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指切りの船  作者: 影津
17/23

4-3

 大階段をイレブンと澪は駆け上がる。


 八階から灯りが一切漏れていないのは異常だった。消炭先生の部屋はアトリウムに一番近いので、スマホのライトの灯りだけでもドアの隙間からかすかに光が見えるはずだ。


 二人は先生の部屋のドアの前で足を止める。事態は深刻だ。何もなければ、部屋には消炭先生、六車、捻挫した女社長がいるはずだが、中からは話し声はおろか衣擦れの音も聞こえない。息をひそめているだけとも考えられるが。だとすると、何かまずい事態が起きたとしか考えられない。あるいはもう――。


 そっとドアを開く。施錠されておらず、すんなり開いた。イレブンと澪は懐中電灯で中を照らす。女社長が寝ていたはずのベッドに、六車が横になっている。歩けないはずの女社長、それから消炭先生が消えている。


「おい、六車! 何があった」


 反応はない。ベッドのシーツが赤く濡れそぼっている。六車の顔を照らすと、白目を剥いて死んでいた。


 澪が叫ぶのでイレブンは肩を抱いてやって、六車を見せないように丸い窓の方へ顔を向けさせた。


「ひ、ひでぇ」


 血液恐怖症ではないイレブンでも、今日何度目かの吐き気に襲われた。それでも六車の首を触って脈をみる。すでに冷たい。六車の首を押しつけたことにより、ベッドに六車の首がぐるっと回った。もうほとんど残っていないはずの血が噴き出す。


「ひい」


 イレブンは飛びのく。六車の首は皮一枚でかろうじて繋がっていただけだったのだ。脊椎を切断された六車の首は大きな口を開けたように、骨や血管の詰まった断面を見せ、胴体から剥離しかかっている。


「なんでこんなことに」


 鋭利な刃物で切られていることは確実だ。これを可能にした凶器はおそらく消防斧だ。未だその存在を目視したわけではないが、ソラの言う通り誰かが斧を隠し持っていた。


「お母さんはどこ?」


 澪が心配するのも当然だ。


「お前の親だけじゃない、先生も消えた。先生が犯人かもしれない」


 ――クソ。なんで消炭先生がこんなことを。先生はいつも俺のことを心配してくれてたんじゃなかったのか。


 イレブンはめまいを感じた。消炭先生はどこか事務的な感じのする先生であったが、それでも約一年のつき合いだ。まして、心の内側を吐露するようなカウンセリングも受けたことがある。一歩間違えば自分も少年刑務所に入っていた。


 ――いや、入っていないといけなかった。


 消炭先生はどういう気持ちで、「あなたは入る必要はなかったのよ」と訴えていたのだろう。「あなたも被害者だってことを忘れないで。事故は誰も起こしたくないもの。起きたときにどうするかだわ」「悔しかったら、ソラ君のことちょっと恨んでもいいんじゃないかな。人を憎むのって楽しいこともあるかも?」


 先生の言動に怪しさの片鱗があった。今までどうして忘れていたのだろう。自分の治療、自分のことに意識を向けすぎていて、先生がおかしいことを言っていても気づけなかった。


 黙っていると、澪が涙目で訴えてきた。


「じゃあ、早く探さないと!」


 イレブンは現実に引き戻される。消炭先生を問い詰めるのはあとでもいい。今はこれ以上犠牲者を出さないことが先決だ。


「分かった。何か武器になるものがいる。相手はたぶん斧を持ってるはずだから。ソラなら素手で戦いそうだけど」


「そういえば(かく)(おう)さんもいないの?」


「ああ、今頃かよ」


「ごめん」


 こ、こぽぽ。


「今なんか言った?」


「ごめんって」


「いや、そのあと」


 イレブンと澪は互いに不安な顔を照らし合う。それから、もう動かない六車を伏し目がちに見やる。動くわけがない。


「六車。バンド、俺もやりたかったよ」


 ――指があれば。


 閉めたはずのドアから、灯油のような臭いが入り込んで来た。気のせいかと思ったが、ドアと床のわずかな隙間から、ごぼごぼ音を立てて臭気が入ってくる。


「なんだ」


「……ここから出ようよ」


 澪がそう言い、照らした先のドアがひとりでに開き始める。


「え」


 澪は懐中電灯を持つ手を下げることもできずに固まる。


 足元に液体が流れ込んでくる。粘り気があるのか、どろどろと迫ってくる。半開きになるドア。黒い人影が俯いて立っている。いや、黒いのはおかしい。澪が照らし出しているのだから。そいつは、ぬらぬらと黒光りしている。顔はなかった。目の部分も鼻も凹凸はあるのに、眼球がなく、鼻の穴も空いていない。さながら黒いマネキン。髪は澪と同じボブヘアーだが、黒い液体を全身から滴らせている。


 油人間だ。


 一歩、油人間が部屋に踏み込んできた。イレブンは反射的に澪の傍に寄る。これがお前の遭遇した油人間かと、声が喉まで出かかった。


 澪が唇をわななかしながら、かすれた声で言う。


「お……母さ」


 イレブンの背筋に冷たいものが走った。油人間をよく見れば、衣類にところどころ白い生地が見える。元は白のタイトパンツと白のヒールだったものが油にまみれている。ユリの香りがしていたはずの女社長は、今や油の化身になってしまっていた。油人間は口が油で塞がっているので、喉の奥を鳴らしながら、こちらに手を伸ばしてくる。片足を引きずっていた。女社長で間違いない。


 イレブンは武器になるものは何かないかと部屋を見回すが、使えそうなものは何もない。薄型テレビは固定されているし、スイートルームにあるはずのスパークリングワインも見当たらない。そういえば、先生は飲んだと言っていたかもしれない。


 油人間女社長はもう目と鼻の先にいる。イレブンは白目を剥いた六車と再び目が合う。


 六車も悔しいはずだ。少なくとも先週まで引きこもって、過去を引きずっていた自分よりは、前向きに夢に向かって生きてきたはずだった。


 ――どうして、何の価値もない俺が生き残らなきゃいけないんだ。


 理由は未だに分からないが、ここを突破することだけを考える。


 懐中電灯で殴った。効果はないが、攻撃が当たったことで自信がつく。油に触れるのは嫌だが、そうも言っていられない。雄叫びを上げ、油人間を押し倒した。が、油人間は柔軟な身体なのか、大きく開脚して座り込んだだけだ。


「走るぞ!」


 澪の手を引く。油に足を取られながらも、部屋から出ることに成功した。


「離して! お母さんだって分かるでしょ!」


 通路に出たというのに澪は往生際が悪く、泣き叫ぶ。


「でも正気じゃない! もう死んでるのかも」


 澪が手を振り払おうとしたとき、鼻歌が聞こえた。油人間のものではない。この歌は。


 ぼっと辺りが真っ赤になる。油の臭気が濃くなったと同時に、熱風が二人の顔に吹きつけた。イレブンは反射的に床に顔を覆って伏せたが、澪は火の粉を被り仰向けに転倒する。ごつんと後頭部が床を打つ音。澪の呻き声と、爆ぜる炎。


 油人間は火柱を上げて燃え上がった。それを見た澪が、顔をかきむしって泣き叫ぶ。


「びいいいいいいいいいいいいいいい」


 ――しまった。澪も恐怖症があるんだった。


 イレブンは澪に覆い被さり、燃え盛る油人間を澪の視界に入らないようにしてやる。それでも、近くで発する熱に恐怖を感じて暴れるので、不謹慎だが、早く燃え尽きてくれることを祈った。


 油人間の燃焼は速かった。火刑に処された人のような様相だ。服が剥がれ落ち、炙られた皮膚が火脹れを作ってはめくれ上がり、さらに焼かれて表皮が炭になっていく。残酷なことに炎により油人間のベールが剥がれ、苦悶する女社長の素顔が現れる。


「だすげでちょうだ……び」


 そう言い残し女社長がこと切れた。今まで意識があったことに驚く。生きたまま焼かれたのかと、イレブンは戦慄し、自分はそれをただ見ていたのかと強烈な罪悪感に襲われた。


 仰向けになったまま半狂乱になっている澪に、イレブンはもう終わったと告げる。人肉の焦げる臭いが通路に充満した。


 エリーゼのためにの鼻歌がすぐ傍で聞こえた。イレブンはまさかと思って目を眇める。


 女社長の亡骸が、むくむくと膨らみ、海老反りになる。炭化した腹から腕が三本突き破ってきた。


 腹がはち切れ、頽れた女社長の亡骸から、タキシードが這いずって出てくる。


「うわああああああ」


「焼ける身体の中に入るのは、えらい窮屈なもんだな」


 澪の目を隠してやりながら、なんとか走るように説得する。


「おいおい、逃げるのか? 鼻歌だけで怖がってもらえて嬉しいよ。嫁の好きなクラッシックだ。学校で習ったか?」


「学校なんか行かねぇから!」


 イレブンは背後から迫る嘲笑に耐えながら、澪を連れて七階まで駆け降りる。


 ――なんで俺、悪魔と会話してんだ!


 さっき目が出現した通路に来る。今は見たところ異変は何もない。澪はずっと顔を伏せている。懐中電灯で照らして天井も見たが、不気味な音もしない。背後から悪魔が追ってくる気配がないのが返って不気味だ。通路の先には七階展望デッキがあるが、見晴らしがいいことだけがメリットで、デメリットは袋小路だということだ。最後に零と会ったのもあそこだ。


 何でもいいからあの悪魔から離れたかった。澪を引きつれ、展望デッキに突進する。さっき目を踏みつぶしたときに飛び散った、ゼリー状の液体も跡形残らず消えていた。


 月明りで視界が開けた。ベンチに赤いパーカー。ソラが夜空を仰いで座っている。


「よかったソラ。無事だったのか」


 ソラに駆け寄ろうとしたとき、澪が腕をきつく握ってきた。おずおずと尋ねてくる。


「あの人、本当に(かく)(おう)さん?」


 座ってもなお高い身長で、赤のパーカーを着ている人間はソラしかいない。


「疑ってんのかよ」


 イレブンは怒気を含んで澪の手を振り払う。振り払ってから、澪のまだ乾いていない目元を見て、かっとなってしまったことを後悔する。だが、退くに退けない。あれがソラでない場合のことなど考えたくなかった。というか、考えられない。ソラなしでは生きていけない。


「なあ、ソラ。ここにずっといたのか?」


 反応がない。イレブンは背筋を舐める悪寒に耐えながら近づく。お前無事か? と走ってくるのが覚王ソラだ。


 ――意識がないだけかも。


 意識がなかったらそれはそれで大問題なのだが。一歩、また一歩と近づく。確認することに怖気づいている自分の根性のなさが泣けてくる。途中から澪は立ち止まってついてこなくなった。


「俺が信じないでどうする」


 三メートルほどの距離まで近づいたことで、ソラがベンチの背もたれに背を預け、口を大きく開けていることに気づいた。目は閉じている。さながら臨終の際、最期に大きく息を吸い込み、こと切れたようないでたちだ。


 イレブンはこれ以上進めなくなる。


 右側で何かの気配を感じた。見れば、すぐ隣に細身の男の腕がだらりと垂れている。澪ではない。澪がどこにいるのか確かめたいが、隣にいる存在から目を逸らせない。水色のビーチサンダル。ベージュのチノパン。ハート柄のTシャツ。この派手なTシャツはイレブンの父親が最期の日に着ていたものだ。


「お、親父」


 俯いていて顔は見えない。髪がパーマで、赤の中折れ帽を被っているのは、亡くなった親父に間違いなかった。ふと、左側でも気配がする。太り気味の男。グレーのTシャツ、白のチノパンと同じくラフな格好をしている。四角い顔の輪郭はソラの父親だ。


 ――幻覚か? こんな幻覚は今まで見たことがない。


 ソラに助けを求めるべく、ベンチを見る。


 ソラの周りにみんなが立っていた。青白い顔で生気がない。


 四島(しじま)貴子(たかこ)卯月(うづき)(とう)()比米(ひめ)達彦(たつひこ)山鹿(やまが)リボン、三寺(みつでら)(てる)()(いずみ)海音(まりん)……。


 ――俺らが殺した。


 クルーザーの事故で亡くなった仲間。


 足元のデッキが揺らぐ。コンクリートの床が波に見える。落ちる。錯覚だと分かっていても身体が(かし)いでいく。ベンチで中心になっているソラが立ち上がった。見ればへらへら笑っている。ソラは悪ふざけをして誰かを思いきり笑い飛ばすことはあっても、あんな卑しい嘲笑はしない。ソラが鼻歌をしながら近づいてくる。足元は海になる。エリーゼのためにが、波の音と混ざる。


「みんな死んだってぇのに、なんでお前だけ生きてんたよイレブン」


 イレブンは必死に立ち泳ぎする。ソラは海上でどうやって浮いているのか。いや、こいつはソラじゃない。


 溺れそうになる。親父と、ソラの親父が不思議そうに池にいる鯉でも眺めるように覗き込んでくる。イレブンの知っているソラはどこにもいなかった。


 ――ソラがいないと俺は。


「てめええええええええ」


 ソラの声。突然、ソラがソラに殴られた。殴られた方のへらへら笑うソラはかき消えた。イレブンは足をばたつかせる。必死で海水を蹴る。月光はあまりに眩い。何が本物なのかも分からない。


 エリーゼのためにが頭の中で回り続ける。


「イレブン! しっかりしろ! ここは海じゃねぇ!」


 本物かどうか分からないソラが海上を駆け寄ってきた。


 ――もう自分だけ生きていたくないんだ。ごめんなソラ。


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