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バグズ・ノート  作者: 御山 良歩
第四章 最古の恐怖
73/79

六十二話 終幕

 ―――頭が冴える。


 瞳に写りこんだ情報が、脳へと送られ思考を要求する。

 視界は、魔神の頃とは比べ物にならないほどに広がっている。

 嗅覚も聴覚も触覚も、味覚を除いた全ての感覚器官が、まるで魔神の頃が赤ん坊であったように感じられるほど高性能になっている。

 破滅神としての感覚器官は、周囲にある全ての情報を無作為に貪る。

 しかし混乱はない。【高速思考】などの数々のスキルが消えようと、破滅神としての素の能力がそれら全てを十分すぎるほどにカバーする。

 遥か先にいる虫の息吹、米粒よりも小さく見える人影、混在した血の臭い、全ての詳細な情報がなだれ込むように脳へと押し寄せるが、一瞬にしてそれらは整理され記憶の棚へと収納された。


 ―――全て把握した。


 言葉として口から出そうとするが、何故か出せない。 

 自分が今までどうやって喋っていたのかも、どうやって自らの意思を表してきたかも、さっぱり脳から消え去っていた。 

 どうやら、これがもう一人の俺がいった副作用と言うものなのだろう。

 なるほど、確かに不便ではある。


『ヒヒヒ、気ヲツケロヨ【俺様】。相手ハ生粋ノ【星殺シ】兼【神殺シ】ダ。触れた瞬間粉々ダゼ』


 頭の中に、雑音がかったダミ声が響いた。

 声の言うとおり、先ほど巨人の足を殴りつけた尾を見れば大量の罅が刻み込まれていた。

 いつの間にか出現していた、首元を公転する拳も尾と同じように罅が入っている。

 殴りつけた巨人を見ても、最後に見た時よりもその姿は遥かに巨大化していた。

 世界中の絶望を吸い上げ存在進化を完了したのだろう、重圧感が今までの比でないほどに増大している。 

 俺は黒き恒星を司る破壊神。そして相手は、星を破壊するために生まれた神殺し。

 なるほど、分は悪い。圧倒的なまでに。

 だが―――絶望はない。恐怖も無い。

 崩壊寸前の尾と拳から煙が昇り、罅が溶けるように修復されていく。

 この程度の傷ならば、掠り傷以下と同じである。

 

『ヒヒヒ、ヒハハハハハハ!本能ニハ随分苦シメラレタガ、トンダ贈リ物ヲ残シテクレタミタイダゼ【俺様】ヨ!』


 ダミ声がそういった瞬間、体の奥底から何かが燃え盛るように熱くなった。

 それだけではない、いつの間にか背に浮かんでいた歯車が火花を撒き散らすほどの勢いで、左に高速回転し始める。

 この歯車は・・・おそらく、【創盤《漆黒恒世創造図》】であろう。

 歯車自体にもその名を表すかのように、大量の幾何学的な模様と抽象化された太陽の刻印が刻み込まれている。

 新たに転生した体をじっくりと観察していると、上から覆いかぶさるように影と殺気が襲い掛かった。

 地面を軽く叩き、斜め横に飛ぶ。

 あくまで軽く叩いたつもりではあった。しかし、それだけで大気圏の限界近くまで飛び上がってしまった。速さについていけなかった巨人が、未だ暢気に下を眺めているのが良く見える。

 この体は、以前と比べて随分と性能が上がっているみたいだと改めて実感した。


『オット、気ヲツケタホウガイイゼ。今ノ【俺様】ハ空二浮カブ漆黒恒星カラ膨大ナエネルギーガ常時供給サレテイル状態ダ。本当ナラコンナニ大盤振ル舞イスルコトハデキネエンダガ、本能ノヤツガ大量二タメコンデクレテオイタオカゲデ有リ余ッマッテイル状態ダ』


 愉快痛快と言わんばかりのウキウキした感じで、ダミ声が告げる。

 俺の体を支配していた本能は、本質は無限の飢餓だ。

 そのため、溜め込むということはできてもそれを使うなどといったことは考えられなかったのだろう。

 だが・・・好都合であることに変わりは無い。

 

『イッチョ派手ニ行クカイ【俺様】ヨ。火加減ハドレグライガイイ?』


 ―――決まっている。この身が燃え尽きるまでだ。


『ヒヒヒヒヒヒハハハハハハハハハハハハ!!!ソノ言葉ヲ待ッテイタ!』


 【黒色恒星暴縮炉メルトダウナー・ブラック】。

 そうダミ声が叫んだ瞬間―――黒き恒星が一気に収縮を開始する。

 風船が萎むように縮小する黒き恒星、そして巨大な黒き柱のような光が歯車に向けて落ちる。

 胸の中で猛烈な熱が生まれる。まるでそこにもう一つの太陽が生まれたように。


 ―――頭が冴える。


 再び同じ言葉を頭の中で反芻する。

 何故かと言われれば、答えることはできない。だが、そうしたかったのは確かである。

 そうとしかいえなかったとも、言うかもしれないが。


『ヒハハハハハハハハハハ!!!イクゼ【俺様】ヨオ!チッポケナムシケラガドレホド恐ロシイカ巨人二見セツケテヤロウゼ!』


 ―――ああ、確かにそれはいいかもしれないな。


 ダミ声に返答したところで、俺は思い出した。

 先ほど見た限り、ベルゼは重傷だったはずだ。

 今から起きることを考えれば、ベルゼの離脱はかなりの痛手である。

 ならば、補充するしかない。

 どこから?

 この世界を守るならば・・・


 ―――この世界の者にもやってもらおうじゃないか。


 ―――『洒落た酒場に洒落頭(しゃれこうべ)一つ、割れたグラスを片手に回す』


『ヒヒヒ!『今日限りの宴である。さあ、無様で滑稽な死に乾杯!』』


 カンッ!とグラスを打ち合わせる音が空に響き渡った。



 

          *




 三人の王は、己の得物を持ちて大地を駆ける。

 森の国の王は宝石で彩られた杖を掲げ、魔術を発動し前方の怪物を蹴散らす。

 龍の国の王は背丈を超える巨大な剣を振り回し、魔術で死ななかった怪物を切り刻む。

 そして、最後に人の国の王が盾を構え、剣を構える。

 殲滅力では、森の国の王―――セレスが一番であった。

 攻撃力では、龍の国の王―――ルフが一番であった。

 ならば、人の国の王は?


「ふんっ!」


 怪物が繰り出す巨腕を、人の国の王―――エクスが紅蓮のタワーシールドで横から押し込み、逸らす。

 ガリガリと怪物の爪がカイトシールドと擦れ火花を散らすが、エクスは一切気にすることなく隙だらけの怪物の腹に剣を突き刺した。

 怪物の体躯と比べれば、それは蚊に刺された程度のものであっただろう。


 しかし、怪物は腹に風穴を開けて、一瞬にして絶命した。


 何故死んだのかわからないといった表情で、怪物は崩れ落ちる。

 エクスは倒れる死骸を避け、次の獲物へと向かう。


「なるほど・・・それが初代グラシリア国王が創り出した秘剣か、エクス王!」


 初代グラシリア国王。

 今のグラシリアという国を創り上げた、世界で最も偉大な名君の一人である。

 彼が残した名言は、『国王たるもの民を守る盾であり、敵を屠る剣であれ』であった。

 そして、その名言を表すのが王家にて王を継ぐものに代々継承される・・・いや、継承できたものが王となれる必滅の後手―――【後手決殺】である。

 形は問わない。剣一本であろうと、槍であろうと、例え盾だけであろうと構わないと言う【後手決殺】は武術としては完成形に近いスキルである。

 効果は、『受けた敵の力をそのまま自らの力に上乗せして返す』、この世界では弱き種のひとつである人間が開発した、弱者の牙。

 相手が強ければ強いほど、このスキルはより強大なものとなる。まさに、秘剣の名に相応しいものである。

 人の国の王が最も優れているのは、他とは違う必殺力であった。  


「正確には奥義であるがな!あまり見るでないぞセレス殿!これでも最高国家機密だ!」


「ハハハハハハハ!今更そんなものを気にしている暇があるか!戯言はこの戦いが終わってからだ!それに、今お前らに見せている杖も国宝の一つだぞ!ケチケチ言うでないわ!」


 互いに叫びあいながらもセレスは次の魔術を構成し、エクスは再びタワーシールドを構える。 

 三人の王の進撃は止まるという言葉を知らず、次々と怪物達を切り裂いていく。

 しかし進撃と言っても、目には見えないある線より前に出ることは出来なかった。

 三人の王の後ろには、魔神の威圧に耐え切ることの出来なかった多くの兵が倒れている。 

 覚醒し始めているものもいるが、未だ倒れているもの方が圧倒的に多い。 

 よって、彼らは前に進むわけにも、後ろに引くわけにも行かなかった。  

 消しゴムで消すように怪物の群れを削り取っていく王達だが、彼らは残念なことに化け物に非ず、正しく生物であった。

 元々の体力が化け物じみているルフを除いて、セレスとエクスの動きが徐々に鈍くなっている。

 セレスの種族はエルフ、魔術関係には突出して長けているが他と比べると体力が劣る。無論、その欠点を補うべく様々な対策は講じているが、それでも生来の欠点というのは完全に消すのは難しい。

 エクスも、【後手決殺】は最強のスキル。しかしこのスキルは、巨軍を率いて雑魚を押さえ込み、敵の大将と一騎打ちをする時に真価を発揮するのだ。

 一対一ならともかく、多対一など想定されているはずも無い。

 歴史上でも例を見ないほどの連続使用で、体力も切れかけていた。

 それでも尚、死力を振り絞り、セレスは杖を掲げ、エクスは剣を取る。

 自らの背には、多くの命を背負っていると。

 だが・・・


「エクス王!退け!巨大な蜘蛛が来るぞ!」


 限界は訪れた。

 盾を構えていたエクスの丁度真上から、真っ白な液体が降り注いだ。

 直前で気がついたエクスは盾を上へ構えその液体から逃れようとするが、盾は体全体をカバーできるほど広くは無く、また液体もサラサラとしているため盾を伝い零れ落ちた液体がエクスの体を濡らす。

 エクスの足元にまで到達した液体は直ぐに乾燥し、粘つくゴムのような物質へと変化した。

 顔を上げれば、異常なまでに長い脚をもつ蜘蛛がこちらを見ていた。

 液体の正体は、姿から見る限り蜘蛛の糸であろう。

 固まった糸を剣で切り裂こうとするが、剣ごと糸に固められてしまったため上手く動かすことが出来ない。

 そうしている間に、脚長蜘蛛は長大な足で踏み鳴らしながらこちらへと向かってくる。

 魔道具も、剣も使えない。盾も糸で固まっている。

 逃れる術は・・・


「・・・ふん、あまり良き人生とは言えなかったな」


 ―――ない。

 せめてもの報いに全身に力を篭め、全力で盾へと力を篭める。

 あの蜘蛛が踏み潰そうとした瞬間、盾で押し返し【後手決殺】で一撃を加える。

 脚だけが異常に長いあの体型からして、耐久力は高そうには見えない。恐らく、一撃で殺せる。

 エクスの元まで到達した蜘蛛は、脚を曲げ、エクスの頭の上から潰すように振り下ろした。

 

「くっ・・・があああああああああああああああ!!!」


 予想はしていたが、蜘蛛の一撃は重かった。【後手決殺】を発動する余裕も無い。

 そもそも、人の身で耐え切ることが異常であったが、それでもエクスは耐え切った。

 しかし、無常にもバキッと音を立て、盾が真っ二つに割れてしまった。

 元々酷使し続けていたのがここに来て不幸を呼んだ。

 最高の鍛冶師に作らせた、不壊とまで言われた神金鋼製のタワーシールドであったが、どうやら寿命が存在したようだとエクスは驚き笑った。

 蜘蛛がもう一度脚を振り上げるのが見える。

 素手で防ぐのは無理だ。頼みの綱の【後手決殺】は、慣れ親しんだ武器でなければ使えない。

 

「さらばだセレス殿、ルフ殿!一足早く天の彼方へと行ってくる!宴の準備をして待っているぞ!」


 エクスは不適に笑い、篭手を脱ぎ捨て拳を構える。

 これが、グラシリア国王としての最後の一撃。龍神と同じ場所へといけるならば本望。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 雄たけびを上げ、再び全身に力を篭める。

 もはや無駄な足掻きであろう。しかし、エクス王はやめない。

 彼はこの絶望的状況下であっても、諦めてはいなかった。

 振り下ろされる黒き鉄槌。

 エクスは拳を引き、鉄槌と無力な拳が衝突する―――前に何者かがそれを止めた。

 エクスの拳と蜘蛛の脚が接触する瞬間、白い人影がそれを割り込んだのだ。

 細い白い腕には、小さな小さな、果実を剝くような小さなナイフが握られている。

 人影は小さなナイフを蜘蛛の脚に少しだけ触れさせ、器用に空中で一回転しもう一度蜘蛛の脚を切りつけた。


 次の瞬間、蜘蛛は脚の部分から真っ二つになり絶命した。

 

 目の前で崩れ落ちていく蜘蛛の死体に呆然とするエクスの前に、白き人影が降り立つ。

 白き人影は、何も着ていなかった。

 しかし、それを羞恥することはないだろう。

 何故なら、人影には皮も肉もないのだから。

 そう、目の前に立つ人影は・・・白い骨のみで構成されていた。


「・・・『白骨兵士(スケルトンソルジャー)』?」


 もっともありふれた不死種の名前を口にするエクスであるが、直ぐにそれはないと捨てた。

 『白骨兵士(スケルトンソルジャー)』自体は珍しいものではない。特にこの亡霊平原は不死種が生まれやすいのだから。

 しかし、『白骨兵士(スケルトンソルジャー)』ならば生前身に着けていた鎧か服を着ているはずである。だが、目の前にいる骨人はナイフ以外何も身につけていない。

 それに今は黒き巨星が頭の上に浮かぶとはいえまだ日が昇っている時間、上位の不死種でないこの骨人が生きているはずが無い。

 警戒するエクスだが、骨人は肩を竦めるように動かし、近くに落ちていた怪物の甲殻を引き剥がてナイフで何かを刻み込み、こちらへと投げ渡した。

 疑問一杯でも素直にそれを受け取り見ると、甲殻にはエクスのよく知る言葉が書かれていた。


『よくやった、今を生きる後継者よ。我が意思を継いでくれたものが残っていたとはうれしい限りだ』


 エクスは思い出した。

 先ほどの、蜘蛛を切り裂いた一撃。

 あれはまさしく、グラシリア王家に伝わる【後手決殺】。

 まさか先代様かと口にしかけて、思わず閉口する。

 先代が得意とした獲物は槍である。あのような小さなナイフではない。

 嫌と言うほど読み込んだ歴史書を頭の中で開き、記述を探り・・・見つけた。

 グラシリア王国史にて、唯一大型の武器ではなく小型ナイフのみで【後手決殺】を使用した者を。

 いや、正確には【後手決殺】開発(・・)した御方を。


「・・・初代様・・・なのですか?初代グラシリア国王・・・なのですか?」


 思わず声が震える。  

 骨人は、カタカタと顎を鳴らし真っ白な親指を立てる。

 エクスは気がついた。

 三人しかいなかった戦場に、人影が増えていることを。

 唸り声を上げる狼の頭を持つ骨人、怪物の牙をへし折り剣に見立てて握りを確かめる骨人、真っ黒なローブを頭から被った骨人、ずんぐりとした腕が妙に太い小さな骨人、中には龍の頭を持つ骨人も存在していた。

 ぼんやりと眺めていれば、生前の姿が重なるように見える。

 決して弱者足りえぬ、強者の姿を。

 初代グラシリア国王は、再び甲殻に文字を刻みエクスへと差し出す。


『いくぞ、新時代の申し子よ。未練がましく残り続ける亡霊だが、剣を取ることぐらいはできようぞ。我が残したものを、汝の背負うものを守り通せ。役目を果たすのだ、王よ』


 甲殻には、そう刻み込まれて、目の前には細く純白の手が差し出されていた。

 いつの間にか溢れていた涙を拭い、差し出された手を取る。

 歴史を学べば必ずと言っていいほど出てくる初代グラシリア国王から呼ばれた、王の一文字はそこまでエクスを感涙させた。

 認められたのだ。偉大な王の一角として。

 いつの間にか、ガチガチに固まっていたはずの糸は罅割れており、力を加えれば容易く割れて砂のような物質へと変化し、崩れて空中へ消えていく。

 

「やれやれ・・・とんでもないことになったものだな」


 疲れ切った声でそう呟いたのはセレスだ。杖が光っているのを見ると、糸をどうにかしたのもセレスのようである。

 セレスの後ろには、硬い表情のルフも立っている。


「セレス殿の仕業ではないのか?」


「冗談だと受け取っておこう。こんな馬鹿げた規模の術が使えるか。ただの死霊術ではなく、生前の意識、技術、知識、力全てをただの骨に宿らせて操るなど・・・いや、意識はあるのだから操ってはいないか。そして更に付け加えるならば復活したのは全て英傑、英雄、勇者と呼ばれし者ばかり・・・名づけるなら【英雄転生】か?このような術を使えるとすれば・・・神のみだろうな」


「なるほど、魔神しかいないか・・・ふっ、粋なことをしてくれる」


 崩れていく糸の塊から剣を掘り出し、肩に担ぐ。

 先ほどまで鉛のように重かった体が嘘のように軽い。

 これ以上、初代を前にして無様な真似を見せるわけにはいかない。

 釈明は何をもってなすべきか?決まっている。


「さあ、いくぞセレス殿。古き英雄に我らの力を見せ付けてやろうではないか」


「やれやれ・・・魔力が心もとないなどと言うわけにもいかないか」


「・・・・・・成すべきことは一つのみである」


 ―――行動をもってしか、ないだろう。

 古き英雄たちも何も語らない。

 彼らもまた、自らが愛した世界を守るため武器を取り、覚悟を決める。

 

 時間の壁すら超えた結束が、生まれた瞬間であった。 

 これより行われるのは、真の意味での世界決戦。

 世界が今まで積み上げてきた数百年の歴史と、何千年もの歴史を超えて蘇った巨人との戦いである。



 

          *



 

 破滅神と巨人との戦いは、実に野蛮なものであった。

 技術もへったくれもない、ただの殴り合い。

 ただ不可思議に思うとすれば、それが拮抗していることだろう。

 巨人の指先ほども無い蟲が、その体躯よりも遥かに小さな拳で巨人で殴り合っているのだから。

 常識的に考えても物理的に考えても、全くもってありえない事態。

 しかし、蟲が背負うのは一つの恒星。

 蟲は恒星と同じ存在と言ってもいい。つまり、空に浮かぶ巨星と同じ質量を持っているのだ。

 そして、その質量は全て小さな蟲の形に圧縮されているのだ。密度など計算するのが馬鹿らしい値であろう。


 迫り来る巨人の拳を、蟲は降下しながら、拳を連続でぶつけ相殺する。

 もちろん無事ではすまない、巨人が持つスキルにより拳はボロボロになって返ってくる。

 だがそれも数瞬のこと、瞬きの間に再生が完了する。

 

 一見すれば蟲が本能のみで動いていた頃と変わりは無い。

 しかし、変化は起きていた。

 蟲の拳の損傷具合が、殴りあうたびに軽減されていくのだ。


『我ラガ蟲ノ長所ハ生存能力ニアル。一度デモ受ケタ攻撃ハ直グニ学習サレ進化ガ開始サレル・・・【不滅の陽蟲鎧】ノ一ツダ。イツモ同ジ手ガ通ジルト思ウナヨ?巨人ヨオ』


 ダミ声が言うとおり、蟲の拳はついに破壊されることも無くなった。

 黒曜石のような美しき光沢を持った拳で、蟲は一気に連打を開始する。

 先ほどまでの殴り合いは、学習と進化が完了するまでの時間稼ぎ。

 既に拳が破壊されることの無いとわかった以上、自分の身を守るために拳を展開させる必要も無い。


 音速を超えた、ガトリングのような速度で連撃が繰り出される。

 一つ一つが、隕石すら超えた質量を持つ物体の衝突。

 たまらないと言うように巨人は一歩一歩後ずさっていく。

 

『ヨシ、ソノママ押エツケテオキナ』


 ―――了解だ。


 返答しながらも、手を緩めるようなことは決してしない。

 顔を庇うため腕をクロスさせる巨人へ、一切躊躇することなく拳を叩き込む。

 が、破滅神として直感が違和感を感知した。

 魔力が揺れる動き。

 その瞬間、巨人の姿が目の前から消えた。  

 何故消えたか?その理由も、破滅神としての感覚器官が結論づけていた。 

   

『ヒハ、ヒハハハハハハハハ―――ギャハハハハハハハハハ!!!ヤベェ!マサカアノ図体デ転移魔術トカ・・・ブハッ!ヒハハハハ!!!笑イガ止マンネエヨ!!!』


 ―――黙ってろ


 頭の中で不愉快なほど笑い声を上げるダミ声を軽く流し、巨人の姿を探す。

 聴覚視覚嗅覚全てをフルで使用し感知を始めると、一瞬で巨人の姿を発見した。使うまでも無かった。

 巨人は、蟲の遥か頭上に転移していたのだから。

 目を凝らせば、その右腕に黄緑色の光燐が纏わりついているが見える。

 あのスキルだ。己を殺した、星を破壊する一撃。


 巨体を捻り、拳を引く巨人を前に俺は・・・笑った。

 恐怖で狂ったわけではない。

 あまりにも、自分の予定通りに物事が進みすぎて恐怖を感じているぐらいである。

 布石は打っておいた。

 わざわざ、徐々に空から落ちておいたのもこのため。


 ―――いくぞ。


『オウヨ』


 短く交わされる言葉、しかしそれには全ての意思が篭められていた。

 五本の尾を等間隔に広げ、空間を突き破り固定する。

 それだけではない。首元を公転する拳も動きを止め、周囲の空間に突き刺さる。

 拳が公転する時になぞっていた光輪も、その厚みを増し、首を完全に固定する。

 準備は完了した。


 ―――発動準備。


『【黒色恒星暴縮炉メルトダウナー・ブラック】―――反転稼動開始』


 空に浮かぶ漆黒の球体が一気に縮小を開始する。

 【黒色恒星暴縮炉】を最初に稼動させた時とは比にならないほどの縮小速度、このまま縮小すれば球体は一分もすれば消滅しかねないほどの速度である。

 球体が俺と繋がっている以上、球体の質量が減れば俺の質量も減少していく。

 つまり、俺の力も落ちるということだ。

 だがいい、ただ単純に消えているだけではないのだから。

 【黒色恒星暴縮炉】の効果は、俺が捕食したものを一旦熱量に分解して、その熱量から恒星を作り上げるスキル。

 ならば、それを全開で反転稼動させた場合どうなるだろうか?


 簡単な話だ。―――恒星へと取り込まれた熱量が再び口に収縮される、だ。 


 俺の口元に、漆黒の球体が現れた。

 直径は天に浮かぶ恒星からすれば米粒よりも小さな球体であろう。

 だが、漆黒の球体には、恒星を構成していたもの全てと等しき熱量を持っていた。

 あの巨大な恒星の質量全てが熱量へと変換され、小さな球体へと圧縮されているのだ。

 その熱量はあえて値するならば、天文単位としか答えるしかないだろう。


 この一撃は、俺が出せる最高火力。

 故に、使えなかったのだ。回避される危険がある地上では、地上へと影響を与える懸念があったため。

 しかし、巨人は空へと跳んだ。

 翼など無い以上、巨人が空を自由に駆けることは出来ない。そして、空ならば地上への影響も最低限ですむ。

 故に誘ったのだ。天空より落ちることで威力を上昇させる星殺しの一撃を。

 

『発動準備完了・・・ヒハハハハハハハ!!!教エテヤレ、一ツノ宇宙系ヲ背負ウ神ノ恐ロシサヲ!』


 ―――地べたに這いずる蟲のしぶとさを!


 巨人の落下まで後数瞬、俺は球体を解放した。 





 ―――【超銀河の蒸発(スーパーノヴァ)





 宇宙創造と同じ光が世界を満たす。

 新しき創造のため、全てを滅ぼす創造のための破壊の光。

 色など無い。

 あえて語るとすれば、それは【黒】であっただろう。

 見たもの全ての眼球を焼くため残る色、弱者は視認することすら許されない絶対色。

 光は空気を焼き、空間を焼き、巨人を焼き滅ぼす。

 影など残りはしない。真なる破滅の光である。  


 数秒か十数秒間か、それを放った後、気絶するような眠気が襲い掛かった。

 空間に刺し固定してあった尾が抜け、拳も外れ大地へと墜落した。

 墜落を止めることもできなかった。全くもって体に力が入らないのだ。

 

『マア、ソウナルワナ』


 ―――どういうことだ?


『アレダヨ・・・無重力空間二シバラクイルト、重力ノアル場所デ立テナクナルテ言ウダロ?ソレト同ジサ。膨大ナエネルギー供給ガ途切レタセイデ、強化ガキレタ。力ガハイラネエンハズダロウナ』


 ―――・・・まあ、しょうがないだろう。恒星も一部だけ残して全て使い切ったのだからな。巨人も流石にあれを受けて生きていられるとは・・・


『トコロガドッコイ、ウマクイカナイノガオ約束ッテモンダ』


 ―――・・・なに?


 ダミ声が言ったことに対する答えは、直ぐに現れた。

 巨大な影が、目の前に落ちた。

 あのサイズからして、巨人であることには間違いない。

 しかし・・・


 ―――何故生きている!?


 巨人は生きていた。

 右腕は完全に肩まで消滅し、右半身も真っ黒に焦げている。

 頬も焼け落ち、眼窩にかけて露出した歯と骨が生々しい。

 だが、それでも巨人は生きていた。

 片目と片腕を失くし半身が焼け落ちようと、心臓を拍動させ肺を膨らませ、未だ戦意の炎を消すことなく灯し続けている。

 

『流石トデモイウベキカ、化ケ物ト罵ルベキカ・・・原初世界ノ魔物ハ桁違イダナ。宇宙創造ト同ジ熱量ヲ浴ビテアノ程度カ。コリャ神々モ警戒スルワナ。マア、【俺様】ミタイナ産マレタバッカノヒヨッコガココマデ消耗出来レバ上出来カモシレンガナ』


 ―――冷静に解説してる場合じゃないだろ!


『ソウハイッテモ、【俺様】ニデキルコトナンザモウ無イゼ?』


 返す言葉が無い。

 今の俺は全エネルギーを消耗してしまったため、体を動かすことすらままならない状況だ。

 それに、エネルギー不足で今にも意識が落ちそうである。

 飢餓が、本能が俺の危機に反応して目覚めかけているのだ。

 ここで本能を目覚めさせてしまえば、今までの皆の苦労が全て無駄になりかねない。

 それだけはいけない。しかし、本能を抑えるのに集中すれば巨人に対応することができない。

 まさに、前門の狼後門の虎であった。


 巨人はふらつきながらも大地をしっかりと踏みしめ、飛んだ。

 両足には、星殺しを発動している証拠である黄緑色の光燐が纏わりついている。

 やばい。巨人の通常の攻撃までなら対処できるが、星殺しにはまだ適応できていない。

 あれを食らえば潰されて死ぬか・・・最悪本能が復活しかねない。

  

 ―――くそっ・・・このままじゃ・・・!

 

 焦る俺だが、何も出来ない。

 まさか・・・こんなところまで到達しても、まだ負けるのか・・・!!!

  

『イイヤ【俺様】ヨ。俺達ノ勝利ダ』



 その瞬間―――世界が反転した。



 大地と空が入れ替わるように動き、地平線が混ざり合う。

 地面を突き破り、白銀の塔が現れる。

 黒くこげた大地が砂のように砕けて空へと舞い上がり、その下からまっさらな大理石の大地が現れる。

 ここは・・・まさか・・・



「天岩屋戸ぉ!」


「拒+絶+反+壁×盾!」



 聞き覚えのある声と共に、目の前に岩でできた扉とその上から多量の文字列で構成された壁が出現した。

 巨人はそれを避けることもせず、黄緑色の光燐を宿した両足が突き刺さる。

 ドーン!という音と共に岩の扉に亀裂がはしり、文字列が吹き飛んだ。

 岩の扉は崩壊寸前である、しかし巨人の会心の一撃を防ぎきった。

 

「おいおいおい!引き篭もり宿に罅が入ったぞ!流石だ!」


「感心してるんじゃないさね魔術キチ!あとで直すさね!」


「自分で直せ!」


 聞きなれた怒鳴り声の応酬。

 大理石の床、白銀の塔。

 そうだ・・・ここは・・・!


「おう、待たせたな新入り(ニュービー)。久しぶりの作業にてこずっちまった」


 眼帯をつけた、派手な槍を持った白髪の男が目の前に降りる。

 切れ長のつり目、花魁のような派手な服を少女が舞い降りる。


 ―――オーディン!アマテラス!

  

 名を呼んだつもりであったが、残念ながら声にはならなかった。

 言葉を使えないと言うことを忘れていた。


「ほうほう・・・中々めんどいことになってんな」


 しかし、ある程度察したのかオーディンは一人頷く。

 オーディンがここにいるということは、神界の件は終わったのだろう。

 そして、俺の仕事も。


「後は任せるさね―――ロキ坊!出番さね!」


「はいはい!やればいいんだろ!神使いが荒いんだよ婆!」


 空中を歩く、少年のように高い声を発するピエロがやけくそ気味に腰につけたものを持ち上げる。

 ピエロが持っていたもの、それは捩れ曲がったピエロの半身ほどの大きさをもつ角笛。

 ピエロはその角笛を軽々と持ち上げ―――ブオーンっと低い音を鳴り散らす。

 

「始まりの合図だお前ら!退屈はしまいだ!相手は火達磨(スルト)を超える怪物だ!不足はねえ!」


 オーディンは槍をくるりと一回転させ、叫ぶ。

 いつの間にかオーディンの衣装はいつものようにシャツにジーパンではなく、古びた鎧に焼け焦げたマントとなっていた。

 擦り切れてボロボロであるはずのに、威圧感は恐ろしいほどだ。

 これが、オーディンの本領発揮なのだろう。

 

「さあ―――神々の黄昏(ラグナロク)の開始だ!」


 真っ白な大理石の大地に、十八体の影が落ちる。

 その全てに見覚えが合った。

 オーディンに紹介された、神界を創り上げた最古にして最強の神々として。


「かっかっか!破壊神の類でありながら独自の宇宙系を作り出すとはこれまた奇怪!小僧、中々面白いではないか」

 

 影の中の一体である巨龍が笑う。


「笑ってる場合じゃねえぞインドラ!お前ここでこいつ以上の成果出さなかったら、この前の賭けの負け分倍にすんぞ!」


「おいオーディン!そいつは卑怯だろ!それに火達磨よりは強いと言っても死に体でこられてどうやって戦果上げろっていうんだよ!」


「大丈夫だろ、ほれ」


 巨龍の言うとおり、巨人は既に俺の手によって重傷であった。

 巨人は何が起こっているのか理解しようとしていたのか見回していたが、急にその動きを止め、震え始める。


「ア、ガアアア・・・GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」


 パンと巨人の焼け焦げた部分が弾けとび、新たな腕が肩から生えた。

 それだけではない。全ての傷が修復され、既に馬鹿げたほどの巨大さであると言うのに更に成長していく。

 神界の膨大な魔力によるものだろう、ここの魔力濃度はそれだけのことを容易く起こしかねない。

 神々の魔力を吸い上げ、より強大へと進化していく巨人。そのレベルはもはや、全快時の俺であっても容易く葬られかねないほど。


「そうか、そういえばここに来たやつはこうなるんだったか」


「ついにボケたか爺」


「黙れ小僧・・・しかし、これならば満足できそうだ!」


 しかし、神々は揺るがない。

 巨人が全快し、強大になろうと神々の優位はぶれない。

 皆が皆、不敵な笑みを浮かべているのだ。


「折角だ!あいつも呼ぶぞアマテラス!」


「ちょ、馬鹿やめるさねオーディン!」

 

 アマテラスの静止の言葉も聞かず、オーディンは槍を大理石の床に突き刺した。

 槍を中心に、目がちかちかするほど膨大な情報が書き込まれた魔方陣が展開される。

 魔方陣は三秒程光ると砕けちり―――大理石の大地が突然大爆発した。

 頭を抱えるアマテラスを横目に見ながら視線を向けると、爆心地から人影が現れる。

 それは、みずら頭の髭男というのが正しいだろう。

 どう頑張ってみても、文明人とは決して言えそうに無いほどの野蛮さを全力で主張している。


「ハッハッハ!突然起こされたと思ったら面白そうなことになってんじゃねえか!」


 大地が揺れるのではないかと言うほどの大声で、人影は笑い声を上げる。

 みずら頭の髭男は、腰に乱暴に巻きつけた刀を抜くと、鞘を投げ捨て一人巨人へと向かっていてしまう。

 アマテラスは、更に頭が痛そう目頭に指を当てている。


「相変わらずの脳筋さね・・・」

 

「かっかっか!いいじゃねえか、下手に質問攻めされるよりかはよほどいい!―――待たせたな巨人!これが神界の最高戦力だ!お前には罪はねえが・・・ちょっと憂さばらしに付き合えや!」


 オーディンを筆頭に、神々が巨人へと突撃していく。

 その光景を見た途端、安堵感が生まれた。

 終わったのだ。俺達の戦いは。

 すると、気が抜けたせいか猛烈な眠気が再び襲い掛かった。

 もう、逆らうのも無理だろう。

 俺は眠気に身を委ね、闇へと意識を落とす。

 

「本当によくやったさね。ムー。しばらく眠りな」


 アマテラスの言葉を最後に、俺は眠りに落ちた。



 

 こうして、世界の存亡をかけた巨人との戦いは終わりを迎えた。  


 

訂正

・ダミー→ダミ

・獲物→得物

・道理→通り

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