃあ生やせるのか? 無理だろ。でも、何かを残せるんじゃねぇかな」


「残すって?」


 ソラは思案顔で呟く。


「そうだなー。思い出とか?」


「どんな思い出だよ。あの事故が思い出で片づけていいもんじゃないってこと、ソラだって分かるだろ」


「あんな日のことは忘れるしかねぇ。俺は忘れたらいけねぇけど。イレブンまで覚えておくことはねぇよ。どうせなら、今日のことずっと覚えとこうぜ。指切りだ」


 イレブンは渋々右手を差し出す。


「ない方の指」


「ないじゃん」


「だから、お前はどっちなんだよ。お前の小指は金属片に切断されて飛んでった。あるのか、ないのか? あるって思いたいなら、それなりに振舞えよ」


 イレブンはない指を差し出す。ソラの左手小指と指切りをする振りをする。ソラが照れる。


「なんで言い出したソラが照れてんの?」


「いや、恥ずいなーって」


「思い出残すんじゃなかった?」


「じゃあ、もっかいやるか」


「は?」


「スマホにさっきの保存してないし、もう一回だ。指切りしてシャッターを押せ」


「なんだか、意味が分からないな。指でハート作るのより恥ずいって」


 ソラがにやにやしている。気持ち悪い。仕方なくイレブンは、ない指で指切りをした謎の画像を保存した。


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