*77* 準備の前に
リーゼル様の屋敷を後にする頃には、時間はとっくに昼を過ぎていた。
俺たちはまだ先日の一件を引きずるクラングルの市場に寄って、そこで食料品や日用品を買ったり、買い食いを楽しんだり。
街には混乱が残っていて忙しい様子だったのはいうまでもない。
けれども、少なくともラーベ社におびえる人はもういないように見えた。
街にいる人々は何かから解放されたように気が楽になっていた気がする。
フィデリテの奴らが休む間もなく街中を駆けまわっていたのも見えた。
聞けば昨日の昼からぶっ続けで動いていて、後処理とかに追われて絶賛フル稼働中だとか。
途中でフェルナーやリクたちに会うこともあったけど、軽い挨拶をするだけですぐに消えてしまった。
そしてミコたちに軽く街の案内をされたり、ちょっとだけ寄り道をしたりした頃にはもう夕方だ。
ちなみにリーゼル様からもらった資金はとてつもない額だった。
帰り際にあのデュラハンからやけにずっしりとした袋を手渡されたと思えば、
『イチさまには二万メルタ、他の方には一万メルタッスよぉ』
と言われて……袋を開けてみれば金貨がたっぷり詰め込まれていた。
俺には二万メルタ、そしてミコからレフレクまで他のメンバー全てに一万メルタ、しめて七万も入ってたわけである。
……例え潤ったとしてもこの羽ぶりのよさは異常だ。
ああいう人間が利益や損得を考えずにただ『なんとなく』という理由で、しかも初めて会うやつに二万メルタ、ポンとくれるわけがない。
これほど後が怖いお金は初めてだった。
「……なんだか大変だったね……」
とにかくギルドハウスに戻った後の第一声は、そんな友人の疲れた声だった。
ムツキは世界の命運をかけた最後の聖戦でも戦い抜いたように、ソファーの上でぐでっとしている。
「ああ……すごく分かる……」
その隣で同じように、ぐでっとしているのもまた俺だった。
なんだか妙に疲れていた。
首だけ動かして外を見てみれば、空は濃い夕日にすっかり焼かれていた。
この際「契約はどうだった?」とかそういう話題は避けるとして、俺とムツキが口に出来そうなのは「疲れた」とか「大変だった」ぐらいだった。
それに比べて、
「お腹をすかせたご主人さまどもー、もう少しでごはんできますよー」
キッチンにはせっせと料理をしている元気なヒロインがいる。
しかし向こうからは――とてつもなく懐かしい香りがする。
歯車マークの刻まれた大きな土鍋みたいなものが蓋を開けられていたからだ。
その中から真っ白な湯気が立っていて、ギルドハウスは独特な香りで満たされていた。
ごはんの匂いだ。
「お料理運ぶよー」
「……はこぶよー」
オープン式のキッチンの上に並べてあった料理――さっきまでからっと揚げられていた揚げ物がテーブルへ運ばれていく。
ムネとサンディの手によって皿が、小鉢が、お椀が次々と並んでいった。
俺たちと比べて疲れ一つない様子だ。
「あいつら元気だな」
「……僕たち人間よりヒロインの方が強いっていうしね」
「そりゃ言えてる。なんていうか逞しいしな」
「もう僕たちいらないんじゃないかなって思う時が結構あるよ」
「料理手伝おうかー?って聞いたら速攻で『じゃあ休んでてください』って言われたしな」
キスのついでに元気でも奪っていったんじゃないのか、あいつら。
「ミコおねーさん、今日のお夕飯はなんでしょう?」
「今日はチキン南蛮ですよー。レフレクちゃんにはお肉を使わないミコ特製ハンバーグですっ」
「わぁい♪」
ミコとレフレクがほのぼのとしている。
ついこの前までの不毛な世界はあれ全部、悪い夢かなんかだったんだろうか。
暴力と鉛玉と血が飛び交う世界から来たポストアポカリプスな男は、どうしてソファーの上でぐでーっとしてるんだろうか。
もうだめだ、今度はこっちの世界に飲まれ始めてるぞ。
「……なんなんだよこの、ギャップの差。あのなんともいえない過酷な世界はマジでなんだったんだ……」
「あはは……あっちの暮らし、大変だったみたいだしね? この世界はあっちと比べるとどんな感じかな?」
「天国だ……!」
「天国か……!」
「完成ですっ! ごはんですよ~」
二人でいろいろ話していると、食事の準備ができたようだった。
俺はムツキより早くソファーから立ち上がって、一目散にテーブルへと向かった。
「……わーお」
ひゅう、と口笛が漏れてしまったのはFallenOutlawに染まったせいだろうか。
白く炊きあがった熱々のご飯が盛られた茶碗が、色々なおかずと一緒にそこに存在しているからだ。
ああ、間違いない……和食だ!
「ご主人さま~、今日は和食にしましたっ! ご主人さまのはごはん大盛です!」
「よくやったミコ! さあ食うぞっ!」
たまらず俺は他の奴を置いて真っ先に席に着いた。
笑顔も自然にこぼれてきた、そりゃそうだ、だって久々に食べる和食なんだぞ?
「あはは……イチさん、よっぽどごはん食べたかったんだね」
「ふふっ、なんだかイチさん、生き生きしてるね?」
「……ワショクってなに?」
「マスターさん、食べる前にいただきますですよっ!」
椅子に座ると目の前にはずいぶんと懐かしい組み合わせが並んでいた。
茶碗に山のように盛られた白米、野菜がいっぱい入ったみそ汁、野菜が添えられたタルタルソースつきのチキン南蛮、卵焼き、それから……。
「……これって、豆腐か?」
小鉢にネギが乗せられた四角いブロック――いや、どう見ても豆腐としか思えないものがある。
「お豆腐ですよー? これはオール天然素材で作られたプレイヤーさんたちの努力の結晶ですっ!」
「……マジか。あっちの世界にもあったけど……こっちの世界にもあるなんてな」
「あっちの世界にもお豆腐があったんですか?」
「ああ、あった。まあ衣をつけてフライにされてたけど……」
「へー」
ミコが言うにはやっぱり豆腐らしい。それも本物の。
こうしてみると【ガーデン】で食べたフライド・トーフを思い出して懐かしい。
「もうなんでもありだなこの世界。ご飯に豆腐にみそ汁? 完全に元の世界の食事だろこれ……」
「この世界だと和食ってマイナーだったんだけど、僕たちが来てから急に普及したらしいよ。おかげで割と早い時期から和食には困らなくなったっていうか……」
やっぱりこの世界に来てしまった人たちはまず食にはこだわったようだ。
こんな事態になって大変な目に会っても白米とみそ汁から始まる食事を求める姿勢を崩さなかったのは、流石というべきか。
「この世界と和食を普及させた奴、それからミコに感謝だ。いただきます」
「いっぱい食べてねご主人さま! いただきます♪」
この時ばかりはえらく丁重にまっすぐ姿勢を正して、目の前にある素晴らしい食事に対して感謝の気持ちを伝えた。
みんなも「いただきます」といったのを見て……手元に置かれた箸を手に取った。
「……いただきます?」
が、隣ではサンディが見たこともないだろう食事やらなにやらに戸惑ってた。
ゲームの設定上、この相棒は箸を使う食事なんて当然知らないと思う。
そんなこともあろうかと、目の前に箸と一緒にフォークやらが置いてあるのはきっとミコの心遣いだ。
「……これ、どうやって使うの?」
するとやはり目の前に置かれた日本の棒に首を傾げた。
しかしそこも器用な狙撃手のこと、俺やムツキが箸を手にしているのを見ていたようで……なんとなくそれっぽく持っている。
「サンディさん、それは『おはし』っていう食器です! こうやって使うんですよー?」
初めての和食の前に立たされたサンディに、ミコが箸を綺麗に持って見せた。
まあそれだけで使い方が分かったら誰も苦労は――。
「……こう使うの?」
……俺の相棒はすらりと箸を持って、小鉢に乗ったおいしそうな卵焼きを上手に持ち上げた。
いくらなんでも覚えるのが早すぎて周りが呆気に取られている。
「……パーフェクトですっ!」
「……ふふん」
こうしてわずか一瞬で箸の使い方をものにしたサンディは、さっそくそれをぱくっと食べて。
「……おいひい」
前よりもずっと凝りがほぐれた顔で、本当においしそうに目を輝かせていた。
世紀末世界からの相棒がこんな表情をしてくれるなんて、この旅路も、この世界も、このミコの料理も……本当にすごいと思った。
「さーて……久々の和食だ!」
食卓が明るくなったところで、俺は早速あつあつのご飯をそのまま食べた。
やけどしそうなぐらい熱い、でも確かな米の甘さをじんわりと感じる。
ああ、間違いない……炊き立ての白米だ、これは。
「…………うまい」
「イチさん、なんでそんな泣きそうな顔してるの……」
「いや、だって…………」
ムツキの言うような俺の顔はともかく、このままずっと食べれそうなぐらい完璧な炊き加減だったのはいうまでもないと思う。
次にどれに手をつけようかと迷っていると、甘酢とタルタルソースでしっとりとしたチキン南蛮に照準があわさった。
当然、肉食獣のごとくかぶりつく。
かりっとした食感としっとりとした感触に鶏肉の味と甘酸っぱさやらが混じっていて、飛び出す肉汁に食欲がパイプボムばりに爆発した。
気づけば炊き立てのご飯をかっ喰らってその面積を削り取ってしまった。
続いて今朝の『ミコ汁』ぐらい色々な野菜が入ったみそ汁を食べてみれば、煮え過ぎではないちょうどいい具合に火が通った野菜がしゃきしゃきしていた。
「うん……んっ! すごく…………うまい」
うまいとしかいえず、ひたすら箸が進んで無作法、無差別に色々なものを食べていたと思う。
ヤバイ、喉に詰まった。
水の入ったコップを掴んで流し込んだ。
そんな様子は誰が見てもお行儀が悪かったのか、
「マスターさん、ゆっくり食べないとダメですっ!」
近くに座っていたレフレクに怒られてしまった。
妖精サイズの食器に見合った大きさのハンバーグやら何やらが揃って、ナイフとフォークでおいしそうに食べてたみたいだ。
その証拠に口元にはソースがついていて、本人はそれに気づいてない。
「う……うますぎてつい……」
「ふふっ、なんだかすごくおいしそうに食べてて微笑ましいかも?」
「いっぱい食べてくれてミコは幸せですよー、さあどんどん食べて身も心も肥えてください!」
周りを見てみるとみんなが、おいしそうにミコの料理を食べていた。
一度手を止めて食卓を広く見てみると、温かい食事がそこにあった。
「やっぱりミコさんの料理はおいしいね。ラーメンも作ってくれたら嬉しいな」
「もー、ムツキくんまたラーメンっていってる……」
「ラーメンですかー? 作れることは作れるかもしれませんけど……スープとかどうすればいいんでしょうか?」
「ミコおねーさんのごはんすごくおいしいよう……ぐすん」
「ふあっ!? レフレクちゃんが泣いてます!?」
「だ、だって妖精さんが食べれる料理ってほとんどないんです……」
「これからいっぱい作ってあげますからねー? よしよし……」
「僕、妖精さんって自由気ままに生きてるんだなって思ってたけど……結構大変なんだね」
確かにこの和食はすごくおいしいけど、目の前にある光景は何事にも代えられないものだと思った。
長い間……いや、一か月にも満たないだろうけど、旅を続けながら余裕もなく食事を詰め込んでいたのとは訳が違う。
「……ははっ」
変な笑いが漏れた。
たったこれだけで満足してしまっている自分がいるからだ。
少なくとも、今は。
「ご主人さま、お味はいかがですか?」
にぎやかな食事の姿をおかずに冷たい豆腐をつまんでいると、ミコがにっこりと尋ねてきた。
こんな比較の仕方をするのはどうかと思うけど、この豆腐はスーパーで売ってるような奴とはどう考えても何もかも違う。
「ああ、おいしいよ」
色々とほめちぎってやりたかったものの、一言だけで済ませた。
うまい、としか言えないのは決して俺の語彙力が貧相なわけじゃなく、食事の場でこれ以外に余計なことを口にしたくないからだ。
「……えー。もっとこう、迫力のある感じでおいしいって言って欲しいですー」
ところがこの流れでさも当然のように人へ無茶ぶりをぶち込んでくるあたり、さすがは俺のヒロインだと思った。
「お前は俺にいったい何を求めてるんだよ」
「料理漫画のごとくオーバーなリアクションですっ! さあどうぞ!」
「……俺はこの世界に食レポしにきたんじゃないんだぞコラ」
でもいつものヒロインがそこにいた。
口直しに卵焼きを食べるとほんのり甘くて、みんなに美味しいものを食べさせようとするミコの愛情を感じた。
さて……サンディはというと、
「……うまうま」
「サンディさん、お口にあいますかー?」
「……人生の中で一番おいしいよ」
「そういってくれて嬉しいですよー♪」
すっかり慣れた箸を駆使して白米とチキン南蛮を交互に食べてて、あまりのおいしさに一人感極まっていた。
お前は順応するのが早すぎだ……!
友人に読み辛いよ変態と言われたので全体的に大幅に調整してやりました(半ギレ)




