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指切りの船  作者: 影津
14/23

3-6

 六車と勝木田の部屋は、七階のW712号室だと消炭先生が教えてくれた。てっきり女社長と澪が全室チェックしたのかと思いきや、消炭先生も乗客の捜索を手伝っていたようで誰が何号室にいるのか把握していた。


 イレブンとソラは、部屋が施錠されていなかったので勝手に入った。スイートとは比べ物にならないほど狭い。入ってすぐ正面に円形の窓。窓を挟んだ両側にシングルベッドが二つ。ベッドの間は人一人立てるだけの広さだ。ソラが勝手に物色し始めたので、イレブンはソラの手元を照らすことに徹する。まるで深夜に押し入った泥棒のようなスリルがある。左右のベッドには二人の荷物がそれぞれ置かれていた。チャックの開いたリュックからは財布や下着があふれ出している。ソラが財布から車の免許証を発見した。


 勝木田勇将(かちきだゆうしょう)。二十五歳。六車は勝木田と高校時代の同級生のような話をしていたので、六車も二十五歳ぐらいだろう。散らかし放題の勝木田の荷物と違って六車のリュックはベッドの隅に置かれ、中もきちんと用途ごとに分けられていた。のど飴が二袋もあり、吸入器があった。ボーカルとして喉のケアを日ごろから行っているようだ。


「何を探すんだ。俺ら六車を探すんじゃないのか」


「六車が何者か分からねぇのに探せるかよ」


「音楽大好きって言ってたじゃん。バンドボーカルに悪人はいねぇ」


「イレブンのその持論、はっきり言って好きだわー。根拠なさそうだけど」


「ねぇよ」


「お前の先生の言ってたことだけどな。俺は一理あると思ってる」


「トラウマとか恐怖症を抱えた人間がこの船にいるのは、偶然じゃないって? ソラはなんか怖いもんある?」


「そりゃ俺だって怖いもんはいっぱいあるぜ。暴力とか」


「あれだけクラスで威張ってて、暴力恐怖症とか今さら言われても」


「でも、ほとんど俺のは威勢ばっかだから。実際に殴った奴なんてお前の悪口を言った男子とか、お前の陰口言った女には髪を切って謝罪させたりとかその程度だ。」


「髪切られた子、一週間休んでただろ」


「一週間ならまあ、登校拒否じゃないだろ」


「ひでえ」


「俺が怖いのはな、暴力って言ったけど、その中には当然痛みも入ってるだろ? 痛いのが怖いって変か?」


「そういう意味か。インフルエンザの予防接種とか痛いもんな」


「あんなもん痛かねぇよ」


「えええ」


「痛いのはこえぇけど、誰かの為なら頑張れるかもなって思ってる」


「じゃあ予防接種は痛いのに変わりがないってことじゃん。誰かのために予防接種するんじゃねぇし」


「あほだなイレブンは。予防接種は自分のためだろうが。ま、自分の為に頑張れよ」


「てかソラの怖いものの話だったんだけど」


 ソラが急に黙ったので何か考えているようだった。


「六車だけど、あいつも何かあるな」


 イレブンはすぐには答えない。それは本人の口から聞いた。事故に遭ったと。具体的な内容こそ聞いていないが、イレブンは六車に自分と同じものを見た。


「殺人鬼が俺らのトラウマを利用するって、あんまり考えたくないけど。どうやって?」


「さあな。俺らはあおいとりと女社長にも因縁ありまくりだから、いちいち気にしてらんねぇよ。六車を救いたかったら、あいつのことが分かるものをもっと探さねぇと」


 イレブンは六車と出会ったばかりだが、なんとしてでも彼を助けたい気持ちが強かった。引きこもって以来、外でできた新しい知り合いだ。いっしょにバンドをやろうと誘われて嬉しかった。


「そうだ。もしかしたらだけど。あいつも病院に行ってるかも」


 あんなに明るい六車が、自分と同じようにカウンセリングを受けているとは思えなかったが、通院歴ぐらいあるかもしれないとイレブンは睨んだ。


「薬は? 薬箱みたいなの探してみてくれよ。ポーチとかも。ない? もう部屋に置いたのか?」


 イレブンは部屋に置いた可能性を考え、備えつけの小さなデスクや洗面台を探す。


「ちょ、懐中電灯がねぇと、こっちなんもできなねぇんだけど」


「ソラ、こっちにあったから」


 洗面台のところに小さなポーチがあった。唐草模様で渋くてダサイ。問題の中身は、SSRI系の薬だった。イレブンはよく知っている。副作用が出て薬を変更してもらったばかりだ。それから、布が折りたたまれて入っている。アイマスクだ。きっちり分けて収納する六車が、どうして寝具であるアイマスクを薬と一緒に保管しているのか。


「何それアイマスク? また、見たくないものがあんのかよ」


 ソラの推測はおそらく当たっているのだろう。


「六車さんもトラウマか何かの恐怖症がある。じゃあ、また勝木田みたいに自分で目玉を抉っちゃうんじゃ」


「そこまでは分からねぇ。六車の行きそうな場所はどこか考えろ。もしくは、もうすでに襲われているとしたら、どこに逃げる?」


「六車は水上バイクに詳しい。でも水上バイクの免許が取りたかったけど、結局取ってないって言ってた」


「事故ったんだな。俺らみたいに。たぶんああいうタイプが苦しむ原因は、被害者になることじゃなくて、加害者になっちまったときだろうな」


 ――ソラは自分と重ねてるのか? なんで俺見んの?


「お前なら怖いときどこに行く? 六車が消えたときはちょうど停電の前後だ。この広い船の中で海の事故でトラウマを持ってるやつが逃げる場所は?」


「俺は……外に出たい。船の狭い通路とか、怖くね?」


「なんだよ。お前まで女社長みたいにビクビクすんな。まあ、とりあえずは決まりだ。展望デッキに出るぞ」


 イレブンは六車がまだ薬を飲んでいないといけないので、薬を何錠かズボンのポケットに入れた。

 八階の最上階展望デッキから見える海は波が高くなってきていた。心なしか、船の揺れが大きくなっている。六車はいなかったので、七階の展望デッキにも行ってみた。七階の展望デッキは船尾の方にある。


「女社長なら展望デッキなんてとっくに調べ終わってると思うけど」


「こんなに大きな船なんだぞ。どこかですれ違ってたって、分かるわけねぇ。おーい六車マジ。マジで出て来いよ」


「ソラこんなときにおっさんギャグ?」


「ちげーよ。人がいなくなって不安になってるかもしれねぇ。少しは笑わせてやらないと」


「でも、スベったら意味ないと思う」


「滑るかよ。第一、笑う観客はお前しかいねぇし」


「俺が笑ってないんだから、ソラがスベってることになると思うけど」


 イレブンは耳を澄ました。デッキの椅子のところで黒い人影が横たわっている。


「あそこに誰かいる!」


 駆け寄ると、そこで六車が仰向けになって痙攣を起こしていた。


「六車さんしっかりしろ! 今日の薬は飲んだか?」


 六車は黒目が意識せずに、瞼の裏側へ向かって上がっていくような状態だった。こちらの声も聞こえているのか分からない。


「イレブン、いいから飲ませろ」


「多く飲ませたら副作用が出るかもしれない」


「そんなもんは後で対処すりゃいい」


 イレブンは仕方なく、六車の部屋から取ってきた薬を二錠飲ませた。水がないので、吐き出されたので、口に手を突っ込んで無理やり飲ませた。


「すぐ効くような薬じゃないから、運ぼう」


 痙攣する六車をソラと二人で担ぐ。が、重い。華奢な身体の六車だが、まるでソラが力を入れていないような錯覚に陥る。


「なあ、ソラ。もっと腰入れろよ。お前引っ越し業者だったんだろ」


「あれはバイトだ。事故ってからクビだぜ?」


「ふざけんなよ」


「悪りぃ。ほら俺って夜型だから徐々に元気になってきたんだぜ。おーし、やってやる! ぬああああああああ」


 ソラが六車を一人で持ち上げ、肩に担いだ。


「じゃあ消炭先生の部屋に連れて行こう」


「任せとけ」


 ソラが走り出す勢いだったので、イレブンは出遅れた。


 デッキにぺたぺたという足音が響いた。


「え?」


 今の何とソラに聞く間もなくソラは船内に戻ってしまった。


 展望デッキにはほかに誰もいないはずだ。もう一度よく目を凝らす。やはり何もない。


 船内に戻ると、扉の開口部のすぐ横に、髪の長い少年が佇んでいた。イレブンは片足を船内に入れた状態で固まってしまう。いっそ叫んでしまえれば良かったのに、髪の長い少年がその焼けただれた腕を伸ばしてきた。


 青のブラウスの袖が、火膨れとあふれ出ているリンパ液とで接着されて、肌に食い込んでいる。そのせいで、腕が伸びてくるたびに、衣擦れの音と火傷した皮膚の裂けるような音が鳴る。


 イレブンは薬をちゃんと飲んだか反芻した。


「飲んだ。ちゃんと飲んだ」


 小声でぼそぼそ呟くと、急に少年が視線を外したのが分かった。イレブンは逆に少年が向いた方向を追うようにして見る。


 船内の通路の向こうに別の人影が見える。髪の長い少年はイレブンに向けていた腕を、遠くに見える人影に向けた。イレブンは直感で、髪の長い少年と同様の、あるいはもっと邪悪な存在を感じ取った。灯りはイレブンの持っている懐中電灯だけだ。向こうの人影をはっきりと見ようと思えば照らし出すしかない。恐る恐るイレブンは懐中電灯の照準を人影に合わせる。


 ぶるぶると小刻みに震える人影の足。革靴を履いている。何故かタキシードで、だらりと垂れ下がった手にはバールを握っている。いや。長袖から出ている手の数がおかしい。三本もある。左手一本、右手が肘のところで別れて二本になっている。それに、タキシードの中に着るブラウスの色も変だ。藻か、海藻が絡まっているのか、緑に変色している。なんとなく磯の香がしてきた。鼻歌も聞こえる。エリーゼのためにだ。その鼻歌の主が低く呻くような声を発した。


「そんなガキの言うことなんて聞いちゃいけねぇよ。クソガキが。なんだって、そんな怖い顔して俺を指差すんだ?」


 バールを引きずるギギギという金属音。左手でイレブンをおいでおいでした。青黒く変色した指に、結婚指輪らしきものが光って見える。


 イレブンの懐中電灯を持つ手が震える。話せるのなら、人間のはずだという希望を僅かに持って、タキシードの顔にライトを当てる。


 顔が半分ない男だった。青白い顔で、左半分がないため、剥き出しの歯茎から舌が飛び出たり、右側に収まったりしている。黒髪のオールバックも右半分だけ決まっている。頭蓋骨や鼻骨、頬骨や顎が丸見えなのに、痛みもなく普通に話せるのが異常だった。


 イレブンが硬直した足を展望デッキに引き戻すのに時間はかからなかった。だが、この通路からしか七階の船内に戻れない。


 展望デッキの椅子のところまで後退したイレブン。突然隣に人の気配を感じる。髪の長い少年だ。今のは瞬間移動なのか。「いやいやいや」イレブンは全部否定したかった。


「ききき、君、君は、れ、れ、霊?」


「零」


 髪の長い少年はそう名乗った。


「レレレ、レイ。た、頼む。今すぐ消えてくれ。幻だって言ってくれ。俺は幽霊なんていないって思ってる。これからもそう思いたい。でも、幻覚もだめだ。俺、今、事故のことで手一杯なんだよ。これ以上、無理なんだよ」


 鼻歌が近づいてくる。海の波の音に負けないぐらいの音量で。


「なんであいつ歌ってんの? こっち来んな! あいつは何!」


 イレブンはもう霊でもなんでもいいから助けを求めた。


「悪魔」


 髪の長い少年が一言、俯き加減で応える。


「はぁ? ふざけんな」


 少年の長い前髪から黒い目が睨んでくる。


「あ、あ、あくまね。な、納得……。いや、無理。納得できるか」


 ――悪魔なんていてたまるか! そうか。バールだ。あいつが殺人鬼だ。って、あいつが殺人鬼なら、勝てるわけないじゃん。悪魔は信じないけど、あれは人間じゃない!


 バールを引きずる音も、鼻歌も止まった。


「どうなってる?」


 振り向けば隣にいたレイとやらもいない。


 大波で船体が揺れた。イレブンはデッキでたたらを踏む。


 何事もなかったかのように、波の音だけが聞こえた。


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