*79* 気持ちよく目覚めたのに
おはよう魔法世界。
相変わらず部屋に置いてあるのがダブルベッドなのはさておいて、こうして今日もトラブルもなく眠ることができた。
早めに寝ることができたおかげか、昨日よりも頭も体もすっきりだ。
あれだけ色々なことがあって頭を悩ませていたのに、一晩寝てしまえば気持ちよく忘れてしまうなんて……俺もまだ人間ってことか。
起き上がってカーテンを開けると、まだ見慣れない緑色の風景があった。
PDAの時間は「まだ朝の六時にすらなってねーよ」と午前五時を示している。
このまま二度寝するのもありだろうけど、今日のところは大人しく部屋の外へと向かった。
ふあ、と気の抜けるような欠伸が出た。
廊下は静まり返ってるし、リビングにも誰もいない、いるのは俺だけだ。
……そういえばギルドハウスには風呂場があったよな?
「……いっふぇみふふぁ……ふああ」
ぐーっと背筋を伸ばすと身体に溜まった眠気が抜けていく感じがした。
さて、廊下を進んでいるとボードがぶら下がっている扉があったものの。
『おふろ!』とゆるい文字が書かれている上に、デフォルメされた白いウサギのような生命体がセクシーポーズを取っている。
それを書いた奴はすぐ分かったけど、これ入っても大丈夫なのか?
「……なあ、ここには珍獣でも住み着いてるのかい?」
ボード上の未確認生物に問いかけてから、俺は扉を開いた。
その中は脱衣所だったみたいで、てっきり狭いものかと思っていたものの入ってみれば意外と広かった。
ただしそこから先は……ガラス張りのバスルームと繋がっている。
透明なガラスの向こうで大理石とおぼしき素材の壁や床が真っ白で清潔な空間を作っていて、どう見たって「風呂」で済むようなものじゃなかった。
「ホテルかなんかかここは……!?」
流石の俺もこれには驚いたというか、呆れしか出ない。
あっちの世界は最終戦争から150年も経った後の世界だけども、これほど綺麗なバスルームは絶対に存在してないだろうと思った。
しかも赤銅色のシャワーのようなものも備え付けてあるし、これじゃ至れり尽くせりだ。
「……ん? なんだこれ……?」
とりあえず軽くシャワーでも浴びるかと思って服を脱いでいると、浴室近くの壁にうっすらとなにか書かれているのに気づいた。
小さな文字で、だけど紙に穴が開くほどペンを押し付けたような濃い文字で、
『この新型ギルドハウスの水回りには偉大なる魔女リーゼル様の妹、魔女レージェス様の作った"あらゆる汚れを綺麗な水にかえる"魔法が込められております。生物の死体、幽霊を含むアンデッド、またスライム種はたちまち綺麗な水にされてしまうので気を付けてください。不浄な存在絶対ぶっ殺す系女子、ふたたびの魔女レージェスちゃんより』
……と、凄まじい文章が書きなぐってある。
風呂場に書き込むようなコメントじゃねーよそれは。
というかやっぱりこのギルドハウスはただの家じゃないみたいだ。
壁の怪文章はともかく、服を脱いでさっそく突入。
ガラス張りの空間は思ったよりも乾燥していて、胸の傷に優しい感じがした。
世紀末世界よりなんでもありなこの世界に感謝だ。
せっかくだ、浴びる前に外の空気でも吸おうか――そう思って、バスルームの窓を開けようとすると。
「……わたしのかんがえた最強のお風呂に文句を言うやつはいないかしら」
「……」
わーお、なんか窓の向こうからとんがり帽子を被った女の子が現れた。
帽子の間から曲がった形の角が伸びていて、背中には大きなコウモリのような翼が生えてさながらサキュバスのようだ。
そしてそんなに豊かじゃない胸と腰回りぐらいしか隠してない、お腹丸見えな水着みたいなものを着ていて――誰だこいつ!?
「うわっなんだお前!? 変態か!?」
「わたしのかんがえたお風呂をパクろうとしたやつもぶっ殺さないといけない運命なの。さようなら、ごゆっくり、お風呂は綺麗に使ってね、お風呂に文句をつけるやつは殺していいからね?」
「いや誰だよお前!? せめて名乗れよ!?」
そいつは女の子が絶対に浮かべるべきじゃない病んでるような顔つきでそういうと、背中の羽をぱたぱたさせて何処かに飛び去ってしまった。
「なんだったんだ、あいつ……」
あれはきっと風呂の精霊か何かだろうか、あるいはここの風呂に未練をもつ悪霊か。
もういい、とにかくさっぱりしよう、あんなもの忘れよう。
恐ろしい何かが出てきた窓を閉めて銅色の蛇口に近づこうとすると……。
「ご主人さまー、一緒に朝風呂ですねー!」
「……んっ!?」
ばーん、と脱衣所の扉が開く音がした。
この流れからして色々と嫌な予感がしたものの振り向けば、
「おはようございます、お背中流しにきちゃいましたよー……フヒ……」
桃色の下着だけのいろいろオープンなミコが俺より男らしくダイナミックに入室していた。
お腹周りはきゅっと引き締まっているものの、太もものあたりとかお尻の部分が大きくもちもちした短剣の精霊が今にも脱ぎだそうとしている。
それだけだったらまだいい方で。
「……援護はまかせろー……」
まだ半分寝ぼけているサンディがその後ろからやってきて、ばるっと揺れる大きなものをお構いもなくさらけ出そうとしながら便乗してきた。
しかも唯一の良心ともいえる黒い紐パンは今にもずり落ちてしまいそうで、今ここにきてマダムの粋な計らいが襲い掛かろうとしていた。
ただし本当に眠そうで、口の端からつーっと涎をたらしながら脱ぎ始めている。
「いっ、イヤアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
そしてこの日、初めてギルドハウスに世紀末男の汚い悲鳴が響き渡った。
『な、なんだろう今の声!? どこからか野太い悲鳴が聞こえなかった!?』
『イチさんだよね今の!? お風呂場の方から聞こえたよ! わたし見て来る!』
『僕もいくよっ!』
「おっおい待てお前ら! 来るんじゃねぇぇーーーッ!」
「さーさーご主人さま、お体に触りますよー……?」
「……イチ、一緒に綺麗になろう?」
「やめろ! おい聞いてんのか!? 泡まみれになってこっちに来るんじゃ……ア゛ー!?」
その声というかその騒ぎは、『クルースニクベーカリー』のいい目覚ましになったそうだ。
朝から色々あったけども、今日もおいしい朝食を食べて一息ついてから、俺は改めて自分の装備を確認した。
この世界でやっていくなら確かに銃という近代的な道具は便利だろう。
実際、5.56㎜の自動小銃にせよ、サンディの308口径の小銃にせよ、あのオークやラーベの奴らをいともたやすくぶちのめせるのだから。
「45口径が13発に、12ゲージが3発。5.56㎜は40発もないし308の弾は20発……足りねえ」
ところがいざ再確認してみればどうだ、これは。
弾がない。というより、今の手持ちの銃器で使う弾がほぼないわけである。
今までの旅路で集めた他の口径の弾ならまだ在庫はあるけども、それだって有限だ。
P-DIY1500のクラフトシステムを使えば素材を使って少しは作れるだろうけど……焼け石に水だ、それにその材料だって無限にあるわけじゃない。
相棒はまだいい、あの様子なら弓も使えるし、狙撃という行動ができる以上、無駄な弾は一発も使わないだろうし。
ところが俺は射撃の名手ってわけでもなく、そしてもう一つなにか取り柄を持っているとすれば投げナイフぐらいだ。
――ひょっとして俺ってこのメンバーの中で一番弱いんじゃないか、と思っている矢先に。
「ご主人さま、リーケさんからメールがきました! ここ最近になって魔法学校で不審なものが見つかった、とのことなので明日調査してこいとのことです!」
装備はおろか考えすらまとめさせてくれる間もなく、あのギザ歯の魔女からの指令がこうして飛んできたわけである。




