5-1
「クルーザーでパーティーしよう。ついでに花火も見に行くぞ」
言い出したのは平安十三。イレブンの父親だった。だが、実際は父の親友の覚王正富、その息子ソラの三人の意見だったと思う。
一年前。海開き前で六月の土曜日だった。風は湿気を含み、蒸し暑い日だ。
大阪市にあるマリーナ(船を停泊させるための施設)に、十七時に集合だった。メンバーは十人。斧音緒が好きな食材を買い込んで、あっという間に出航時刻になる。
ソラの父親が舫いを解いくのをソラがはりきって仕切っていた。
「頼むぜ。花火は十九時からだからよ。間に合うようにしてくれねぇと」
ソラは黒薔薇があしらわれた白の七分丈のシャツに、真っ赤な半ズボンを履いていつも通り決まっていた。
一緒にいる船長であるソラの父親の覚王正富はグレーのTシャツ、白のチノパンと地味な印象で、太り気味の男だ。四角い顔に太い眉は威厳があるのだが、垂れ目のせいでいつも眠そうな顔に見える。どこか間の抜けた表情から、優しい親父さんの印象が強い。いつもソラに振り回されていて、どっちが船長なのか分からないのが玉に瑕だ。ソラが船舶免許を取ればいいのにとイレブンはいつも思っているのだが、ソラは勉強もできるくせにワルでいたいからと言って免許を取ろうとしない。
ソラにならって、
「王の命令に従ええ」とテルが奴隷を蹴るようにソラの父親の尻を足蹴にする。
同級生の三寺照。ソラの左腕を担う。クラスでは右のイレブン左のテルと呼ばれ、イレブンの親友でもありライバルでもある男だ。丸顔だが顎がシャープで女子にもモテる。だが、男子からの評判が悪すぎる。ソラグループの外でもソラ信者なので、ほかのグループにもソラの自慢ばかりするから嫌われている。今日はライトグリーンのシャツに黒のパンツ、白のスニーカーといったいでたちだ。伊達メガネの金縁メガネが詐欺師っぽいが、こいつはアホ。
テルは無抵抗なソラの親父さんの後ろ姿が面白かったらしく、クルーザーの船内に駆け込んで、両手にシャンパンを抱え戻ってきた。イレブンはその内の一本を受け取った。テルが下向きに構えるので、コルクでケツにキメるんだなと察した。
「せーの」
シャンパンのコルクがそれぞれ親父さんの右の尻と左の尻に当たる。くだらないけど、大当たりだったので三人でげらげら笑った。ソラが「開けるのはえーよ」と笑いながらシャンパンをテルからぶん取ってラッパ飲みする。
ソラの親父さんは黙々と出航の最終チェックをしていた。
イレブンらはソラを先頭にしてクルーザーの船内に入る。すでにオードブルや酒のつまみ、テルが持参したポッキーやポップコーンなどの菓子が皿に盛られていた。
それにしても相変わらず船内は広い。クルーザーは中古とはいえ、イギリスの老舗ヨットメーカーのもので全長五十五フィート(約十六メートル)、全幅四メートルもある。二階建てで、上が操縦席と後部座席もくつろげるようにソファが置いている。下の階が二部屋に分かれていて、船首側の部屋にはキングベッドとテレビがある。トイレやシャワー室を挟んで、後方にはリビングキッチン。冷蔵庫やエアコンも当たり前のように完備していた。
家と変わりがない。というより、家よりすごい。まるで別荘だ。みんなで一階の船首寄りの部屋でテレビを見ながら飲み食いを開始する。
四十代の二人組のリボンと卯月が二人で後方のリビングに行くと席を立つ。
山鹿リボンは一番身長が低く、体重は七十キロもあるとの噂だ。襟元にたくさんレースのついた白のブラウスに、淡いピンクのスカートを履いている。ソラの親父が和歌山県の人で、学生時代にヨット部だったので、そのヨット部の後輩にあたる。
「イレブンちゃんとテルちゃん、混んで来たから向こうでいっしょに遊ばない? 嫌ならイケメンソラちゃんでもいいけど」
ソラは気にしていないが、イレブンとテルは交戦態勢に入る。
「ちゃんづけやめろブス!」
「ピンクぽっちゃり、王に手ぇ出すなよ!」
リボンの隣にいるきつね顔の卯月が腕を回すとリボンは大人しくなった。いや、寧ろ変なスイッチが入って余計にうるさくなる。
「きゃっ。卯月君にエスコートされちゃう!」
卯月冬馬は細い顔で金髪の四十代半ばの男性だ。リボンと同じく和歌山県民、ソラの親父のヨット部の後輩。ライトイエローのブラウスの中に青いTシャツを着こんでいる。白のチノパン、黄色のスニーカーを履いている。
「うっす。イレブンにテルも。リボンちゃんを泣かせたら、あとでめんどくさいことになるからやめときな」
「もうひどい。卯月君ひ・ど・い! あたしは卯月君がいつまでもホストをやってるのが見てられないの」
話が噛み合わないのは日常茶飯事の二人だ。リボンは卯月君ラブらしい。今からいちゃつくのかもしれない。二人が奥に消えてからテルが抗議する。
「あいつら誘ったの誰?」
「それは、毎度のことながら俺でーす」
イレブンの親父が焼酎を入れたグラスとキャラメルポップコーン片手に、二階の操縦席から降りてきた。髪はパーマで赤い中折れ帽を被っている。四十歳にもなるが、俗に言うチャラ男で、赤いハートマークのついたTシャツを着るような変態だ。下半身のベージュのチノパンと水色のビーチサンダルがまともに見える不思議。
「勘弁して下さいよ。あいつら、バカップルなんですから。いい年した大人なのに」
「そう言うなって。花火見るときは、バカップルなんて目に入りましぇーん」
「げ、イレブンのお父さん、その組み合わせ美味しいですか?」
同級生の四島貴子が焼酎とキャラメルポップコーンを指摘する。
「君のおっぱいみたいに美味しいよ」
「もう、やだー。オジサン、本当に訴えるよ」
今のはアウトだろうとイレブンは思ったが、貴子は冗談交じりで笑っている。十七歳にはとても見えないぐらいに化粧をしている。丸顔で色白、茶髪をアイロンで、派手にカールさせている。低い鼻は残念だが、ピンクのグロスが乗った唇が笑うと、えくぼができてかわいい。女子にしては身長が高く、イレブンは負けていて少し悔しく思っている。
「へそ出してるから親父にナンパされるんじゃないか?」
貴子は夜の海の風が強いことを知っているはずなのに、へそ出しキャミソールしか着ていない。
「そう思ってズボンは長ズボンにしたし」
ブラウンのパンツにオレンジのサンダルは大人っぽさがある。
「待たせた」
ソラの父親が甲板から戻ってきた。親父が「よーう兄弟」と映画みたいにクサイことを言って捕まえ、二人は二階に消える。
「じゃ、俺らは俺らで乾杯すっか」
ソラがソファの上に靴のまま立つ。
「なんだ、靴のまま乗っていいのかよ。オレも乗る」と同級生、輪泉海音。面長で茶髪のミディアムヘアに、褐色の肌はスポーツ選手を思わせる。今日は青のカラコンを入れているので、外国人サーファー選手に見えなくもない。一五五センチと身長は低めだが。
「イレブン。何見てんだよ」
「だって、海水浴するわけじゃないのに、ビキニっておかしくね?」
マリンは黄色のビキニ姿だった。腰に水色のパレオを巻いているが、寒いだろう。
「カーディイガンはあいつに持たせてるし」
ソファの一番端にぽつねんと座っているのは、比米達彦だ。男勝りのマリンにいいように使われてしまっている。黒のカーディガンに中は白のタンクトップ。水色のチノパンにスニーカーを履いている。たぶんイケメンの部類に入るのだが、爬虫類顔なので押し黙られていると暗い印象になる。身長は高いが猫背なので、余計に暗くて場のテンションが下がってイレブンも困る。
「比米こっち来いよ」
比米は特に反応しない。
「なんだよあいつ」
中学も同じだったのは比米だけだった。二年前までは親友で通っていたのに、同じ高校に進学したら急に距離ができた。
マリンはかなりご立腹である。
「てかな、イレブン。オマエだってアロハだろ。夏満喫してんじゃねぇぞチビ男!」
イレブンはソラと同じく赤が好きなので、今日は思いっきりハメを外してやろうと思って赤のアロハシャツにベージュの海パンで来た。
「六月は夏みたいなもんじゃん」
「アホか。六月は梅雨だろ」
「お前ら乾杯するって言ったよな?」
ソラの一声は鶴の一声だ。お喋りは中断する。
「掛け声は選ばせてやるよ。なんて言う? イレブン」
「じゃあ今日は、ゴチになるっす」
「はぁ?」
ソラが否定する間もなくみんなが復唱する。各々がグラスを掲げる。
「アホか。おごりじゃねぇよ」
「もう、分かってるってー」
貴子が同じく靴のままソファで跳ねた。テルが靴のままベッドにダイブしたので、ソラが殴りに行く。ベッドは駄目らしい。イレブンも面白くなって、ベッドに足を投げ出して飛び込むと、テルとそろってげんこつされた。
クルーザーの目的地は、『臨海航空花火大会』。大阪府泉佐野市のビーチで行われるので、海上からそれを見ることになっていた。だが、みんな花火なんてどうでもいいぐらい、今が楽しかった。
「あれ、あおいとりじゃない?」
貴子が進行方向を指差した。船首寄りの部屋なので窓の外から、ほかの船が見える。奇しくも、大型フェリーあおいとりはこのクルーザーと同じ方角へ航行していた。
イレブンは隣にいる比米に、管を巻いている最中だった。
「いい子ぶりやがって。この未成年が」
「イレブンも未成年じゃないか。親父さんみたいだよ」
「あのチャラ男といっしょにすんな」
「ねえイレブン」
「なんだよ。女みたいにぼそぼそ呼ぶんじゃねぇよ」
「ソラってなんなの?」
「はぁ? 覚王ソラは頭のキレる兄貴分だぞ。何でお前怒った顔すんの?」
「僕は君に怒ってるの」
「なら今すぐこの船から降りろよ」
イレブンは比米の首根っこをつかんだが、比米の方が高身長なので甲板に連れて行くのに苦労した。
「あーあ、ヒメちゃんイレブンを怒らせたんでちゅか?」とテルが比米の尻を蹴った。比米は文句も言わずイレブンにつき従う。その従順さにもイレブンは腹が立った。
「そんなやつ放っておいて、もっと楽しいことしようぜ」とソラに止められた。理由は分からないが、もっと楽しいことがある予感がした。
イレブンの代わりにソラが比米を連行する。リボンと卯月が裸で二人きりの時を過ごしているであろう、後方の部屋に放り込む。リボンが恥じらうというよりは嬉しそうな黄色い悲鳴を上げる。それが面白くてイレブンはソラと爆笑した。
「これが、もっと楽しいこと?」
「んなわけあるか。親父を酔わすんだよ」
みんなで酒類を手に二階へ上がった。操縦席にソラの父親、その隣にイレブンの父親が座っている。イレブンの父親が一人、ソラの親父をあてに焼酎を飲んでいる。
操縦席の真後ろのソファは一階よりは狭いが、それでも、全員が余裕で座れるぐらいの幅がある。テルがリボンと卯月以外、つまり同級生だけ一階からつれてきた。
マリンがさっきまで歌っていた途中だというので、スマホのアプリでカラオケがスタートする。ソラがどさくさに紛れて、イレブンの父親に丁寧な挨拶をし、席を外させた。親父は飲むペースが早かったのか、もう顔を真っ赤にしていた。一階にふらふらと降りて行く。トイレだろうか。
それから、ソラがいきなり一気飲みのコールをかける。操縦席の自身の父親に焼酎を飲ませていた。車と同じで、船の操縦も飲酒運転の罰金があったような気がしたが、イレブンは深く考えなかった。どうせ身内だけの集まりだ。そう甘く考えていた。
ソラの親父さんは、さっきまでテルにもてあそばれていたとは思えない、いい飲みっぷりをした。ソラの親父さんもトイレに席を立つ。
ソラが空っぽの操縦席に座った。イレブンも酔いがかなり回っていたが、反射的に操縦席の隣に座った。
「スゲー、コックピットじゃん」
ソラが苦笑する。
「なに、イレブン酔ってんの?」
「酔ってねーよ。テイウカ、ソージューできんノン?」
「左上にレバーがあるだろ。これが車でいうところのクラッチ。ギアチェンジだな。で、真ん中は言うまでもなくハンドル。で、右にあるこのスロットルレバーがアクセル」
そう言うなりソラは右のスロットルレバーを奥に押し込んだ。エンジン音が大きくなり、船のスピードがぐんと上がる。誰かが後方でボトルを倒して、どっと笑いが起きる。
「コレ最高何キロ出るノン?」
「やっぱ酔ってんだろ。三十一ノットだ。時速だと約五十七キロ。あ、あおいとりに追いついて来たぜ。この辺、もう関空の近くなんじゃね?」
「うわー、あおいとりはやっぱデケーな。クルーザーヨリデケーヨ。俺あれニ乗りたい」
「豪華クルーザーに乗っといてよく言うぜ……乗ってみるか?」
「ああ。あれに追いついてトンデやっから。ソラ、ちゃんと見とけよ」
「よっしゃ任せろ」
「あおいとりノロいなー。ノレーよノレーよ」
「え? 王が操縦してんの? はえーな」
スピードの上がった船に興奮しているのはテルも同じだった。飛沫を上げる海を見ようと甲板から身を乗り出す。
あっという間にあおいとりと横づけになる。接近しすぎたのか、あおいとりが大きな警笛を鳴らした。
「面白いじゃん。ソラもっとナラシテもらえよ」
「屁みたいに言うな」
とうとうクルーザーがあおいとりを追い越した。前に躍り出る。ソラがエンジンを切り、拳を突き上げる。
「ノロノロフェリーは大阪港へ帰ってろよ」
真横から迫ってくる大型フェリーは圧巻だった。船が波を割く音がすさまじい。
一階にいたはずの比米がやってきた。
「イレブン、船長は?」
「キャプテンソラ」
比米は酷く驚いていた。
「俺の親父なら一階にいるだろ」とソラが大儀そうに言う。
「おーいおーい」とテルが嬉しそうに、迫り来るあおいとりに笑顔で手を振る。
比米が一階に走った。イレブンは比米のクソまじめな性格が嫌いになる。
「チクるぞ、アレ」
「やべっ、エンジン止まっちまった」
ソラが急に顔をしかめてそう言った。左上のレバーを切り替えるが全然駄目だ。
「え? どうしたソラ? こうイうときは……バックしろヨン」
「エンジンがかからないとバックできねぇ」
あおいとりの低く唸る警笛が、嫌な予感を運んでくる。あおいとりの外板が、操縦席から手を伸ばせば届く距離まで来ている。
「船長を連れてきた」
比米が足取りのしっかりしているソラの親父さんをつれてきた。あとからイレブンの父親が絡んでいる。
「ちょっと操縦したぐらいで衝突なんかしないっしょ。もっと飲もうよ正富ぃぃぃ」
「操縦させた俺たちも罰せられる。事故らなくてもな」
「だーいじょうぶだってぇ。あっちのフェリーだってレーダーで俺らのクルーザーが見えてるのに、避けようとしないんだから悪い」
操縦席後方で言い合う親らに、気づかないぐらいイレブンとソラは焦っていた。
「ソラ……ヤベーぞ!」
「分かってるって!」
大波にさらわれたかのようにクルーザーが揺れた。金属同士が擦れる音がする。と思ったら、ソラの操縦席が凹んだ。ソラが倒れかかってきたときには、右側の窓が弾け正面の窓ガラスも吹き飛んだ。
ソラとイレブンは横倒しになる。イレブンは、甲板から身を乗り出していたはずのテルが消えていることに気づいた。テルの安否を確かめる間もなく、鉄でできているはずのルーフ部分が、折り紙を握りつぶしたかのようくしゃくしゃになって落ちてくる。
ソラが危ない。そう思ってソラのズボンをつかんで引き寄せた。そのとき後方から悲鳴が上がる。ソファがひっくり返ったのだ。デッキ部分の床材がウエハースを割ったように裂けている。みんな一階まで落下していた。逆に一階にいた裸のリボンと卯月が恐怖に顔を引きつらせて二階を見上げた。だが、すぐに見えなくなる。あおいとりの船首が、クルーザーの船腹を真っ二つにしていく。
「あ」
いつの間にかイレブンの左手小指はなくなっていた。第三関節から引き千切れている。すぐ近くに、血のついた鋭利な鉄板がある。それが天井か、壁材かは分からないが、これで斬り落とされたのだろう。指を見つめると、今まで感じたことのない激痛に襲われた。脈打つような痛みだ。
ごうごうと音を立てて、くつろぎの空間だった船が引き裂かれる。気がつくとイレブンは海に滑り落ちていた。




