*86* レッサーデーモン
一度、地下室に向かう前にマネキンの状態がどうなっているのか。
俺たちは二人一組に分かれて校内を調査しはじめた。
もちろん十人ですべての棟を探し尽くすというのは不可能なので、見える範囲で、なおかつ生徒たちの邪魔にならない程度に調べることになったものの。
「……ひっ!? レッサーデーモンが何でこんなところにいるんです!?」
「あのレッサーデーモン誰が召喚したの? 召喚系の魔術は禁止ってルールじゃなかった?」
「こわいよー……」
「…………」
バラバラになった途端にこれだよ。
一度メンバーを分けてミコと一緒に校内にあるマネキンどもを探し始めると、そりゃもう生徒たちから好奇心でいっぱいの視線がくる。
別に見るだけなら別に構わない、でもどうだろう、ビビられた挙句にレッサーデーモンとか呼ばれてるぞ。
「こらーっ! ミコのご主人さまになんてこと言うんですかー!」
しかしこういう時に助けてくれるのがミコだ。
そんな口々(くちぐち)に好き放題いうとんがり帽子の生徒どもにストップを……。
「レッサーデーモンだと弱そうだからデーモンウォーリアって呼んでください!」
「おい待てコラ」
……前言撤回だ、なんで人のあだ名を助長させてるんだこいつ。
「デーモンウォーリアさんだったんだね、ごめんなさーい」
「ごめんね精霊さーん」
「ふひひ……分かればいいのです、特別に許してあげましょう」
「……」
しかもどうしてデーモン系の人外として受け入れてんだよこの学生ども。
そして晴れてデーモンウォーリアに進化してしまった俺に、
「どうですかご主人さま、これでもうレッサーデーモンなんて呼ばれません!」
ミコがここの生徒たちより幼い顔に満面のドヤ顔を浮かべてきた。
なるほど完璧だな確かにこいつのいう通りレッサーデーモンなんて言われないだろうな、デーモンウォーリアに昇進してしまった点を除けばなぁ!
「おい、ツラ貸せ」
「ひえっ」
ということでミコの両方の頬に手を近づけた。
「……何か最後に言いたいことはあるか?」
とりあえずこれからの返答次第でお仕置きだ。
いつでも頬を引っ張れるように親指と人差し指をスタンバイさせると、ミコは逃げずに堂々と、けれども言葉に詰まりながら。
「ひ、引いて駄目なら押してみよ……ってあるじゃないですかー? なのでいっそ強そうな方向へ向けてみました、えへん!」
発想の転換ですとばかりに「褒めて!」といいたそうな顔を浮かべてきた。
オーケー分かった、それがお前の最後のセリフだな。
俺はミコの頬を左右にもちっと引っ張った。
「もぎゃー」
「いい加減にしろこのピンク髪! 下級悪魔いわれるし人間違いされるしランクアップしてるしもう散々なんだよ! どうしてこんなトコに俺たち寄越したんだあの人!?」
「ひゅふふふ、ごひゅひゅんふぁふぁ、ほふぇほふぇふぇふふぇ♪」
「どこがモテモテだよ、呼び名増えてるだけだろこれ……」
あいかわらずこいつの頬は柔らかいし、良く伸びる。
引っ張った頬を手放すとぷるっとしながら戻ってしまった。
……だからってデーモンという不名誉な名前が消えないのは良く分かってるし、もういっそデーモン系キャラとして開き直ってしまおうか。
「ああ、そこのお二方? 少しよろしいでしょうか?」
「ん?」
「にゃっ?」
そうしてマネキンそっちのけでミコと話していると、誰かに後ろから声をかけられた。
耳にする限りはあまり親し気のない感じだ。
自分のヒロインと一緒に振り返ってみると、そこにはどう見ても生徒じゃない誰かが立っていて。
「こんにちは、貴方たち外部の人間のことはホークガスト校長から聞きました。しかしこんな場所で、廊下のど真ん中でおしゃべりに興じているとなると、なかなかお仕事がはかどらず難儀しているようですな」
……鳥のくちばしみたいな黒いマスクで顔を隠したハゲのおっさんが、不機嫌そうな感じの声で、やや早口気味にそう言ってきた。
「あ、こんにちは……?」
「こ、こんにちはー……。えっと、どちら様でしょうか?」
「どちら様? 私を生徒と見間違えているのですか? 私はご覧の通りここの教師ですよ。応用魔術担当のパルディと申します、以後お見知りおきを」
多分そいつは教師だろうけど、持っている木の杖でぱしぱしと掌を叩いて友好的じゃない様子を作っている。
要するに「お前らこんなとこで何してんださぼってんじゃねえ」という意味だ。
その言い方に思わずむっとしてしまったものの、しかしながら何もせずにいたのは事実なのだから当たり前だと思った。
「……悪かったよ、パルディ先生。次から気を付けるから許してくれないか?」
「ご、ごめんなさい……ミコも気を付けます……」
そして二人で速攻で謝った。どんな事情があるとしても失礼な態度に見えてしまったのならちゃんとこうしたほうがいい。
するとパルディ先生は軽く、けれども色々なものが詰まって重そうなため息をつきながら肩の力を抜いたようで。
「……ならばよろしい、すぐ素直に謝れる人間はそういませんからね。しかし生徒たちの安全もかかっているのですからどうか真面目に取り組んでいただきたい。まったく、いい年して廊下を走ったり、あの不気味なマネキンを崩したままほったらかしにしたり、外の人間はどうも礼節に欠けるというか……」
一応は許してくれたみたいだ。
カラスのくちばしのようなマスク越しに俺たちを見ると、悩ましそうにうつむきながらぶつぶつと呟き始めてしまった。
だけど声の調子は力がこもっていて、生徒たちを大事にしているのは本当だろう、と思う。
「本当はあなたのような……いや、あなた方のような外部の人間をこの学び舎に入れることなど反対しているのですよ。いくらリーゼル様がそういったからといって、この乱世となりつつある世の中、いったいどこからやって来たのか分からぬ旅人などこの学び舎に入れるというのは一体どれだけリスクのあることだと……」
しかしパルディ先生はそのままこっちに向かって愚痴り始めてしまう。
不気味なマスクで顔を隠した髪のないオッサンが唐突にぶつぶつ言いだすのは正直、あまり気持ちのいいモノじゃないけど……遠くから生徒たちが「また始まった」とでもいいたそうにこっちを見ていた。
そういう先生か、この人は。
逃がしてくれそうにもなく、ミコと顔を見合わせて「どうしよう」と悩んでいると。
「じー……。何をしていらっしゃるんでしょうかー……うふふー」
物陰からひっそりと、サキュバスなあの先生が出てきた。
おいしそうな獲物を見つけた獣みたいな目つきで、甘ったるい声を出しながらじっとこっちを見つめているというのか。
ところがその瞬間、パルディ先生はすさまじい勢いで振り向いて。
「……こらっ! やめなさいボニー先生! この方は寝取らせませんぞ!」
「ん!? 寝取る!?」
今にも俺に向かってやって来そうなセクシーな女性へと怒鳴った。寝取るの意味については考えないでおこう。
「むー……諦めませんよー……」
すると陰からこっちを見ていたボニー先生は程よく丸い頬をぷくっと膨らませて、がっかりしながらどこかに消えてしまった。
どうであれ助かった、やっぱりこの人は悪い奴じゃないらしい。
「あ、ありがとう……パルディ先生。助かったよ」
「良かったです……ご主人さまがドのつくマゾにされてしまうところでした」
「誰がマゾだ」
「……やれやれ、もしも気を悪くしてしまったら申し訳ありません。しかし決して悪気があってあのようなことをしているわけではないのですよ、あの方はとても優秀なのですがいかんせんサキュバスとしての性が強すぎるもので……」
まあ、女性からセクハラを受けたりうけそうになったりしたのは一度や二度じゃないしそんなに気にしちゃいない。
ともあれ、この先生は悪い人間じゃないだろう。
「いや、気にしちゃいないさ。あんたらはちゃんと生徒たちのことを一番大事にするようないい教師だ」
俺がそういうと、パルディ先生はマスク越しに「ふっ」と安堵したように小さく笑った気がした。
「そうでしたか、それなら良かったです。私たちにとって、生徒たちがこのフランメリアに相応しい立派な魔法使いとして育っていくことはなによりの楽しみですからね」
「リーゼル様みたいに?」
態度が柔らかくなったのでちょっと冗談を込めてそう言ってみた。
ところがその言葉が届いた瞬間、マスクの向こう側から気難しい雰囲気がずももも、と漂ってきたような気がして。
「……そうならないようにするのが私の務めですので」
果てしない旅路を歩き終えた後のような疲労感いっぱいの声で返してくる。なんか察した。
「そ、そうか……なんか、ごめん」
「いいえ、謝る必要はありませんよ。我が校の生徒たちはみな心優しいものばかりですが、あの性の拗けた…………素直ではない人間に育ってほしくはありませんからな」
「……確かに魔女としてはあれでいいんだろうけど、一般的な人間としては我が道を行きすぎてるからな。分かるよ」
「分かっていただけますか……はぁ」
……この人も苦労してるみたいだ。
まあ確かに今まで見てきた好奇心いっぱいな可愛い生徒たちがあの不健康で不健全な食えない魔女みたいになってしまうのは嫌な話だ。
ちょうどいい、この人からマネキンについて何か知っていないか聞いてみよう。
「ところでパルディ先生、このマネキンについて聞きたいことがあるんだ」
俺は廊下の隅っこで膝立ちのまま固まっているマネキンを親指で示した。
「ええ、私に答えられるものならなんでも」
「こいつらが動いてる、と聞いたけど……いつ動いてたんだ? あと動いてるところを見たことはあるのか?」
「動いているところは見たことがありませんな。それにいつ動いているかも分からないのです。ふと思い出したころに動いていた、といえば分かりますか?」
この返答からして本当に謎だ。
俺は得体のしれない白いヒトガタの頬を突いた。
つるっとしていて、こっちは少し柔らかい。
「すみませんパルディ先生、見ていない間に動いてる……というのはどのような感じでしょうか? 単にその場を移動しているとか、姿が違うとか、それ以外にもありますか?」
今度はミコが質問した。
いつもの柔らかい口調じゃなく、きりっとした真面目な感じだ。
「……そうですな、ご覧の通りこれらのマネキンは簡単に手足が取れてしまうのですが……」
問いかけに応じたパルディ先生は皺の多い手でマネキンの手首を掴む。
それからゆっくりと引っ張った――腕はかちっと音を立てて簡単に取れてしまったみたいだ。
俺たちにマネキンの手を見せると、今度は肘の部分にパーツをあわせて押し込んで……取り外した時のように、簡単に接続されてしまった。
「少し興味本位で実験してみたのです。両手両足が取れてしまったマネキンに印をつけて放置していたら、翌日別の場所で元通りになっていました。誰がやったのかは分からないのですが……壊れても修復されているというのは確かでしょうな」
「なるほどー……もう一つ質問しますけど、これは魔法で動いているように思いますか?」
「それはあり得ない話ですよ。どんなに調べても、リーゼル様に頼んでも、あのオートマトンどもに見せてもこれは決して魔法で動いているものではない、と……。そもそも魔法で動いているのなら魔力の力が働いているはずなのに一切ないのですよ? 一体どうやって動いているのやら教師である私の方が知りたいぐらいです」
「ふーむ……そうでしたか。ご返答ありがとうございます、パルディ先生」
「今のところは生徒たちに被害を加えたという話は聞いておりませんが、校内で不安が増しているのは事実です。あなたがたが解決してくれることを期待していますよ」
……いつ動いているか分からないけど、手足が取れてしまっても簡単に修復してる、ってことか。
俺は不気味なマネキンの頬を脇腹を突いた。
こっちは固いゴムの感触がして、どうやら身体の場所ごとに柔らかさが違うようにできているみたいだ。
「ぱっ、パルディ先生! 大変です! 大変ですー!」
と、俺たちが廊下で話し込んでいると……向こう側から誰かがこっちに向かって走ってきた。
さらっとした金髪でどう見ても子供にしか見えない、可愛らしい女の子――いや、エルフみたいだ。
ところが制服は着てないので、その子は生徒ではなく教師だと思う。
「どうしたのですか、シェルワンド先生!」
「講師の方が美術室に立てこもっているんですー!」
「……立てこもっている……どういう意味ですか!? 案内しなさい!」
……立てこもり?
てっきりマネキン絡みの事件でも起きたと思ったら、別件でトラブルが始まったようだ。




