*9* 生き延びたければ迷いを捨てろ。それからスキルも磨け
*三日目*
俺は震えていた。それは決して寒くて震えていたと言うわけじゃない。
そこは埃だらけの民家の中。
大して広くもない室内が倒れた棚のせいで余計に狭くて、キッチンには放置されすぎてカビを纏ったカラカラの生ゴミが異臭を放っている。
臭くて狭い家の中で俺の目の前にはあいつがいた。
スカーフで口元を覆って汚れたパーカーを着た男だ。
目を覆っていたゴーグルは割れていて、はっきりと赤い血が流れていた。
「な、なんで生きてんだよ……!? 幽霊かてめーはよぉ!?」
真っ赤な目で睨まれて、でかい声でわんわん叫ばれるとそれだけで押し倒れそうだった。
俺はそいつを追い詰めていた。
この家のキッチンで拾ったフライパンをしっかり握っていて、この盗賊の頭をぶん殴った感覚がまだ手元にはっきり残っている。
最初は、探索中にたまたま見つかってしまっただけだった。
そいつは調子に乗っていたのかたった一人で町をうろついていたみたいだ。
しつこく追いかけられて適当な家に逃げ込んだところで、キッチンで取っ組み合いになって咄嗟に近くのフライパンで殴ったのだ。
銃を落としたので何度も何度も顔を殴って、そいつは今や幽霊でも見たかのように俺に怯えている――だけど、それ以上そいつを殴る事ができなかった。
手が緊張でうまく動かない。呼吸すら整わなくて呼吸器官が震える。息苦しくて身体が石になったみたいだ。
「なっ……なんとか言えよぉ!? う、撃ったのは悪かったからさぁ!? 怒ってるなら謝るよ!! なっ!?」
もしもこのゲームの主人公だったら、盗賊は殺さないといけない。
FallenOutlawの盗賊という存在には仲良くしてやればお友達になれるだの、そんな平和的な設定は絶対にない。
倒さなければ延々と主人公を攻撃し続ける。
逃げても追いかけてきて、たとえ友好的なNPCがいる安全地帯に逃げ込んでも当たり構わず周囲の人間を攻撃して、息をするかのように迷惑を撒き散らす。
それにこいつは俺を撃った奴らしい。側にはレバーのようなものがついた長い銃が落ちていて、スカーフ男は情けない命乞いを俺にしている。
「お、俺の仲間たちが獲物を見つけたら撃てって命令してくるんだよ! 本当は俺だって人を撃ちたかねえし、この銃は親父から貰った銃で『人だけは撃つなよ』って何度も言われてちゃんと守ってきたんだよ! 悪かった、悪かったから――。」
これを殺さないといけない。『主人公』が生きる為の糧になってもらうからだ。
だけど俺にはできそうにもない。別に誠意の無いふざけた謝罪や、見てくれに反して小物臭い言動に心を動かされたわけじゃないけれども。
本当に殺して良いんだろうか? 幾ら無法者とはいえ、殴られれば痛がるし死ぬ事も恐れている――つまり俺と同じ人間だ。
それにこれを殺してしまったら、俺は取り返しのつかない領域に足を踏み入れて、二度と『何時もの』自分に戻れなくなりそうだった。
ああつまり、躊躇っている。
目の前の男が今にも泣き出しそうな声で何やら言い出したのを見て、俺はやっぱり殺せないと思った。
それにしても良くしゃべる奴だ。なんだか話が通じそうだし一旦話し合って――
「……死にやがれ死に損ないがぁぁぁぁッ!!」
色々考えているとスカーフ男が銃を拾い上げて、それを向けられた。
やばい、撃たれる、また殺される――!!
頭の中が真っ白になった。
死にたくは無かった。気付けば思わずフライパンを振り回して、思い切り膝立ちの姿勢になったスカーフ男の頭を横から思い切り殴りつけた。
鉄製の黒いフライパンから「ごつん」とも「かこん」ともつかない軽いようで重い感触がしたかと思うと、男がぎゃっと叫びながら後ろに倒れる。
「てっ、てめっ! やめやが……。」
まだ銃を向けている、撃たれる。
俺はあらん限りの力でそいつに飛ぶように圧し掛かった。
尻で腹を押し潰し、フライパンを振り上げて――振り下ろして顔面を叩いた。
潰れた。まだ動いている。もう一度、もう一度、またもう一度、まだまだもう一度。
殴るたびに自分の何かが崩れる、今までずっと保っていた何かが薄れていく。
最後に思い切りフライパンの底をたたきつけた。
敵を倒した。視界の中に【XP+100】【近接武器スキル1増加】という、空気を読まない最低のシステム情報が浮かんできやがった。
押し潰していたそいつから離れると、何も喋らず、何処も見ていない死体ができた。
……やってしまった。
ただ一言、そう心の中で言うしかできない。
酷い後悔の気持ちで一杯で、ついこの前シェルターで覚悟した事が薄まって消えてしまいそうだ。
"倒した"盗賊に手で触れてみると、【盗賊の死体】と表示された。そんなもの、無くても分かる。
気分がすごく悪い。死体から離れたい。これが、自分が、すごく怖い。
カビだらけのキッチンから慌てて逃げ出そうとしたものの、その場を離れようとした俺の目の前に。
「て、テメエェ!! よくも俺の兄貴をォォォッ!!!」
一体何時からいたのか。怒り狂った別の盗賊が、口に巻いていたスカーフを剥がしながら俺に突っ込んできた。
押し倒されてがつんと床に頭を打った。痛い。
近くに落ちていた銃のストックで顔を殴られた。痛い、痛い。
銃で何度も何度も喉を潰されて、動かなくなるまでずっとそのまま――。
◇
*四日目*
生き返った。盗賊たちが俺を探し回っているようで、見つからないように祈りながら町の中心にある食料品店に辿り着いて食べ物を探していた。
腹が減って喉が乾いて、MREに残っていた僅かなチョコバーぐらいじゃ足りなかったからだ。
――そのはずだったのに。
「……な、なあおめーら。こいつは確か。」
「……ええ、俺の弟がぶっ殺して、ついでにこの俺がぶっ殺した奴です。」
「な、なんで生きてんだよ!? 化け物か!? 新種のミュータントか!?」
俺は無様に捕まっていた。
運悪く見つかって、手足を縄できつく縛られて食料品店の陳列棚に挟まれるように仰向けに倒れている。
そんなことをした張本人たちはそんな俺を見てあざ笑うどころか驚いてやがる。そりゃそうだ、殺したはずの人間と何度も出会えば誰だってそうなるさ。
「ミュータントにしちゃ人間に似すぎじゃあないですかね。」
「じゃあなんだ? 幽霊か? とにかく死んだはずの奴が何で生きてるんだよ!? お前しっかり殺したのか!? 」
「こ、殺したましたよ! 俺の弟も、俺自身もしっかりと! 死体だって見ましたよ!」
頭頂部にハンマーとノミであけたような跡のあるスキンヘッドの男が叫ぶ。周囲の反応からしてそいつはリーダーみたいなもんか。
ミュータントというのはこのゲームに出てくる敵のこと。世界中に蔓延したという設定の謎の病原菌で変異した生物の事だ。
人間がグロテスクな化け物になるのは勿論、植物ですら意思を持って人を襲う怪物となる世界だから敵キャラには事欠かない。もっとも今の俺には、このクソが付くほどの悪党どもだけで手一杯だけど。
「まあでも……良く捕まえたなおめーら。こまけーことを考えるのは苦手だ、メシにしようぜ。」
スキンヘッドはそういうと第二のスカーフ男を手で押しのけて、背がギザギザとしたナイフを片手にこっちにきた。
……メシ?
ぼーっとそれを見ていた俺は急に嫌な予感を感じて、そして理解してしまった。
まずい、逃げないとまずい!
「折角捕まえたんだ、今日は生きたまま解体して丸焼きにしようぜ。」
「いいっすねぇボス。塩と胡椒ないか探してきますね!」
「ボスー、俺野菜食いたいです。こんな硬そうな肉いやっすよー。」
「うるせーごちゃごちゃいわず手伝え! こいつを押さえろ! メシ抜くぞ!」
「けっ、こんな奴食えませんよ。こいつは俺の弟を殺したクソヤロウだ!! 地獄に落ちろこの黄色い猿!!」
ナイフが近づく。
切っ先が無理矢理開けられたジャンプスーツの胸元に押し当てられて、氷のような冷たさと、それに遅れて皮膚を裂かれるぴりっとした痛みが。
や、やめてく――。
人間の開きにされて心臓をもぎ取られて死んだ。
◇
*五日目*
最悪だ。
何がとはいわない。最悪だ。
空腹感も、喉の乾きも、眠気も寒さも、もうどうでもいい。
全てがいやだ。もういやだ、何で俺がこんな目に?
洗面台の鑑を見ると、そこには自分の胸が写っていた。女性の豊かな胸なんかじゃない、硬いだけの胸板だ。
それだけならまだいいさ。でも今の俺には帝王切開でもしたかのような乱雑な傷跡がジグザグ模様に刻まれている。
指で撫でて傷跡を追う。心臓の辺りから下腹部まで、手際の悪さを示す傷の跡が最悪の記憶を残している。
あいつらは狂ってる。脳細胞が減っているどころか頭の中が原始時代の野蛮人まで遡ってやがる。ふざけやがって。クソが、クソが、畜生!!
傷が目立ち始めたジャンプスーツを閉じて胸元を隠した。
やり場の無い怒りが今にも爆発しそうだ。
俺は足元にあった空き缶を拾って……シャワーのついている壁に目掛けて全力でぶん投げた。
壁にあたった缶が跳ね返ってかこんと音を立てて落ちた。
【投擲スキル1増加】
スキル増加じゃねえよ、ばかやろう。
浮かんだ文字を手で払った。もう1度缶を拾って、何もない壁に目掛けて投げた。
拾って、投げた。拾って、投げた。投げた、投げた。




